長嶋茂雄の名言【国民的行事】を話題のタネに!

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最終更新日 2024年10月17日




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1、はじめに



1994年10月8日(土)ナゴヤ球場で、
日本プロ野球史上最高の試合と言われる
中日ドラゴンズ対読売巨人軍
試合がありました。


公式戦の最終試合で同率の
両チームが対戦し、
勝った方が優勝という
プロ野球史上初の出来事
ありました。


この試合の事を当時の
巨人軍・監督【長嶋茂雄】
「国民的行事」と名付けました。


それほど日本国中が注目した試合でした。


最近では野球ばなれが叫ばれていますが、
「国民的行事」
プロ野球の大きな試合があった事を
若い方には、知って頂き、
オールドファンは思い出して頂きたい
と思いブログにしましたので、
最後まで読んで頂ければ幸いです。

野球・憧れの背番号3
憧れの背番号3




2、【長嶋茂雄】引退から「第一次監督」解任まで



【長嶋茂雄】は涙の中、
1974年(昭和49年)に現役を引退
翌年の1975年(昭和50年)
「読売巨人軍」の監督に就任しました。


1975年の巨人は、球団史上初
「最下位」という不名誉な成績でした。


ファンからも怒りの声を浴び
「選手時代」には
なかったような屈辱感を味わい
自分の怒りを
他に当てつけていたそうです。


その後、
2度のセ・リーグ優勝をして、
監督6年目を迎える秋のキャンプで、
若手を鍛え上げ
「さあ!これから」という時に、
突然の「解任劇」がありました。


正に「寝耳に水」の出来事でした。






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3、浪人時代



監督解任後の12年間は
【長嶋茂雄】にとって
「充電期間」となりました。


その時のことを【長嶋茂雄】曰く

「世界中を駆け巡り、
文化的な活動ができた。
特に世界中のアスリートとの
交友ができた。」


と言っています。


その中でも有名な話が
「陸上競技の金メダリスト」
カールルイスに対して競技終了後に
「ヘイ!カール」
気さくに声をかけた事です。


この一声が当時の話題となりました。


その後カールルイスとの交流が
続いたそうです。


この浪人生活中には、
多くの球団から「監督要請」がありました。


特に
「大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)」
熱心だったそうです。


しかし巨人愛に溢れ、
巨人以外は考えられないと固辞しました。


この12年間は、
「野球から離れ、勝負を忘れる」ことができ、
ある意味充実していたのではないでしょうか。




野球・セーフ・アウトのドラマが生まれる
セーフ・アウトのドラマが生まれる

4、二度目の監督就任



12年間の「充電期間」を終えて、
1993年(平成6年)二度目の監督
就任しました。


当時は、「Jリーグ」が発足し
「サッカー」人気で
「野球」の人気に陰りが出始めたころで、
【長嶋茂雄】には焦りがあり、
「野球界のために一肌脱ぐ」という決意で
「監督」引き受けたといわれていますが、
このあたりも【長嶋茂雄】らしいです。


1993年は、セ・リーグの3位でした。


このシーズンオフ「最大の話題」
「中日ドラゴンズの落合博満」
「フリーエージェント」
巨人に移籍したことです。


「フリーエージェント」について
批判的な態度だった落合
真っ先に利用したことに対して、
マスコミの批判がありましたが
尊敬する【長嶋茂雄】の下でプレーし、
「胴上げ」したいという「願い」が叶い、
「巨人」入団となりました。


そのような状況の中、
「国民的行事」
1994年ペナントレースが開幕しました。


この年は「落合効果」で、
前半戦は「首位」を走っていました。


夏場には連敗があり、
中日とのゲーム差が
縮まる原因となりました。


一方中日は、8月後半に高木守道監督の
「解任」が発表されました。
(結果的には1995年途中まで采配)


Aクラスの監督がシーズン途中で
「解任」されるのは本来考えられない事で、
次期監督には星野仙一に決まっていました。



このような状況の中、
「高木守道監督を優勝して送り出そう」
選手が一体となり、快進撃を続け、
9月の後半から10月の始めにかけて
9連勝をし、少しずつ「国民的行事」となる
舞台準備が整ってきました。


9月末にナゴヤ球場で行われる予定の
中日対巨人は、
台風の影響で順延となり、
すべてが運命の日
10月8日に行われるように進みました。


10月6日に巨人が負け、中日が勝ち
両チーム共に1試合を残して
69勝60敗で並び
ついに「国民的行事」
開幕へと繋がります。


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5、「国民的行事」試合開始



10月8日の試合前【長嶋茂雄】は、
「このような中で試合ができる選手は幸せ」
と周りに話していましたが、
試合前の両チームの選手は、
緊張感で張りつめていましたので
【長嶋茂雄】のような性格でなければ
言えない言葉ではないでしょうか。





なおこの試合を、
当時オリックス・ブルーウェーブ
(現オリックス・バファローズ)の
イチロー
焼きそばを食べながら観戦している様子が
テレビに映し出されましたが、
「中日ファン」としてではなく、
野球ファンとし観戦したとのことでした。


それほど注目された試合が、
【長嶋茂雄】をして「言わしめた」
「国民的行事」だったのです。


野球・スライディングキャッチ
スライディングキャッチ

6、おわりに



「国民的行事」名言というより、
字の通り行事ですが、
ネーミングは、
【長嶋茂雄】らしいすばらしい表現です。


この試合は後に「10.8決戦」とも
呼ばれています。


私はこの試合の模様を「テレビ」で
観戦しましたが、
129試合も戦ってきて、
「最後の一戦」で雌雄が決する
という過酷な試合で
「テレビ」を通してでも、
選手の緊張感が伝わってきました。


観戦していた私も、
緊張感に耐えられない程でした。


この試合の後で、両チームの勝ち負けの差は
意気込みの違いと批判する人もいましたが、
そんなことはありません。


両チーム共、死力で一生懸命戦いました。


このような「国民的行事」をリアルタイムで
観戦できたことを幸せに思います。


だからこそ【長嶋茂雄】名言である
「国民的行事」を知って頂き、
プロ野球の凄さをぜひ知って頂けるよう
紹介しました。









最後まで読んで頂きありがとうございます。











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長嶋茂雄の名言・引退試合の「我が巨人軍は永久に不滅です!」

