最終更新日 2024年8月15日
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1、はじめに
ぼくは順調すぎた、
脚光ばかり当たり裏街道を
知らなかった
この「名言」は、
1973年の終盤「デッドボール」で
左手薬指を骨折し、
欠場中の時の言葉です。
「王貞治」の三冠王がほぼ確定した時に、
「王貞治」と自分を比較した時の言葉です。
「王貞治」は、
1971年、1972年と2年連続で3割を
切りました。
その時の「王貞治」の試練を
近くで見ていたことから出た言葉です。
このことから「王貞治」を見習って、
スタートからの出直しが決意ができ、
感謝したと語っていました。
この「名言」が出た背景には、
1973年の成績が関係しているので、
振り返ってみます。
2、1973年の巨人と長嶋茂雄
(1)1973年の巨人
1973年の巨人は、
結果的に9年連続で日本一になりましたが、
セ・リーグ優勝は、
阪神との最終戦で辛うじて勝って
決めるという状況でした。
投打の主力が不振でしたが、
「王貞治」の頑張りでの、
セ・リーグ制覇でした。
(2)1973年の長嶋茂雄
打撃コーチ兼任での
シーズン2年目でした。
ホームラン20本、打点76と
共に少なく、
特に打率は、
2年連続で3割を打てずに.269に
終わりました。
打撃不振の原因の一つに
体力の低下を感じていたとも取れる
発言がありました。
それは
「自分がここまで選手として
プレーできたのは、
ファンの拍手という後押しが
あったからで、
それがなければ、打てなかった」
と語ったことです。
また
「ヒットを打つのが生きがいになった、
それがバットに賭ける夢というものだ」
とも語り、
打撃不振のこの年の苦悩が伺えます。
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3、名言の背景
この年は周りから、
「体力の限界、引退すべきだ、
打てない【長嶋茂雄】を見たくない」
との声が上がっていました。
それに対して
「デッドボール」による負傷欠場中に、
正に【長嶋茂雄】の苦悩を
表す発言がありました。
それは
「自分なりに悩んだ結果、
打撃不振の原因は
技術力の不足」
だった。
周りから入ってくる雑音に
悩んでも自分のためにならないが、
技術的問題で悩むのは
いつか必ず報われる。
今年の不調も年齢が原因ではない。
あくまでも自分の技術的な問題です。
16年もプロ野球の世界に
身をおいているが、
いまだに打てない時は、
苦しみ悩んで、
打撃フォームを崩す。
「その繰り返しでずっと
プレーしてきた」という発言でした。
この年の苦悩は、
選手生活の中で最大の苦悩で
あったのでしょう。
だからこそ
「ぼくは順調すぎた、
脚光ばかり当たり裏街道を知らなかった」
という「名言」を発言し、
まだまだ現役として
「ファンを喜ばす野球」を
する決意表明をしたのではないでしょうか。
4、おわりに
「ぼくは順調すぎた、
脚光ばかり当たり裏街道を知らなかった」
この「名言」の通り
過去の【長嶋茂雄】は、
一見「順風満帆」のように
見えます。
しかし、必ずしもそうでは
ありませんでした。
「陰の苦労とか苦悩を
決して人前で見せるべきでない」
という自らの主義で、
人知れず練習をして問題の
克服をしてきました。
特にバッティング面では、
「練習の積み重ねよる
過去の成功体験が
自然と自分の体に備わる」
という持論を持っていました。
このように、
過去の苦悩は人前に表れる前に
自分で解決できていましたが、
この「名言」のように人前で
発言したと言うことは、
相当の苦悩だったのでしょう。
そして、このようなことが積もり積もって
1974年の「現役引退」
へとつながりました。
私達の周りでも、
仕事や生活していく上で、
一見順調に進んでいるように
見える人がいますが、
陰では悩み、
それを克服するための
努力を怠らない人です。
もし、自分は順調でないと悩んだ時は、
「ぼくは順調すぎた、
脚光ばかり当たり裏街道を知らなかった」
を思い出してください。
最後まで読んで頂き有難うございます。
参考書籍:株式会社河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
長嶋茂雄語録
参考資料:ウィキペディア
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