【三国志】より「人間関係に役立つ故事」10選!

最終更新日 2022年5月1日

目次


1、はじめに



2、故事


①疎きは親しきを間てず(うときはしたしきをへだてず)


②枉駕(おうが)


③君辱めらるれば臣死す(きみはずかしめらるればしんしす)


④唇亡びて歯寒し(くちびるほろびてはさむし)


⑤子を知るは父に若くは莫し(こをしるはちちにしくはなし)
臣を知るは君に若くは莫し(しんをしるはきみにしくはなし)


⑥三顧の礼(さんこのれい)


⑦舐犢の愛(しとくのあい)


⑧水魚の交わり(すいぎょのまじわり)


⑨内助の功(ないじょのこう)


⑩泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)


3、おわりに


4、関連記事

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1、はじめに


【三国志】の中には、多くの「故事」あります。

どれも「人生の教訓」になります。
その中で、「人間関係」に関する「故事」
10選びましたので、
「人間関係」に悩んだ時には、
ぜひ参考にして下さい。

*三国志とは

魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)の
三国が争っていた歴史を書いた歴史書で、
信頼性に乏しいことは、極力使っていません。
撰者は西晋の陳寿(ちんじゅ)です。


*主な登場人物

①劉備(りゅうび):蜀漢(しょくかん)の初代皇帝

②関羽(かんう):劉備、張飛と黄巾の乱から行動を共にし、
蜀の建国に尽くした人物

③張飛(ちょうひ):劉備、関羽と黄巾の乱から行動を共にし、
蜀の建国に尽くした人物

④諸葛孔明(しょかつこうめい):劉備に仕え、
天才軍師として活躍

⑤曹操(そうそう):魏の建国に尽力し、
乱世の英雄とされる人物

⑥呂布(りょふ):武芸を極めた武将



*三国主な年表

西暦魏での出来事蜀での出来事呉での出来事
220曹丕が魏の文帝に  
221孫権、魏に臣従する劉備が帝位につく孫権、呉王となる
 文帝、呉を攻める劉備、陸遜に大敗孫権、独自に年号
223曹仁が呉に破れる劉備死す蜀と同盟。
224文帝、呉を攻める呉の使者が来訪徐盛が魏を退ける
 倭女王が遣使  
241呉の侵攻を防ぐ蔣琬が進軍する魏と対峙する
243倭女王卑弥呼が遣使姜維が大将軍に顧雍、死す
244曹爽が漢中で敗退費禕が魏軍を退ける陸遜が丞相となる
250呉の混乱に乗じて攻撃姜維が西平へ進軍孫亮が太子
252呉の南郡を攻める 孫権が死す
253呉軍と攻防を繰返す費禕が刺殺される諸葛恪が殺される
263蜀を平定蜀は滅亡 
280呉を滅ぼし統一 魏は滅亡
年表



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2、故事


①疎きは親しきを間てず
(うときはしたしきをへだてず)

意味:親密な人間関係の者に部外者は口をださない。

エピソード:蜀(しょく)の諸葛孔明は、
劉表(りゅうひょう・政治家、儒学者)の長男、
劉 琦(りゅうき)から
「後継者問題で争いがあり、
その渦中にある自分は、このままでは継母に殺されそうなので、
何か良い方法はありませんか。」と相談を受けました。
その時に、この言葉を言って、口出ししないようにしました。



②枉駕(おうが)

意味:人の訪問を敬って言う言葉。
身分の高い人が、代理人を立てずに自ら来ることを
尊んで言う言葉。

エピソード:蜀徐庶(じょしょ・政治家、武将)は、
劉備諸葛孔明の賢さを説明し、
軍司として薦めました。
そこで劉備は、諸葛孔明を連れてくるように命令しました。
しかし、徐庶は「諸葛孔明に会いに行くことはできますが、
無理に連れてくることはできません。」と言い、
良好な人間関係を築くために、直接会って話すことを勧めました。



③君辱めらるれば臣死す
(きみはずかしめらるればしんしす)

意味:主君が辱めを受けるようなことがあれば、
その家来は命を投げ出してでも主君の恥を
そそがなければならない。

エピソード:仲間割れをした李傕(りかく・武将)と
郭汜(かくし・政治家、武将)の間に立ち、
解決するように命令された皇甫酈(こうほり・政治家)は、
李傕が従わなかったので追放しました。
しかし、非難し続けるので、
「お前は君主と生死を共にする気はないのか。」
と言い聞かせました。