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最終更新日 2024年7月21日



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1、はじめに



「我が巨人軍は永久に不滅です」


私の知っているプロ野球選手の中で
「長嶋茂雄」ほど
印象に残る言葉を残した人はいません。


お笑いのネタになるような迷言
多く取り上げられていますが、
心に残るような「名言」も残しています。




その一つが、
「我が巨人軍は永久に不滅」です。


この「名言」は、
1974年(昭和49年)10月14日の
「長嶋茂雄・引退セレモニー」での言葉です。


この日の試合は、
テレビで観戦をしていましたが、
この言葉を聞いた時
「背筋が思わずゾクッ」としました。


ここまで言い切ってしまうとは、
「長嶋茂雄」でなければ言えない言葉
「本当にすごい人」だと思いました。


そこで、
この「名言」が出るまでの状況を紹介します。


ぜひ話題のタネにして下さい。


長嶋・憧れの背番号3
憧れの背番号3


2、1974年の巨人



1974年の巨人は、
前年阪神との最終戦でセ・リーグ優勝を決め
辛うじて、9連覇を達成しましたが、
連覇の陰りが見え始めた
という状況の中シーズンの
開幕を迎えました。


大事な試合での取りこぼしがあり、
シーズン終盤には
「ミラクルドラゴンズ(中日)」が、
連日の奇跡とも思える逆転勝ち、
サヨナラ勝ちで勢いに乗り、
20年ぶりのセ・リーグ優勝を決め、
巨人の10連覇の夢は
消えてしまいました。


この瞬間「長嶋茂雄」
現役引退が確定しました。


そして「引退会見」があり

「体がボロボロになるまでやれて幸せだった」

「この一年は自分の限界との闘いだった」

と言っていました。


また「最後まで試合に出る」とも宣言しました。


翌日のスポーツ紙は
「長嶋茂雄引退」のニュースが一面を飾り
中日の20年ぶりの優勝がすっかり
かき消されました。


「長嶋茂雄」の引退試合は、
10月14日の中日戦でしたが、
この日は「中日の優勝パレード」
日でもありました。


雨や日本シリーズの日程から、
「中日の優勝パレード」
行える日は10月14日だけでした。


中日の主力選手は、
偉大な「長嶋茂雄」「引退試合」には
「ぜひ出場したいし、出場しなければ失礼」
という思いと
20年ぶりの優勝で沸く、
「地元のファン」の前に
「勇姿を見せたい」という思いで
苦悩しました。


結局、当時「一発長打の大島君」
言われていた「大島康徳」
中心とした若手が「長嶋茂雄引退試合」
出場することになりました。


「大島康徳」は東海地方で、
とても人気のある選手だったので、
パレードで見ることができず
「がっかり」するファンが多かったです。


一方、
「優勝パレード」に参加する選手の中で
当時「ミスタードラゴンズ」
言われた「高木守道」
「長嶋茂雄引退試合」に出場できないことに対して、
球団に異を唱え直談判しましたが
認められませんでした。


そこで「長嶋茂雄引退試合」
に出場できないことを
直接説明し、
理解してもらうと共にお詫びをしました。


これに対して【長嶋茂雄】
「自分の引退試合」よりも
「20年ぶりの優勝パレードの方が大事」
言ったそうです。


この言葉を聞き「高木守道」は、
もやもやしていたのが少しだけ
晴れたと言っていました。


「高木守道」は、県立岐阜商業3年の時、
当時、立教大学の野球部だった「長嶋茂雄」
コーチとして訪れ、指導をしてもらい、
その素質を見出してくれた「長嶋茂雄」
心酔していました。


それだけに「長嶋茂雄引退試合」に出場して、
花束を渡し、
お礼の言葉を伝えたかったに違いありません。


また「与那嶺要監督」
「星野仙一」からも、
お詫びの電話があったそうです。


このような状況でしたので、

「中日は何故?
長嶋の引退試合に主力を出さないのか」

「引退試合を公式戦で行うのはおかしい」
(当時の引退試合は、オープン戦で行っていた)
といった批判の声が飛び交いました。







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3、引退試合



この日の試合のスタメン発表で、
「4番サード・長嶋・背番号3」
アナウンスされた時は大歓声になりました。


やはり「巨人の4番サードは長嶋」
であることを物語る出来事でした。


現役最後のホームラン「444本目」を放ち、
さすが「スーパースター」
思わせてくれました。


この日の試合前「王貞治」
「ON最後のアベックホームラン」
打とうという話しをしていたそうです。


そこで言った通りに現役最後の
「ONアベックホームラン」となる
「444本目」を放つちところは
さすが「スーパースター」
思わせてくれました。


最終打席は「併殺打」
これも「長嶋茂雄」らしい
終わり方でした。


長嶋・やっぱり野球は面白い
やっぱり野球は面白い




9回の表、

中日最後のバッターは「大島康徳」でした。


打席に入る前から「サード!サード!」
連呼がありました。


「大島康徳」も、

当然「サード」へ打つつもりで、
打席に入りましたが、
振り遅れてしまい「ライト」
へ打ってしまったそうです。


この試合で印象的だったのは、
今ではほとんど行われないダブルヘッダーの
(1日に連続して2試合行う)
1試合目と2試合目の間に「長嶋茂雄」が
「ファンに感謝」したいという思いからグランドを
一周しました。


その時スタンドからは、


「長嶋やめるな!」
「長嶋まだやれるぞ!」
「長嶋ありがとう」


と言った声が聞こえ、
「長嶋茂雄」が

ハンカチで目頭を押さえながら
途中立ち止まったりする姿にとても
感動しました。


また、
「引退セレモニー」でバックスクリーンに
「栄光の背番号3」

映し出された時には、
より深い感動をしました。


このような雰囲気の中で出た名言が、

「我が巨人軍は永久に不滅です」


この名言で「後楽園球場」は、
最高のボルテージになりました。


「引退セレモニー」が終了しても
誰一人として帰る観客がいませんでした。


そこでグランドに戻ると「大歓声」に包まれ
本当に最後の別れをしました。


偉大な「長嶋茂雄引退試合」は、
感動の連続で幕を閉じました。


この引退試合の「お客さん」の拍手は
「生涯頭の中から離れない」

と言っていました。






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4、おわりに



【長嶋茂雄】ほど、
球団を超えてどの球団のファンからも
愛された人はいないと思います。


そのファンのために【長嶋茂雄】
一つの「白いボール」「バット」
運命と人生をかけてやってきたと
言っていました。


その姿に我々ファンは魅せられました。


私が子供の頃は誰もが【長嶋茂雄】
魅せられて野球やソフトボールをする時は

「背番号3」
「打順は4番」
「守備はサード」

にあこがれました。


そんな【長嶋茂雄】は、
いつまでも「ヒーロー」
あり続けると思っていました。


しかし「ファンを喜ばせ」
「ヒーロー」であり続けるためには、
これが限界でした。


1974年10月14日【長嶋茂雄】
燃え尽きました。


かっこいい【長嶋茂雄】が、
かっこいいまま「引退」しました。


かっこいい名言を残して。


【我が巨人軍は永久に不滅です】であるように

【我らが長嶋茂雄は永久に不滅です】

これが希望です。





最後まで読んで頂きありがとうございます。





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野村克也の名言【勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなし】

