長嶋茂雄の名言「失敗は成功のマザー」を話題のタネに!

最終更新日 2023年6月25日




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1、はじめに


「失敗は成功のマザー」
【長嶋茂雄】の数ある名言(迷言)の中でも
いかにも【長嶋茂雄】らしいユニークな
「英語」を使った造語です。


故事の「失敗は成功の母」から来ていますが
エジソンやアインシュタインが
言ったとも言われています。


「失敗は成功のマザー」
言葉だけだとユニークで
終わってしまいますが
初めての監督で挫折を味わい
「人に言えない、人に見せられない」
苦悩が詰まっている言葉だと思います。


現役時代から【長嶋茂雄】

「プロならば影での苦労や
苦悩を人前で見せるべきではない」


というポリシーを持っていました。


だから「最下位」に終わった
監督1年目のシーズン中には
私たちが計り知れない
苦悩があったと思います。


事実「罵声」をあびたり、
思うように選手が動かない
ことでの苦悩があったそうです。


【長嶋茂雄】の気持ちになったつもりで
現役引退から
「失敗は成功のマザー」
いう名言が出るまでを
振り返ってみたいと思います。



長嶋は1974年惜しまれつつ引退
1974年惜しまれつつ引退

2、現役引退


1974年(昭和49年)10月14日
10連覇を逃がし、惜しまれつつも
「現役引退」をしました。


この引退について【長嶋茂雄】自身は
「まだ選手としてやれる」と
考えていましたし、
たとえ「現役引退」をしたとしても
2、3年はバックネット裏から
野球を見たいという思いがありました。


だから「監督」に就任する気持ちは
一切ありませんでした。


しかし何度も要請のあった
「監督」就任依頼を
断り切れなくなったため
「引退即監督」を引き受けました。


この【長嶋茂雄】引退のニュースは、
1974年の10大ニュースに入るほどの
出来事でした。





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3、監督1年目


1975年のシーズンは
「クリーンベースボール」
キャッチフレーズにスタートしました。


V9時代の「川上哲治」監督は、
「確率野球」と言われ
「投・攻・走・守」全てにおいて
勝つために確率が高い作戦を
取り戦ってきました。


ところが【長嶋茂雄】
「投・攻・走・守」すべてにおいて
対戦相手に「力」の差で
勝つ野球を目指しました。


これに対して「川上哲治」は
「コーチの人事」や
「選手のトレード」にまで
口を出してきました。


しかし【長嶋茂雄】
「自分が目指す野球」を
実現するために
「川上哲治」監督時代の
コーチを解任し、
一切「川上哲治」の
話を耳に入れませんでした。


またこの時の【長嶋茂雄】
「背番号は90」でしたが
これにはエピソードがあります。


当時「小学生」だった
「長嶋一茂」に背番号について
相談したところ、
現役時代に
「3番・サード長嶋・背番号3」
だったことから3+3+3=9
「9番がいい」と言ったそうですが
「9番」を付けた選手がいたので
「90番」に決めたそうです。


1975年は「自分が抜けた穴」を
埋めるために
現役メジャーリーガーの内野手
「デーブ・ジョンソン」を
獲得しました。


「デーブ・ジョンソン」は
メジャーリーグの情報を
提供する役目もあり
「長嶋家」を訪れ
メジャーに関するビデオを
持って来て見ていたそうです。


一緒に見ていた「一茂」はこれにより
メジャーリーグに憧れを持ち、
野球を始めたそうです。


1975年のシーズンは、
V9選手の
「黒江透修、森昌彦」が引退し
「デーブ・ジョンソン」も
穴を埋める事が出来ず
一人主砲となった「王貞治」も
徹底的にマークされ
ホームランは33本放ったものの
打率は.285しか残せませんでした。


またこの年は
「3割打者」が一人もいなくて、
投手もエースの
「堀内恒夫」が10勝しかできず
「投・打」がかみ合わず不名誉な
球団史上初の「最下位」になりました。


また、監督・コーチ・選手間の
コミュニケーションが
うまく取れず、選手達は
「目指す野球」がわからなかった
と言っていました。

1975年は
現役メジャーリーガーの内野手
「デーブ・ジョンソン」を獲得
1975年は
現役メジャーリーガーの内野手
「デーブ・ジョンソン」を獲得

4、監督2年目・失敗は成功のマザー


1976年のシーズンは
「前年の反省(失敗)」から
打つ方では、
安打製造機「張本勲」を日本ハムから
投げる方では、
太平洋クラブ(現西武)の主力投手
「加藤初」をトレードで獲得しました。


現有戦力を適材適所に配置するため
外野手の名手「高田繁」を
三塁にコンバートし
「デーブ・ジョンソン」も
自分の得意な二塁に据えました。


さらにコーチ陣も一新して
前年の失敗要素を取り除き
「万全の体制」で
ペナントレースに臨みました。


その結果「失敗は成功のマザー」
言葉通り
セ・リーグを制覇しました。


打つ方では、「張本勲」が打率.355を残し
マークが
「張本勲」にも向くようになったため
「王貞治」は
49本のホームラン、打率.325
の好成績を残しました。


三塁にコンバートした
「高田繁」は打率.305
二塁に定着した「デーブ・ジョンソン」も
前年より良い成績を残して
打つ方での「成功」ができました。


投げる方では、
「加藤初」が期待通りの15勝を挙げ
「堀内恒夫」も
エース復活の14勝を挙げました。


また、何と言っても「小林繁」の
大活躍です。
チームNO1の勝ち星の18勝を挙げ
投げる方でも「成功」しました。


このように「投・打」がかみ合い
チームとしても
「前年の失敗(最下位)から
成功(セ・リーグ優勝)」し
「失敗は成功のマザー」
する事ができました。


日本シリーズでは阪急(現オリックス)に
3勝4敗で敗れ日本一になれませんでした。






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5、あとがき


【長嶋茂雄】
「失敗は成功のマザー」
に至ったのは
優勝するための計画を立て、
そのために不足している事を
補強して万全な体制で臨んだ結果
であると思います。


私も仕事をしていく上で
何度も失敗しています。


その都度、よく言われているように
失敗を反省し、
次には同じ失敗をしないよう
やり方を改善し次につなげるように
努力しています。


野球でも仕事でも
人間のやる事なので失敗はあります。


しかし、失敗成功になるように
しなければならない事を
「失敗は成功のマザー」から
改めて学ぶことが
できたのではないでしょうか。





最後まで読んで頂きありがとうございます。


参考資料:WiKipedia


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