最終更新日 2023年12月16日
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目次
1、はじめに
【三国志】の中には、多くの「故事」あります。
どれも「人生の教訓」になります。
その中で、「人間関係」に関する「故事」を
10選びましたので、
「人間関係」に悩んだ時には、
ぜひ参考にして下さい。
*三国志とは
魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)の
三国が争っていた歴史を書いた歴史書で、
信頼性に乏しいことは、極力使っていません。
撰者は西晋の陳寿(ちんじゅ)です。
*主な登場人物
①劉備(りゅうび):蜀漢(しょくかん)の
初代皇帝
②関羽(かんう):劉備、張飛と
黄巾の乱から行動を共にし、
蜀の建国に尽くした人物
③張飛(ちょうひ):劉備、関羽と
黄巾の乱から行動を共にし、
蜀の建国に尽くした人物
④諸葛孔明(しょかつこうめい):劉備に仕え、
天才軍師として活躍
⑤曹操(そうそう):魏の建国に尽力し、
乱世の英雄とされる人物
⑥呂布(りょふ):武芸を極めた武将
*三国主な年表
西暦 | 魏での出来事 | 蜀での出来事 | 呉での出来事 |
220 | 曹丕が魏の文帝に | ||
221 | 孫権、魏に臣従する | 劉備が帝位につく | 孫権、呉王となる |
文帝、呉を攻める | 劉備、陸遜に大敗 | 孫権、独自に年号 | |
223 | 曹仁が呉に破れる | 劉備死す | 蜀と同盟。 |
224 | 文帝、呉を攻める | 呉の使者が来訪 | 徐盛が魏を退ける |
倭女王が遣使 | |||
241 | 呉の侵攻を防ぐ | 蔣琬が進軍する | 魏と対峙する |
243 | 倭女王卑弥呼が遣使 | 姜維が大将軍に | 顧雍、死す |
244 | 曹爽が漢中で敗退 | 費禕が魏軍を退ける | 陸遜が丞相となる |
250 | 呉の混乱に乗じて攻撃 | 姜維が西平へ進軍 | 孫亮が太子 |
252 | 呉の南郡を攻める | 孫権が死す | |
253 | 呉軍と攻防を繰返す | 費禕が刺殺される | 諸葛恪が殺される |
263 | 蜀を平定 | 蜀は滅亡 | |
280 | 呉を滅ぼし統一 | 魏は滅亡 |
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2、故事
①疎きは親しきを間てず
(うときはしたしきをへだてず)
意味:親密な人間関係の者に
部外者は口をださない。
エピソード:蜀(しょく)の諸葛孔明は、
劉表(りゅうひょう・政治家、儒学者)の長男、
劉 琦(りゅうき)から
「後継者問題で争いがあり、
その渦中にある自分は、
このままでは継母に殺されそうなので、
何か良い方法はありませんか。」と
相談を受けました。
その時に、この言葉を言って、
口出ししないようにしました。
②枉駕
(おうが)
意味:人の訪問を敬う言葉。
身分の高い人が、
代理人を立てずに自ら来ることを
尊んで言う言葉。
エピソード:蜀の徐庶(じょしょ・政治家、武将)は、
劉備に諸葛孔明の賢さを説明し、
軍司として薦めました。
そこで劉備は、
諸葛孔明を連れてくるように命令しました。
しかし、徐庶は
「諸葛孔明に会いに行くことはできますが、
無理に連れてくることはできません。」と
言い、
良好な人間関係を築くために、
直接会って話すことを勧めました。
③君辱めらるれば臣死す
(きみはずかしめらるればしんしす)
意味:主君が辱めを受けるようなことがあれば、
その家来は命を投げ出してでも主君の恥を
そそがなければならない。
エピソード:仲間割れをした
李傕(りかく・武将)と
郭汜(かくし・政治家、武将)の間に立ち、
解決するように命令された
皇甫酈(こうほり・政治家)は、
李傕が従わなかったので追放しました。
しかし、非難し続けるので、
「お前は君主と生死を共にする気はないのか。」
と言い聞かせました。
④唇亡びて歯寒し
(くちびるほろびてはさむし)
意味:互いに助け合っていた
一方が消えてしまうと、
他の一方も守ってくれる人を
失うため危うくなる。