最終更新日 2024年9月25日







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1、はじめに


元プロ野球監督の【野村克也】には
数々の名言と言われる
言葉がありました。


現役時代は、無口だったので、
名言の多くは監督として指導者に
なってからの言葉です。


この

勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし


は指導者としての立場を表す言葉として、
有名な名言です。

プロ野球
名言の多くは監督として指導者に
なってからの言葉

2、名言の意味


実はこの言葉【野村克也】
オリジナルではありません。


江戸時代後期の
平戸藩主「松浦静山」が書いた
「剣術書」の一部に書かれており
「孫子の兵法」からとった言葉です。


その内容を現代風に言うと

剣術の試合で、
勇気のある行動が取れなくても、
剣術の道に
従っていれば勝つときもある、
剣術の道に背き勇気ある行動が
取れなければ必ず負ける

このようになります。


スポーツの試合の「勝敗」と違い、
江戸時代において、
剣を持って戦いをするという事は、
負ければ「生死」にかかわる
一大事なことになります。


「勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし」


の意味としては、
試合に勝つときは、
勝つべきして勝つ場合もあれば、
相手がミスをしてくれたりして、
何が何だかわからないうちに
勝つときもあります



試合に負ける時は、
ミスがあったりして、
負けるべくして
負ける理由が必ずあります


【野村克也】の言ったこの言葉は、
それだけの意味ではなく、
もっと深い意味があります。


それゆえ名言と言われているわけです。


その意味は、
何も考えずに打ったり、
投げたり、走ったりしても
試合に勝つ場合があります。


また、
ミスをしても試合に勝つ場合も
あります。


だから、
勝って良かったと喜ぶのは良いが、
「勝ち」の中にも、
次には「負け」
つながることがあるので、
見逃さずに、
チェック、
反省をして
次につなげなければいけません。

また、
負けたときには、
何も考えずにプレーをしたり、
準備していなかったり、
ミスがあったなど、
負ける理由が必ずあるので、
しっかりチェック、反省し
同じ間違いを二度と起こさないようにし、
次につなげなければいけません。


というような意味ではないでしょうか。







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3、監督としての手腕


【野村克也】は、
監督として数々の実績を残しています。


特に「ヤクルトスワローズ」の監督時代は、
当時まだ、
「セ・リーグ」「お荷物」といわれた
「ヤクルトスワローズ」
4度のリーグ優勝に導きました。


それは【野村克也】が、
常々言っていた「野球は、団体スポーツ」
という言葉で表されます。


それはなぜか?


例えば、投手でエース級が
5人~6人揃いローテーションを回し、
打者では、3割バッターが
打線に何人もいるチームでも、
「チームが一体となって勝利に向かう」
ことができなければ、

「勝つことはできても、
勝ち続けることはできない」


からだと言っています。


そこで
「チームが一体となって勝利に向かう」
ことを全選手に浸透させた結果
「ヤクルトスワローズ」が、
勝ち続けることに繋がったとも
言っています。


【野村克也】にこのような考えがあるから、

「勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし」

という名言が世に出たのでは
ないでしょうか。

野球
チームが一体となって勝利に向かう」
ことを全選手に浸透させた結果
「ヤクルトスワローズ」が、
勝ち続けることに繋がった

4、おわりに


「勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし」


という【野村克也】名言には、
ただ単に「勝ち負け」
という勝負に関する
言葉の意味だけでなく、
仕事や生活をしていく上でも通じる
言葉ではないでしょうか。


例として、
仕事や生活していく上で、
ミスや間違いは「人がやる事」
なので起こることがあります。


でもそこで、
ミスや間違いの原因を突きとめて、
次に生かすことを
しなければなりません。


このように言葉として、
仕事や人生の「方向性」を示してくれる
名言ですが、
それ以外にも「朝礼のスピーチ」や
普段話の「話題のタネ」にも説得力があるので
ぜひ活用して下さい。








最後まで読んで頂きありがとうござうます。





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【二十四節気・七十二候】とは?雑節や五節句も紹介!

正月

最終更新日 2024年12月16日





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1、はじめに


テレビなどで
「今日は二十四節気の内の〇〇」と
いうことを聞きますが、
【二十四節気】とは
一体何のことでしょうか?


また【二十四節気】に関連して
【雑節】【五節句】
という言葉も聞いた事があるかと思いますが、
これも一体何のことでしょうか?


以下に
【二十四節気】
【雑節】
【五節句】の紹介をします。


話題のタネにしてください。





立春
旧暦では立春が1年の始まりです



2、二十四節気と七十二候



(1)【二十四節気】とは、
一言でいうと、
農業をして行く上での基準を
太陽の動きから
24の季節に分類したものです。


365日÷24≒15で
単純に15日に1回何等かの
節気があることになります。


農業をして行く上では、
季節や天候を正確に知る事が
必要になります。


「旧暦」※1では、

毎年同じ月日であっても
ズレがあるので種まきから収穫まで
いつ行えば良いのか「暦」だけでは
判断できません。



このことは農業を行う人には、
生きていく糧なので一大事です。


そこから季節を知るために、
1年を24の節気に分けました。


では24の節気はどのような基準で
分類がされているのでしょうか?


地球から見て太陽の移動する道を
黄道と言います。


黄道を360度に分けたものを
黄経と言います。

(春分を0度として
15度おきに節気が設けられた)


二十四節気図
二十四節気図


(2)七十二候とは、
上記【二十四節気】
農事や暮らしに合わせて、
さらに5日ずつの三つに分けて(24×3=72)、
それぞれの時期の自然界が移り変わる様子を
言葉にして表したものです。








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以下に【二十四節気】を紹介します。

旧暦では立春が1年の始まりです。


①立春(りっしゅん)毎年2月4日頃
    暦の上では春。節分の翌日。
    まだまだ、寒い時期ですが、
    春の息吹を感じ始める時期
    でもあります。

 (立春の詳細はこちらからどうぞ)



②雨水(うすい)毎年2月19日頃
    今まで雪が降るほどの寒さ
    でしたが、雨に変る頃。     
    寒冷地では、まだ寒さが
    続きますが、寒い日と
    暖かい日が繰り返し 
    春に確実に近づく時期です。

(雨水の詳細はこちらからどうぞ)



③啓蟄(けいちつ)毎年3月6日頃
    日照時間が少しづつ長くなり
    地中の温度が上がり、
    眠っていた虫が
    出てくる時期。
    吹く風に温もりを感じ始める時期。

(啓蟄の詳細はこちらからどうぞ)



④春分(しゅんぶん)毎年3月21日頃
    春分の日で祝日。
    昼と夜の長さが同じ日。
    お彼岸の中日。
    「暑さ寒さも彼岸まで」の
    言葉通り、寒い日が少なくなる。

(春分の詳細はこちらからどうぞ)