④唇亡びて歯寒し
(くちびるほろびてはさむし)

意味:互いに助け合っていた一方が消えてしまうと、
他の一方も守ってくれる人を失うため危うくなる。 

エピソード:追い詰められた呂布が、
袁術(えんじゅつ・政治家、武将)の所へ
王楷(おうかい・政治家)を遣わし、
呂布が負ければあなたも危ない」と応援を頼みました。

また、劉備に攻め行った時に、
張魯(ちょうろ・正一教の指導者)に加勢を求めた
劉璋(りゅうしょう・群雄)の使者が
漢中は唇歯(しんし)の間柄」と言い、
に何かあれば、漢中もただでは済まないと主張しました。



⑤子を知るは父に若くは莫し
(こをしるはちちにしくはなし)
臣を知るは君に若くは莫し
(しんをしるはきみにしくはなし)

意味:子供のことはその父親が一番よく知っており、
家来のことはその主君が一番よく知っている。

エピソード:劉備の所へ行くために、千里の道を走った
関羽(かんう・将軍)は大雨のため郭常(かくじょう・武将)
の所で雨宿りをさせてもらいました。
その時郭常の息子が、
赤兎馬(赤い毛で、うさぎのように素早い馬)を
盗もうとして斬られそうになりました。

郭常は「こんな息子でも私には大切な息子です。」と
助けを求めた時に関羽が言った言葉です。



⑥三顧の礼(さんこのれい)

意味:礼を尽くして人を招きいれる事。

エピソード:劉備諸葛孔明を迎え入れるために、
諸葛孔明の所へ行きました。
しかし、2回訪ねても留守だったので、
関羽が「やめる」ように言いましたが、
3回目も訪ねました。

そこでようやく諸葛孔明と会う事ができました。
諸葛孔明劉備の行動に感激して、
これ以降、忠義を尽くすことになりました。



⑦舐犢の愛(しとくのあい)

意味:親牛が子牛を舐めて愛するように、
親が子供を深く愛する事。

エピソード:後漢の楊彪(ようひょう・政治家、学者)の
子供楊脩(ようしゅう・政治家)は、
曹操に殺されました。

後年、曹操楊彪に会った時に、酷く痩せていたので、
理由を聞くと「子供が殺された今でも、
親牛が子牛を舐めて愛するような愛情だけは持っています。」
と答えました。

それを聞いた曹操は、
その後自分の態度を改めるようになりました。



⑧水魚の交わり(すいぎょのまじわり)

意味:水と魚の切り離せない関係のような、
非情に親密な交友。
切っても切れない結びつきの事。

エピソード:諸葛孔明を軍師として雇った
劉備諸葛孔明の見識の高さに感服し、
連日二人の談義が続きました。

それを見かねた関羽は、「諸葛孔明を持ち上げすぎ」
と言うと、
劉備は「私が諸葛孔明を雇ったのは、
魚が水を得たようなものなので、
不満に思わないで欲しい」と言いました。



⑨内助の功(ないじょのこう)

意味:妻が家庭を支え、夫の社会活動を助ける事。
内部から与える援助の事。

エピソード:趙昂(ちょうこう・武将)の妻の
王異(おうい)は、
馬超(ばちょう・しょうぐん)からの攻撃を受け、
劣勢になった時に、自ら防具を着けて、
趙昂の援助をしました。

また、自分の高価な衣服を家臣への恩賞にして、
士気を高めました。



⑩泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)

意味:規律を保つためには、私情を捨てて、
違反した者を厳しく処分しなければいけない事

エピソード:諸葛孔明が、
常日頃から大事にしてきた部下の馬謖(ばしょく・武将)が、
自分の命令に従わずに魏に大敗したため、
泣く泣く、斬首にしたという事です。





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3、おわりに


【三国志】の中で「人間関係」に関する
10の「故事」を紹介しましたが、
仕事をしていく上や生活していく上で、
役に立つ「故事」です。

何かあった時には、役立てて下さい。

最後まで読んで頂き有難うございます。




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4、関連記事




①三国志より人物に関する故事9選はこちら


②三国志より行動に関わる故事8選はこちら


③三国志より志や戒めに関する故事8選はこちら


④三国志より人の生き様に関する故事7選はこちら


参考書籍:株式会社HK INTERNATIONAL VISION発行
三国志故事成語辞典

参考資料:ウィキペディア




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