エピソード:追い詰められた呂布が、
袁術(えんじゅつ・政治家、武将)の所へ
王楷(おうかい・政治家)を遣わし、
「呂布が負ければあなたも危ない」と
応援を頼みました。
また、劉備が蜀に攻め行った時に、
張魯(ちょうろ・正一教の指導者)に
加勢を求めた
劉璋(りゅうしょう・群雄)の使者が
「蜀と漢中は唇歯(しんし)の間柄」と言い、
蜀に何かあれば、
漢中もただでは済まないと主張しました。
⑤-1子を知るは父に若くは莫し
(こをしるはちちにしくはなし)
⑤-2臣を知るは君に若くは莫し
(しんをしるはきみにしくはなし)
意味:子供のことは
その父親が一番よく知っており、
家来のことはその主君が
一番よく知っている。
エピソード:劉備の所へ行くために、
千里の道を走った
関羽(かんう・将軍)は
大雨のため郭常(かくじょう・武将)
の所で雨宿りをさせてもらいました。
その時郭常の息子が、
赤兎馬(赤い毛で、
うさぎのように素早い馬)を
盗もうとして斬られそうになりました。
郭常は「こんな息子でも
私には大切な息子です。」と
助けを求めた時に関羽が言った言葉です。
⑥三顧の礼
(さんこのれい)
意味:礼を尽くして人を招きいれる事。
エピソード:劉備は諸葛孔明を
迎え入れるために、
諸葛孔明の所へ行きました。
しかし、2回訪ねても留守だったので、
関羽が「やめる」ように言いましたが、
3回目も訪ねました。
そこでようやく諸葛孔明と
会う事ができました。
諸葛孔明は劉備の行動に感激して、
これ以降、忠義を尽くすことになりました。
⑦舐犢の愛
(しとくのあい)
意味:親牛が子牛を舐めて愛するように、
親が子供を深く愛する事。
エピソード:後漢の
楊彪(ようひょう・政治家、学者)の
子供楊脩(ようしゅう・政治家)は、
魏の曹操に殺されました。
後年、曹操が楊彪に会った時に、
酷く痩せていたので、
理由を聞くと「子供が殺された今でも、
親牛が子牛を舐めて愛するような
愛情だけは持っています。」
と答えました。
それを聞いた曹操は、
その後自分の態度を
改めるようになりました。
⑧水魚の交わり
(すいぎょのまじわり)
意味:水と魚の切り離せない関係のような、
非情に親密な交友。
切っても切れない結びつきの事。
エピソード:諸葛孔明を軍師として雇った
劉備は諸葛孔明の見識の高さに感服し、
連日二人の談義が続きました。
それを見かねた関羽は、
「諸葛孔明を持ち上げすぎ」
と言うと、
劉備は「私が諸葛孔明を雇ったのは、
魚が水を得たようなものなので、
不満に思わないで欲しい」と言いました。
⑨内助の功
(ないじょのこう)
意味:妻が家庭を支え、
夫の社会活動を助ける事。
内部から与える援助の事。
エピソード:趙昂(ちょうこう・武将)の
妻の王異(おうい)は、
馬超(ばちょう・しょうぐん)からの
攻撃を受け、
劣勢になった時に、自ら防具を着けて、
趙昂の援助をしました。
また、
自分の高価な衣服を家臣への恩賞にして、
士気を高めました。
⑩泣いて馬謖を斬る
(ないてばしょくをきる)
意味:規律を保つためには、
私情を捨てて、違反した者を
厳しく処分しなければいけない事
エピソード:諸葛孔明が、
常日頃から大事にしてきた
部下の馬謖(ばしょく・武将)が、
自分の命令に従わずに魏に大敗したため、
泣く泣く、斬首にしたという事です。
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3、おわりに
【三国志】の中で「人間関係」に関する
10の「故事」を紹介しましたが、
仕事をしていく上や生活していく上で、
役に立つ「故事」です。
何かあった時には、役立てて下さい。
最後まで読んで頂き有難うございます。
4、関連記事
①三国志より人物に関する故事9選はこちら
②三国志より行動に関わる故事8選はこちら
③三国志より志や戒めに関する故事8選はこちら
④三国志より人の生き様に関する故事7選はこちら
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考書籍:株式会社HK INTERNATIONAL VISION発行
三国志故事成語辞典
参考資料:ウィキペディア