⑤清明(せいめい)毎年4月5日頃
    聞きなれない日ですが、
    字の通り、春の清々しい空気と
    明るい日の光を浴び
    万物が生き生きする頃。
    桜の開花シーズンでもあります。

(清明の詳細はこちらからどうぞ)



⑥穀雨(こくう)毎年4月20日頃
    春の暖かい雨が、
    穀物に息吹を与えます。
    この頃に種まきを始めます。
    1年の内では、
    過ごしやすい時期になります。

(穀雨の詳細はこちらからどうぞ)



春分の日
春分の日は昼と夜の長さが同じ

「夏」

⑦立夏(りっか)毎年5月6日頃
    暦の上では夏の始まり。
    新緑の爽やかな時期。
    この頃から、文字通り
   「夏日」も
    多くなります。

(立夏の詳細はこちらからどうぞ)



⑧小満(しょうまん)毎年5月21日頃
    麦の穂が出る頃で、農家の人が
    文字通り小さい満足をする頃。
    早ければ梅雨の走りになります。

(小満の詳細はこちらからどうぞ)



⑨芒種
(ぼうしゅ)毎年6月6日頃
    「芒(のぎ)」とは、
    稲などの穂先の部分の
    毛のような物。 
    稲などを植える時期。

(芒種の詳細はこちらからどうぞ)



⑩夏至(げし)毎年6月21日頃
    日照時間が1年で最も長い日。
    梅雨の真っただ中。
    この頃から本格的に暑くなる。

(夏至の詳細はこちらからどうぞ)



⑪小暑(しょうしょ)毎年7月7日頃
    少しづつ暑くなる時期。
    七夕の頃。
    梅雨の後半で大雨の注意が必要。

(小暑の詳細はこちらからどうぞ)



⑫大暑(たいしょ)毎年7月23日頃
    文字通り1年で最も暑い時期。
    土用の丑の日もこの頃。
    学生さんの夏休みのスタートの頃。

(大暑の詳細はこちらからどうぞ)


大暑
大暑は1年で最も暑い時期




「秋」

⑬立秋(りっしゅう)毎年8月8日頃
    暦の上では秋。
    まだまだ暑い日が続きますが、
    秋という言葉で少し暑さが
    和らぎます。

(立秋の詳細はこちらからどうぞ)


    
⑭処暑(しょしょ)毎年8月23日頃
    暑さが和らぎ始める頃。
    最近の異常気象では、
    まだまだ真夏日があります。

(処暑の詳細はこちらからどうぞ)



⑮白露(はくろ)毎年9月8日頃
    露が出る時期。
    朝晩の気温差が大きい頃。
    暑い日は続きますが、
    本格的な秋が近づいています。

(白露の詳細はこちらからどうぞ)



⑯秋分(しゅうぶん)毎年9月23日頃
    秋分の日で祝日。
    昼の長さと夜の長さが同じ日。
    秋のお彼岸の中日。

(秋分の詳細はこちらからどうぞ)



⑰寒露(かんろ)毎年10月8日頃
    植物に朝露が降りる頃。
    農産物の収穫が終る頃。
    秋本番です。
    最近では、10月でも「夏日」が
    あるので「ピン」ときません。

(寒露の詳細はこちらからどうぞ)



⑱霜降(そうこう)毎年10月23日頃   
    霜が降り始める頃。
    朝晩の冷え込みを感じる頃。
    山間部では、紅葉が見ごろに
    なります。

(霜降の詳細はこちらからどうぞ)

立秋
立秋は暦の上では秋




「冬」

⑲立冬(りっとう)毎年11月7日頃
    冬の始まりの日です。
    北風が吹き始める頃。
    冬が近づいてくるのを
    感じ始める頃。

(立冬の詳細はこちらからどうぞ)



⑳小雪(しょうせつ)毎年11月23日頃
    雪が降り始める頃。
    木々の葉が散ってしまう頃。
    平地でも雪が舞う時もあります。

(小雪の詳細はこちらからどうぞ)



㉑大雪(たいせつ)毎年12月7日頃
    平地でも雪が降り始める頃。 
    寒さが身に凍み始める頃。
    冬のたよりが各地から
    伝わります。

(大雪の詳細はこちらからどうぞ)



㉒冬至(とうじ)毎年12月22日頃
    1年で最も日照時間が
    少ない日です。
    一般的には、かぼちゃを食べ
    ゆず湯に入ります。

(冬至の詳細はこちらからどうぞ)



㉓小寒(しょうかん)毎年1月6日頃
    1年で最も寒い時期の入口です。
    寒の入りとも言います。
    正月明けと寒さで体調をくずさない
    ようにしましょう。

(小寒の詳細はこちらからどうぞ)



㉔大寒(だいかん)毎年1月20日頃
    1年で最も寒い時期です。
    この日から節分までは、
    特に寒さに耐える時期です。

(大寒の詳細はこちらからどうぞ)



大寒
大寒は1年で最も寒い時期です


【二十四節気】は中国から伝わりました。


中国は広く日本の気候とは
少しかけ離れているところがあります。


そこで、日本の農業に合わせるために、
もう少し細かく分類する必要がありました。


そこから生まれたのが【二十四節気】
補助的意味合いがある
【雑節】(ざっせつ)です。


全部で9の節があります
 

①節分(せつぶん)毎年2月3日頃
    元々は、春・夏・秋・冬の
    季節の変わり目でしたが、
    立春が新しい年の始めと
    いうことで、立春の前日を
    さす言葉になりました。

(節分の詳細はこちらからどうぞ)



②彼岸(ひがん)春分と秋分の前後三日
    先祖の供養、お墓参り。

(春分の日の詳細はこちらからどうぞ)


(秋分の日の詳細はこちらからどうぞ)



③社日(しゃにち)春分と秋分に最も近い
         戊(つちのえ)の日
    田んぼの神様をまつる日です。


④八十八夜(はちじゅうはちや)毎年5月2日頃
      立春から数えて88日目。 
      種まきの目安、茶摘み。

(八十八夜の詳細はこちらからどうぞ)



⑤入梅(にゅうばい)毎年6月11日頃
    太陽が黄経90度を通過する頃。
    梅雨入りの時期。

(入梅の詳細はこちらからどうぞ)



⑥半夏生(はんげしょう)毎年7月2日頃
     夏至から11日目。
     田植えが終わる頃。

(半夏生の詳細はこちらからどうぞ)



⑦土用(どよう)立春・立夏・立秋・立冬の前18日間
    現在では、立秋の前18日間として使っています。
    土用の丑の日。

(土用の丑の日の詳細はこちらからどうぞ)



⑧二百十日(にひゃくとうか)毎年9月1日頃
      立春から数えて210日目。
      台風に注意する時期。

(二百十日、二百二十日の詳細はこちらからどうぞ)



