長嶋茂雄の名言【負けるのは監督が悪い】を話題のタネに!

最終更新日 2024年8月11日



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1、はじめに


「負けるのは監督が悪い」
この「名言」
1975年8月の終わり頃の
インタビューで言った「名言」です。


1975年は【長嶋茂雄】
監督1年目です。


「クリーンベースボール」
スローガンに
文字通り「きれいな野球」
目指しました。



その野球とは「投打」
相手チームを圧倒し
「ファンに魅せて喜ばす野球」です。


「川上監督」時代の「巨人」
「ドジャース戦法」
という「守り勝つ野球、確率野球」
「9連覇」と言う偉業を成し遂げました。


「勝つ」ことによって
「ファンを喜ばせました」

【長嶋茂雄】は現役時代から
「ファンに魅せて喜ばれる野球」
してきました。


「川上野球」に欠けていた
「ファンに魅せる野球」
「勝つ」という「野球」
目指しました。


このような【長嶋茂雄】
「クリーンベースボール」
思うようにいかず、
その苦悩から出た「名言」です。


そこで背景を探り「名言」
真意を見つけたいと思います。


ぜひ「話題のタネ」として
使って下さい。

「ファンに魅せる野球」で
「勝つ」という「野球」を
目指しました
「ファンに魅せる野球」
「勝つ」という「野球」
目指しました



2、1975年の長嶋巨人の戦い


【長嶋茂雄】は巨人の新監督として
「新たな決意」
1975年のキャンプに臨みました。


キャンプ中には「ハプニング」
色々と起こり一部の選手、コーチが
不安感を持ちました。


戦力的には【長嶋茂雄】以外にも
「黒江透修」「森昌彦」
「菅原勝矢」といった
主力級が抜けた穴を埋められず
シーズンを迎えることになりました。


さらに一大事なことに
「王貞治」
オープン戦で足を怪我して
「開幕戦」に間に合わず
苦戦を強いられることになりました。


開幕間もない4月12日には
「最下位」になりました。


打撃陣の不振を解決すべき
4月18日には
「現役大リーガー」
「デーブ・ジョンソン」
入団します。


【長嶋茂雄】の後釜でサードを
守っていた「富田勝」
不振のためと、
チーム全体の打撃不振からの
措置でした。

「デーブ・ジョンソン」
本来セカンドですが
チーム事情でやむなく
サードを守らせました。


不慣れな守備位置での
不安があり
打撃の結果を残す事が
できません。


そのため6月には「8打席連続三振」
という
不名誉なセ・リーグ記録を
作ってしまいました。


怪我で出遅れた「王貞治」
4月の後半
スタメンに返り咲きますが、
前年までは「O(王)N(長嶋)」
二人をマークしていましたが
「O」だけになり徹底的なマークに
あったこともあり
シーズンを通して不調でした。


また、
前年まで
2年連続3冠王だったのが、
結果的には「打点王」
タイトルのみとなりました。




7月の「中日ドラゴンズ」との
札幌シリーズで
中日の「高木守道」
「三(塁)・本(塁)」
間に挟まれて「関本四十四」
タッチされた時に
顔面にされたのを抗議したところ
いきなり顔面を殴ってしまい
乱闘になるという
不祥事がありました。


9月にはチームワースト記録
となる11連敗を喫し
てしまいました。


シーズンを通して「投手陣」の不調と
打撃や守備面での「穴」が埋められず
「投打」がかみ合わず
チームとしては4月12日に
「最下位」に落ちてから
1度も浮上することなく
シーズンが終わりました。





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3、負けるのは監督が悪い


1975年のシーズンが
「最下位」に終わった理由は
結果論ですので何とでも言えます。


その責任を結果として
【長嶋茂雄】
一身に背負う事になりました。


シーズンの途中頃から
【長嶋茂雄】の選手起用に対する
マスコミからのバッシングや
ファンから罵声が出始めました。


しかし、この時の選手起用が後に
開花します。


その批判を【長嶋茂雄】
一身に受け止めました。


自分の構想通りに進まない苦悩や
苛立ちの日々が続き
「ベンチ内」では悔しさから
壁を蹴る日が続き、
足の親指が変形したそうです。


このような状況だったのですが
【長嶋茂雄】は自分の采配や
出来る努力も最大限
してきたという信念を
持っていました。


だから「どんな批判」を浴びようとも
「手を尽くして」いるので
逃げたり、人を批判したりせず
全ては自分が悪いという考えでした。


そこから出たのが

「負けるのは監督が悪い」

という「名言」です。

野球
最下位になった責任を結果として
【長嶋茂雄】
一身に背負う事になりました

4、おわりに


ファンや球団から期待されて臨んだ
1975年のシーズンでしたが
結果は「ワースト記録」ばかりで
惨憺な結果に終わりました。


いくら責任をとるのは「監督」
言えども
人の批判をせず、
責任は自分にあると言い放つところは
さすがに【長嶋茂雄】だと思います。


現役時代から決して
「人の批判」をしませんでした。


また「人に苦悩を見せない」
という考えだったので
「監督」になっても
変わらなかったと思えるので
「苦悩」は計り知れません。


しかし「監督1年目」は結果論ですが
決して間違った事
していませんでした。


【長嶋茂雄】が貫いたことが
1976年の優勝につながったからです。


私たちが仕事や生活をして
行く上でも同じように
「何もかもうまくいかない」
時があります。


そんな時には

「負けるのは監督が悪い」

を思い出して下さい。


【長嶋茂雄】のように自分を信じて
全力でその場における
ベストな考えで「果敢」に攻めての
「失敗」は後悔をしません。


また【長嶋茂雄】「言い訳」
「責任転嫁」
決してしませんでした。


「言い訳」「責任転嫁」
周りを不愉快にさせるだけで
何の役にも立ちません。


その間に「原因」「対策」を考えて
次につなげる事が
大事ではないでしょうか。


この「名言」【長嶋茂雄】からの
「意味の深いメッセージ」として
頭に入れておいて下さい。





最後まで読んで頂き有難うございます。



参考書籍:株式会社河出書房新社
編者:小林信也 発行者:小野寺優


参考資料:Wikipedia




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