【長嶋茂雄の名言・国民的行事】を話題のタネに!

最終更新日 2022年9月19日


目次


1、はじめに


2、【長嶋茂雄】引退から「第一次監督」解任まで


3、浪人時代


4、二度目の監督就任


5、「国民的行事」試合開始


6、おわりに


7、関連記事

men playing baseball in stadium
Photo by Martin Péchy on Pexels.com

1、はじめに


1994年10月8日(土)ナゴヤ球場で、
日本プロ野球史上最高の試合と言われる
中日ドラゴンズ対読売巨人軍の
試合がありました。

公式戦の最終試合で同率の
両チームが対戦し、
勝った方が優勝という
プロ野球史上初の出来事が
ありました。

この試合の事を当時の
巨人軍・監督【長嶋茂雄】
「国民的行事」と名付けました。

それほど日本国中が注目した試合でした。

最近では野球ばなれが叫ばれていますが、
「国民的行事」
プロ野球の大きな試合があった事を
若い方には、知って頂き、
オールドファンは思い出して頂きたい
と思いブログにしましたので、
最後まで読んで頂ければ幸いです。





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2、【長嶋茂雄】引退から「第一次監督」解任まで



【長嶋茂雄】は涙の中、
1974年(昭和49年)に現役を引退し、
翌年の1975年(昭和50年)
「読売巨人軍」の監督に就任しました。

1975年の巨人は、球団史上初
「最下位」という
不名誉な成績でした。

ファンからも怒りの声を浴び
「選手時代」では
なかったような屈辱感を味わい、
自分の怒りを
他に当てつけていたそうです。

その後、
2度のセ・リーグ優勝をして、
監督6年目を迎える秋のキャンプで、
若手を鍛え上げ
「さあ!これから」という時に、
突然の「解任劇」がありました。

正に「寝耳に水」の出来事でした。

3、浪人時代


監督解任後の12年間は
【長嶋茂雄】にとって
「充電期間」となりました。

その時のことを【長嶋茂雄】曰く
「世界中を駆け巡り、
文化的な活動ができた。
特に世界中のアスリートとの
交友ができた。」
と言っています。

その中でも有名な話が
「陸上競技の金メダリスト」の
カールルイスに対して競技終了後に
「ヘイ!カール」と
気さくに声をかけた事です。

この一声が当時の話題となりました。

その後カールルイスとの交流が
続いたそうです。

この浪人生活中には、
多くの球団から「監督要請」がありました。

特に
「大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)」が
熱心だったそうです。

しかし巨人愛に溢れ、
巨人以外は考えられないと固辞しました。

この12年間は、
「野球から離れ、勝負を忘れる」ことができ、
ある意味充実していたのではないでしょうか。





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4、二度目の監督就任


12年間の「充電期間」を終えて、
1993年(平成6年)二度目の監督に
就任しました。

当時は、「Jリーグ」が発足し
「サッカー」人気で
「野球」の人気に陰りが出始めたころで、
【長嶋茂雄】には焦りがあり、
「野球界」のために「一肌脱ぐ」という決意で
「監督」を引き受けたといわれていますが、
このあたりも【長嶋茂雄】らしいです。

1993年は、セ・リーグの3位でした。
このシーズンオフ「最大の話題」が
「中日ドラゴンズ」の落合博満
「フリーエージェント」で
巨人に移籍したことです。

「フリーエージェント」について
批判的な態度だった落合
真っ先に利用したことに対して、
マスコミの批判がありましたが
尊敬する【長嶋茂雄】の下でプレーし、
「胴上げ」したいという「願い」が叶い、
「巨人」入団となりました。

そのような状況の中、
「国民的行事」
1994年ペナントレースが開幕しました。

この年は「落合効果」で、
前半戦は「首位」を走っていました。

夏場には連敗があり、
中日とのゲーム差が
縮まる原因となりました。

一方中日は、8月後半に高木守道監督の
「解任」が発表されました。
(結果的には1995年途中まで采配)

Aクラスの監督がシーズン途中で
「解任」されるのは本来考えられない事で、
次期監督には星野仙一に決まっていました。

このような状況の中、
高木守道監督を「優勝して送り出そう」と
選手が一体となり、快進撃を続け、
9月の後半から10月の始めにかけて
9連勝をし、少しずつ「国民的行事」となる
舞台準備が整ってきました。

9月末にナゴヤ球場で行われる予定の
中日対巨人は、
台風の影響で順延となり、
すべてが運命の日
10月8日に行われるように進みました。

10月6日に巨人が負け、中日が勝ち
両チーム共に1試合を残して
69勝60敗で並び
ついに「国民的行事」
開幕へと繋がります。

5、「国民的行事」試合開始


10月8日の試合前【長嶋茂雄】は、
「このような中で試合ができる選手は幸せ」
と周りに話していましたが、
試合前の両チームの選手は、
緊張感で張りつめていましたので
【長嶋茂雄】のような性格でなければ
言えない言葉ではないでしょうか。

試合は緊張感の中、
中日・今中慎二
巨人・槙原寛己
先発で始まりました。

緊張感からか、両先発投手共に調子が悪く
得点を記録していきますが、
より固くなっていた中日側の
考えられないようなミスが多発し
主導権を巨人がにぎります。

正に「死闘」で、
巨人の落合博満が怪我で退場します。

さらに「死闘」を物語る、
中日・立浪和義が一塁に
「ヘッドスライデイング」をした時に、 
肩を脱臼する痛々しい出来事があり
退場しました。

試合は、巨人の4本のホームランと、
斎藤雅樹桑田真澄の好投で、
巨人が6-3で勝ち、歓喜の優勝となり
「国民的行事」の幕がおりました。

なおこの試合を、
当時オリックス・ブルーウェーブ
(現オリックス・バファローズ)の
イチロー
焼きそばを食べながら観戦している様子が
テレビに映し出されましたが、
「中日ファン」としてではなく、
野球ファンとし観戦したとのことでした。

それほど注目された試合が、
【長嶋茂雄】をして「言わしめた」
「国民的行事」だったのです。

6、おわりに


「国民的行事」名言というより、
字の通り行事ですが、
ネーミングは、
【長嶋茂雄】らしいすばらしい表現です。

この試合は後に「10.8決戦」とも
呼ばれています。

私はこの試合の模様を「テレビ」で
観戦しましたが、
129試合も戦ってきて、
「最後の一戦」で雌雄が決する
という過酷な試合で
「テレビ」を通してでも、
選手の緊張感が伝わってきました。

観戦していた私も、
緊張感に耐えられない程でした。

この試合の後で、両チームの勝ち負けの差は
意気込みの違いと批判する人もいましたが、
そんなことはありません。

両チーム共、死力で一生懸命戦いました。

このような「国民的行事」をリアルタイムで
観戦できたことを幸せに思います。

だからこそ【長嶋茂雄】名言である
「国民的行事」を知って頂き、
プロ野球の凄さをぜひ知って頂けるよう
紹介しました。



最後まで読んで頂きありがとうございます。





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