二百二十日(にひゃくはつか)毎年9月11日頃
      立春から数えて220日目。
      台風に注意する時期。

5月健康的な風景
八十八夜は立春から数えて88日目


そもそも【節句】とは
どういう事なのでしょうか。

【節句】「節」とは
季節の変わり目の事です。

【節句】「句」「供」(く)とも表し
お供えの事です。

つまり季節の変わり目お供えをして
邪気を払い無病息災を願う日で、
昔から【二十四節気】とは別に
祝祭の日とされています。

【節句】の中でも特別な5日の【節句】
江戸時代に決まり、
それを【五節句】として
「お祝いの日」としたのが始まりです。

【五節句】は全て季節の植物に関係があり
下記の通りです。


①1月7日:人日の節句(じんじつのせっく)
「七草の節句」
七草がゆを食べて
1年の始まりに1年間の無病息災を願います。

(人日の節句はこちらからどうぞ)



②3月3日:上巳の節句(じょうしのせっく)
「桃の節句」
ひな祭りとして知られる女の子の節句です。

(ひな祭りの詳細はこちらからどうぞ)



③5月5日:端午の節句(たんごのせっく)
「菖蒲の節句」
健やかな成長を願う男の子の節句
子供の日としてもお祝いします。

(端午の節句の詳細はこちらからどうぞ)



④7月7日:七夕の節句(しちせきのせっく)
「笹の節句」
ひこ星と織姫の伝説が由来しています。
七夕祭り

(七夕の節句の詳細はこちらからどうぞ)


 
⑤9月9日:重陽の節句(ちょうようのせっく)
「菊の節句」
菊の花が薬草となる事から
菊酒を飲んで無病息災を願います。

(重陽の節句の詳細はこちらからどうぞ)

以上です。


【五節句】は元来、
季節の節目を知るための目安でした。

新暦を使用している現在でも、
旧暦で行っていた日と同じ日に
行うため、
時期が1ヶ月位の違いがあります。

こうした事から、節句にちなむ行事は
旧暦で行う地域もあります。



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【二十四節気】
【雑節】
【五節句】について紹介しましたが、
いずれも農業をする上で
欠く事の出来ない重要な目安であり、
農業を大切にしていた事がよくわかります。


現在でも
【二十四節気】
【雑節】
【五節句】の行事が行われて、
伝統が引き継がれれいます。


これらの行事により現在でも
「季節」を感じる事ができますし
「イベント」として楽しんでもいます。


それだけ私たちに密接となっています。


だからこそ今後も大切にしたい風習です。







最後まで読んで頂きありがとうございます。


参考書籍①=PHP研究所発行
知れば納得!暮らしを楽しむ・
12ヶ月のしきたり


参考書籍②=株式会社神宮館発行
暮らしのしきたり12ヶ月・
うつくしい日本の歳時と年中行事












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七福神の【名前(呼び方)、ご利益、由来、逸話】を紹介!

七福神宝船

最終更新日 2024年12月12日






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お正月の縁起物で、
「宝船に乗った七福神」の絵が
描かれているのをよく見かけます。


何故、
「宝船に乗った七福神」の縁起が良いのか?


それは、江戸時代まで遡ります。


1月2日に見る「初夢」は、
「宝船に乗った七福神」
枕に敷いて寝ると「いい夢」
見る事が出来、
幸運に恵まれるという話が広まりました。


それ以来、
「宝船に乗った七福神」は縁起が良いとされ
「置物」などにされて売り出されています。


「宝船」は縁起の良い船だとわかりますが、
何故、船でなければいけないのでしょうか?


古代の日本では、
「海の果てに多くの神様が住んでいる」
との言い伝えがありました。


そこから
「海の果てから神様が幸運を
持って来てくれる」
と言う思想が広まりました。


ところで、神様を数えるときに
」を使います。


それは、家々の「」には神様いると
言われているからで
その「」からとっています。


今日から「」の見方も変わりそうで、
つい手を合わせそうですね。


それでは、
最後まで読んで頂き【七福神】
名前
呼び方
ご利益を知って頂き
自分や周りの人にが訪れるように
して下さい。


七福神
七福神


(1)恵比寿天(えびすてん)

七福神恵比寿
七福神恵比寿天



トレードマークは、烏帽子をかぶり、
鯛を左手で抱えて、
右手に釣り竿を持っています。


【七福神】の中では、
ただ一柱「日本出身の神様」です。


日本神話の「いざなぎのみこと」
「いざなみのみこと」
との間に生まれた第三子である
「ひるこのみこと」だと伝わっています。


逸話として、
三歳になっても歩くことができなかったので、
船に乗せられて海に連れていかれて
捨てられてしまったと言われています。
(残酷な話です)


その後、
流れ着いた島で人々から
手厚く祀られたのが
信仰の始まりです。


何故祀られたのか?


その理由として島国である日本は
古来より海から漂着してきた物は縁起が良く
人々に富と幸運をもたらす

されていたからです。


由来としては、その昔「飢饉」があった時に
偶然にもクジラが流れ着き、
人々を「飢饉」から救ったとの
伝説があるからです。


恵比寿天は昔から日本人に一番親しまれた
「神様」「えびっさん」
親しみを込めた呼び方をされています。


そのためか、
恵比寿天にまつわる行事が多くあります。


特に有名なのが、
恵比寿天を祀る「えびす神社」の総本宮
「西宮神社」
1月10日に行われる「その年の福男」を決める
「開門神事」が
あります。


開門と同時に本殿を目指して
一斉に走りだす行事で、
テレビで御覧になった方も多いと思います。


その他、「えびす講」というお祭りも
よく耳にします。


また「神無月」 には、
多くの神様が出雲に行く中 
出雲に行かずに留守番をするのが
恵比寿天とされています。


恵比寿天のご利益商売繁盛・大漁・五穀豊穣




(2)大黒天(だいこくてん)

七福神大黒
七福神大黒天



トレードマークは、頭巾をかぶり、
右手に打ち出の小づちを持ち、
左手で大きな袋を背負い、
米俵二俵の上に乗っています。


元々は、インドの「ヒンズー教」の神様で、
創造と破壊をつかさどる
シヴァ神の化身とされています。


インドから中国を経て、日本に
「仏教の保護」をする神様として
伝来しました。


その後、
「おおくにぬしのみこと」と結びつき
「神仏習合」となりました。


ここから「神話」
「いなばの白兎」で有名な大国様は、
大黒天と同じ神様だと言われています。


大黒天のトレードマークの
「頭巾」には、
上を見ないという謙虚

「打ち出の小づち」には、
何でも出てくる宝物

「米俵二俵」には、二俵で満足する
欲張らないという意味があります。


また、
背負っている「袋」には「七宝」と言われる
寿命・人望・清麗・威光・愛嬌・大量などが
入っています。


大黒天の縁日は、
60日に1回ある「甲子(きのえね)」に行われます。


「甲子」干支は「ネズミ」ですが、
何故「ネズミ」が出てくるのでしょうか?


その理由として
「すさおのみこと」から試練を与えられた時に
「ネズミ」に助けられたからだと
言われているからです。


「子日(ねのひ)」は、
「十二支」 なので12日に1回ありますが、
「ネズミ」大黒天のお使いと
言われていますので、
この日に「ネズミ」にお願いすると、
大黒天まで願いを届けてくれると
言われています。


「ネズミ」を見かけたら、
お願いしてみてはいかがでしょうか。


また大黒天は、
台所の神様とも言われていますし、
よく聞く「大黒柱」
大黒天から来ています。


大黒天のご利益:商売繁盛・五穀豊穣・福徳開運



(3)弁財天(べんざいてん)

七福神弁財天
七福神弁財天



トレードマークは、
琵琶をひいている優雅な姿です。


「ヒンズー教」の女神である
サウスヴァティーが仏教に取り入れられた
とされています。


【七福神】の中では「紅一点」の存在です。


ところが、
嫉妬が深い神様と言われています。


逸話として【七福神】の内の一柱である
毘沙門天の奥さんを嫉妬心から
追い払ってしまったと言われています。


それゆえに、
男女を別れさす「神様」とも
言われています。


そこから弁財天が祀られている神社に
「カップル」で行くと「別れる」
いう話が伝わっています。


それにしても、
嫉妬心という
「人間的」な感情があるのには驚きです。


また、ある村で田畑に被害をもたらす
「龍」が住んでいました。


その「龍」弁財天
を好きになってしまったので、
弁財天は、
田畑に被害を与えないと言う条件で
結婚しました。


その後は村人共々、
幸せになったという事です。


弁財天のご利益:縁結び・恋愛成就・財運・
金運・学業上達・芸事上達




(4)毘沙門天(びしゃもんてん)

七福神毘沙門天
七福神毘沙門天


トレードマークは、右手に槍を持ち、
武具を身にまとっています。


インドの「神様」で、
仏教のすべてを守る四天王で
インドの北を守っていました。


四天王の中では最強と
言われて仏教と共に
日本に伝来しました。


当時は仏教や毘沙門天
の信者は少なかったのですが、
仏教を信仰し、毘沙門天を信仰していた
「聖徳太子(厩戸皇子)」
の前に現れ戦勝法を授け
その結果、
戦いに勝つことができ、
信者が増えたと言われています。


さらに「上杉謙信」
「自分は毘沙門天の生まれ変わり」と言い、
旗には毘沙門天「毘」を入れていました。


毘沙門天には、
何となく近寄りがたい雰囲気があります。


また、毘沙門天の使いは「ムカデ」
言われていますが、
理由は、わかっていません。


毘沙門天のご利益:勝運・開運厄除け・家内安全



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(5)布袋尊(ほていそん)

七福神布袋
七福神布袋尊


トレードマークは、太鼓腹で右手に扇子、
左手で大きな袋を背負っています。


唯一【七福神】の中で、
実在した人がモデルと言われています。


モデルとなったのは、
「かいし」という中国のお坊さんと
言われています。


超能力の持ち主で、
占いが得意とのことでした。


中国を放浪していたお坊さんで、
布袋の語源となる袋を持ち歩いて、
施しを受けた物を入れていました。


日本には、仏教と共に伝来しました。


当時は、水墨画に描かれて人気があり、
徐々に受け入れられるように
なったと言われています。


布袋尊のトレードマークでは
「袋」が最も意味のある持ち物で、
施しを受けて「袋」には、
人々の「慈しみ」や「感謝」の
気持ちが入っている
と言われています。


実在の人物ということで、
何となく親しみが持てます。



布袋尊のご利益:開運・夫婦円満・子宝・千客万来




(6)福禄寿(ふくろくじゅ)

七福神福禄寿
七福神福禄寿


トレードマークは、体の半分位の頭と長いひげで、
右手に杖を持っています。


道教の神で、南極星の化身の「南極老人」
言われています。


福を表す星、財産を表す星、
長寿を表す星の三つの星を
一つにした「神様」と言われています。


中国人が理想とする
「幸福・身分・長寿」を持った
神様だと言われています。


逸話として、大酒のみだったと言われ
お金が入るとすぐに
飲み代になってしまったそうです。


寿老人と同一神だとも言われています。


福禄寿のご利益:子孫繫栄・健康長寿・家庭円満





(7)寿老人(じゅろうじん)

七福神寿老人
七福神寿老人


トレードマークは、背が低い、
頭巾をかぶり、
右手に巻物の付いた杖、
左手に桃を持っています。


道教の「神」である南極老人星の
化身
とされています。


白髭明神とも言われています。


樹木の樹から名前を取って
「樹老人(じゅろうじん)」とも呼ばれ、
樹木に生命力があることから
「長寿の神」と言われています。


寿老人の頭の長さは、
人のことをバカにしない謙虚な態度
するためと言われています。


福禄寿と同一神だとも言われています。


寿老人のご利益:健康長寿・家庭円満・子孫繫栄



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【七福神】が現在のように定着したのは
「江戸時代中頃」と言われています。


また七福神詣と言われる
「正月に七福神を祀ってある
神社などを回り開運招福」
をする事も
この頃から始まったとも言われています。


現在では、「お参り」だけでなく
「観光」の要素もあり、
「〇〇七福神巡り」の催しが
全国各地にあります。


あなたのお住まいの近くの七福神を巡って
開運招福をしてみてはいかがでしょうか。


また七福神のご利益
それぞれありますので、
並び順が気になるところです。


「宝船に乗った七福神」の絵では、
弁財天が中央で
左右に大黒天恵比寿天
並び順ですが、これが一般的です。


並び順には特に決まりはありませんが、
一般的には、
ご紹介した並び順で良いです。


また、
自分が望むご利益がある「神様」の
並び順という考え方もあります。


このように縁起の良い
【七福神】それぞれに「お願い」をして
幸運を引き寄せて下さい。






最後まで読んで頂きありがとうございます。

































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年の市とは【歴史、売られる物、酉の市との違い】も紹介!

12月

最終更新日 2024年11月11日



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毎年12月に入ると、
テレビなどで【年の市】という言葉を
聞くようになりますが、
【年の市】とは、
どのようななのでしょうか?


紹介しますので、
「話題のタネ」として使ってください。


また、
子供さんや親しい人にも
教えてあげてください。

一年最後のの事を【年の市】と呼び
主に正月関係の商品が売られてます


毎年12月中旬頃になると、
日本各地の神社や寺院などの
境内や門前などで開かれる
一年最後のの事を【年の市】と呼び
主に正月関係の商品が売られてます。


【年の市】には、多くの別名があります。


①12月の暮れに開かれる事から
その言葉の通り「暮れ市」


②年末の押し迫った時期
開かれる事から「詰市


が開かれる時点で、
売れ残っている物を
何とか売りさばきたい為に、
捨て値で売ることもあるので
「捨市」


などと言われることもあります。


【年の市】には「華やかさ」だけでなく、
生活感や年末の切羽つまった感覚もあり
独特な雰囲気があります。








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【年の市】
盛んに行われるようになったのは、
江戸時代になってからと
言われています。


当時は【年の市】が開かれている
近隣の農家や漁師の人たちが、
自分たちで作った物を売るために
【年の市】にやって来ました。


現在のように、デパート、スーパー、
コンビニ、商業施設などがない時代なので
正月の必需品や縁起物を
売るのも、買うのも【年の市】で、
物を売ってお金を得る喜びと、
物を売ったお金で物を買う楽しみを
一度に味わいました。


当時の人は、
新年には、
身の回りの品を新しい物にして、
新たな気持ちで新年を迎える」

という思いが強かったのでは
ないでしょうか。


また、
現在のように娯楽施設がなかった時代には
【年の市】が
一大イベントでウキウキして
やって来たと思われます。


そこで、近くの神社や寺院などで
【年の市】が開かれる日が
重ならないように調整していたそうです。


年の市
正月用の縁起物


【年の市】には、
正月縁起物やお値打ち品を求めて
多くの人々が集まって来ます。


それでは、
具体的にどんな物が
売られているのでしょうか?


【年の市】では古くから、
しめ飾り・ウラジロ・水引といった
飾り物


神棚・三宝・羽子板・などの
正月用の縁起物
娯楽品
など様々な物が売られています。


【年の市】は、
普段決まった日に開かれているよりも
賑わいがあり、華やいでいます。


また、
正月を目前に控えた時に開かれるなので
普段より、ウキウキした気持ちになります。










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(1)羽子板市


【年の市】の中で最も知られているのが、
観光客が多く訪れる
浅草寺【羽子板市】
ではないでしょうか。


浅草寺【羽子板市】は、
もともとは【年の市】として、 
正月用の商品や縁起物が売られていました。


それがいつの頃からか、
商品のなかで「華」のある羽子板
中心
として売られるようになりました。


「華」というだけでなく、
羽子板は一説によると
「邪気を打ってはね返す」
と言う意味があるそうで、
そこから縁起物とされています。


ひな人形と同じように、
羽子板にも
「変わり羽子板」があり、
その年の話題の人・有名人・
キャラクターなどの
羽子板が売られています。


きれいな羽子板を色々見ていると、
華やいだ気持ちになり心が弾み 
買わなくても、
十分楽しい気持ちになります。

羽子板市


(2)世田谷のボロ市


世田谷のボロ市も有名な
【年の市】の一つです。


歴史は古く400年以上も
前から行われています。


通常【年の市】が開かれる
神社や寺院の境内や門前ではなく、
街中の通りで開かれると言う珍しい市です。


世田谷のボロ市も元々は
【年の市】として正月用の商品や縁起物を
売っていましたが、
その商品の中に
「繕い」に使う当時としては貴重
ボロ布があったので、
ボロ市と言われるようになりました。


現在では、
日用雑貨・骨董品・古着などが
売られています。


毎年多くの店が出店され、
歩くのが大変なほどの賑わいがあり
大変活気のあるです。


ちなみに「代官餅」という
「ボロ市限定」の名物がありますが、
毎年、長い行列ができ手に入れにくい
一品であります。

ボロ市


【年の市】は言葉が似ている
「酉の市」と間違えがちですが、
酉の市は、
鳥にゆかりのある神社や寺院などで
開かれるで、
毎年11月の「酉の日」に開かれます。


熊手が売られる事が有名で、
テレビなどで毎年紹介されています。


「酉の日」は11月に必ず2回ありますが、
3回ある年もあり
その年は、火事が多いと言われています。







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【年の市】はかつて、
正月を迎えるためには、
欠かせないでした。


現在では、物が余り、
必要な物もすぐに手に入る
時代に変っていますが
【年の市】の賑わいは変わらず、
物を買う買わないは別にして、
行けばワクワクします。


今後も、
時代や状況は変わっていきますが
【年の市】という伝統行事が、
いつまでも続いてほしいものです。


それだけに、色々な人に話をして
【年の市】のことを伝えていく事が
大事ではないでしょうか。

最後まで読んで頂きありがとうございます。









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正月の【由来・意味・行事と年始回りのマナー】を紹介!

正月

最終更新日 2024年12月12日





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【正月】と言えば


「初日の出」

「初詣」


「年賀状

「お年玉」


「初売り」


「おせち料理」


「正月飾り」

など、
人によって思い浮かぶ「言葉」
それぞれあると思います。


また【正月】のイメージも
人それぞれだと思いますが、
一つ言えることは、
日本のあちこちで「おめでとう」の思いが
溢れていることではないでしょうか。


私が子供の頃の【正月】の楽しみは、
「お年玉」をもらう事と
「年賀状」でした。


「お年玉」目当てに、
親について親類をまわった覚えがあります。


「年賀状」は、
特に友達から貰うのが楽しみでした。


大人になってからは逆に
「お年玉」を渡す立場になりましたが、
「ありがとう」
喜んで受け取ってもらえることが
私の喜びになっています。


また、
大人になってからの「年賀状」は、
一年に一回
なかなか会えない人との連絡手段として、
書いています。


大人になってからの
【正月】はおおむね
「寝正月」で無駄な過ごし方を
しているような気がしてなりません。


そこで【正月】をもっと有意義に過ごすため、
【正月】の事を誰に聞かれても困らないように、
「由来・意味・行事」
について紹介します。


最後まで読んでいただき、
楽しく【正月】
過ごしていただければ幸いです。



正月
鏡餅


1年の始まりである【正月】は、
昔から「生き物が生まれ変わる日」
と言われています。


そのため【正月】に神様から
新しい命を授かる
必要があると言われています。


その神様は「年神様」と呼ばれ
【正月】
家々に「幸福」「無病息災」
運んで来てくれると言われています。


よく聞く言葉の「恵方」は、
その年の「年神様」が宿り
最も縁起の良い方角を言います。


恵方の方角に向かって行動すれば
良いことが起こると、
古代中国から伝わっています。


話はそれますが、
「節分」
「恵方巻」を食べるのも
ここから来ていると言われています。


1月1日のことを、
「元旦」「元日」と呼びますが、
「元旦」の意味は1月1日の朝のうち

「元日」の意味は1月1日の一日中となり、、
同じ意味ではありません。


昔から【正月】と言えば、
1月1日から1月3日までの三が日
を指すことが多いです。


そのためか「官公庁」の年末年始の休みも
12月29日~1月3日に決められています。


この三が日の間「年神様」を祀りますので、
炊事・洗濯・掃除などの家事を行わず
静かに過ごすようにします。


特に、
掃除はしないのが良いとされています。


それは「年神様」
掃いて追い出さないためだと
言われています。


また、
静かに過ごすと言うことは
「年神様」に対して
失礼のないようにするためだと
言われています。


主婦の方は休みがないので、
大変だと思いますが
せめて三が日位は休んでみたいものですね。







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(1)門松


①新年を祝って家の前に飾られる
「門松」には、
「年神様」が最初に降りてこられる
依代(よりしろ・対象物)の意味と
玄関先を清めて悪鬼や邪気が家に
入らないようにする意味
があります。


②玄関先に置くのはそのためです。



(2)注連飾り(しめかざり)


「注連飾り」は神様を祀る神聖な場所
であることを示します。


②そのため神社や家の神棚は
年中飾られています。


「注連飾り」で囲った内側を
神域(しんいき・神様が宿る場所)として、
神社の周りやご神体、ご神木などに
張られます。


④家庭で飾る場合は
「古い年の不浄」
祓い清めるため玄関に飾るのが
一般的です。


⑤正月の「注連飾り」は新たな神様を
迎え入れる準備が整ったことを表します。



(3)玉飾り・輪飾り


「玉飾り」は玄関や神棚の下に飾る物で、
注連縄を輪にして結んだ物に
わらを垂らします。


「輪飾り」「玉飾り」
簡素にした物で
水道などに飾ります。



(4)鏡餅


「鏡餅」とは、
元来正月用の丸餅の呼び名で、
丸い形は人の魂、心臓をかたどっていると
考えられてきました。


②鏡が魂を示す神器でもあることから、
「年神様」にお供えして食べると、
新しい生命力が授かると言われています。


「鏡餅」が二段重ねなのは、月(陰)と日(陽)
を重ねて、
福が重なることを願うという
意味が込められています。



(5)正月の生け花


①正月の生け花に必要な物は、
松・竹・梅です。


は1年中葉っぱを落とさないことから
永遠の命を表し縁起が良いことを表します。


は節目が正しく、
まっすぐ伸びることから
純粋を表し縁起が良いことを表します。


は芳香で高潔な花を咲かせることから
縁起の良いことを表します。

正月事始め
輪飾り


(1)初日の出を拝む


「元日」の日の出を初日の出と言います。


昔は、
一年の始まりである「元日」日の出
特に尊いものとされ拝みました。


特に山や海から昇る日の出に、
ご利益があると言われ
さかんに行われていました。


初日の出を拝むことは厳かで、
清々しい気持ちになり
今年一年も頑張ろうという思いに
させてくれます。



(2)若水迎え


若水とは「元日」の早朝、
初めて汲む水のことです。


水道のなかった時代には、
井戸・泉・川などで若水を汲みました。


したがって、若水迎え
とは「元日」の早朝、
一年で一番最初に汲む水のことを言います。


若水には、
神の力が宿る神聖なものとされ、
これを飲むと若返りができ、
無病息災になると言われています。


現在では、
あまり行われていませんが、
「湧き水」「元日」の早朝に
汲みに行くことを若水としたり
水道の蛇口に
「輪飾り」をつけて
ここから最初に汲む水を
若水としているそうです。


若水は縁起の良いものとされ、
神棚のお供え、
雑煮を作る、
お茶に使うなど
で使われました。


このため若水迎えは、
昔から「元日」の大切な儀式の一つでした。


若水迎えは現在では、
あまり行われなくなりましたが、
水道のなかった時代には、
を確保するのが大変で、
現在以上にを神聖なものとして、
崇められたのではないでしょうか。



(3)初詣


新年に初めて、
神社や寺院などに行き参拝し、
一年の
平穏無事・無病息災・家内安全などの
祈願をすることを初詣と言います。


初詣は本来
「元日」の午前中までに
行くべきなのですが、
最近では
【正月】の参拝客の集計を
1月1日から1月3日までで
行っていることもあってか
「正月三が日」に参拝することを
初詣と言っているようです。


一般的に、
参拝が終わった後は、
お札・お守り・破魔矢・熊手
などを買ったり、
おみくじを引いたりします。


交通機関が整っている現在は、
有名な神社や寺院に参拝に
行くことができますが、
昔は、
地元の「氏神様」などに初詣に行きました。


そもそも初詣は、
地元の「氏神様」などで、
「大晦日」の夜から
寝ずにすごした「年ごもり」から
始まったとされています。






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神社に参拝に行ったときに
「参拝の作法」が掲示されていることが
多いので御覧になっていて
「参拝の作法」をご存じの方も
多いと思いますが、
念のため一般的な「参拝の作法」
以下に書きますので、
ご存じない方は参考に、
ご存じの方は復習の意味で読んでください。



(1)鳥居をくぐる前に一礼する。



(2)拝殿までの参道は真ん中を
歩いてはいけない。
(真ん中は神様の歩く道)




(3)手水所で手と口を清める。


①右手でひしゃくを取り、
水を汲み左手にかける。


②左手にひしゃくを持ち替え、
右手に水をかける。


③右手にひしゃくを持ち替え、
左手で水を受け、口をすすぐ。


④ひしゃくを両手で立てて持ち、
残っている水でひしゃくの柄を洗い清める。



(4)拝殿の前でお賽銭をあげ、
鈴があれば鳴らす。
(お賽銭は投げ入れない)




(5)二回礼をし、二回拍手をし、
お願い事をし、一回礼をする。



※あくまでも一般的な神社の
「参拝の作法」です。


神社によって異なるので注意してください。

正月
初日の出


最近では【正月】
旅行やレジャーなどで過ごすことが
多くなり、
「年始回り」も少なくなっていますが、
それでも、
旧年中にお世話になった人などに
「年始のあいさつ」
するのが一般的です。


そこで「年始」のマナーについて紹介します。


(1)年始のあいさつに伺う時期


①元旦は避け、松の内までに済ませます。


②午前中は避け、
午後1時~午後3時頃を目安にします。


③挨拶はできる限り、
玄関先で済ませます。



(2)服装


①正月なので、ラフな服装はやめて、
スーツやワンピースにします。



(3)年賀の品


①手ぶらでは行けないので、菓子折りなどを
持っていきます。



(4)職場関係の年始のあいさつは、
業界や会社などの
慣例に従いますが、
営業日初日は避け、
1月15日頃までにあいさつを済ませます。



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【正月】には、
ここに書いたこと以外にも、
色々な伝統的な行事があります。


現在までに、そのまま受け継がれたり、
形を変えて受け継がれて来ています。


現在の【正月】は、
一般的には「年末・年始」
大型連休の真っただ中で、
旅行やレジャーに出かけるケースも多く、
家族や親類が揃って【正月】
過ごすことが難しいと思いますが、
【正月】には、できれば、
全員揃って楽しい【正月】
過ごしていただきたいと思います。







最後まで読んで頂きありがとうございます。







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