最終更新日 2024年8月12日
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1、はじめに
「スランプを何度も自分なりに
克服してきた」
この名言は1974年(昭和49年)の
シーズン途中で新聞に自ら書いた
手記の一部です。
この名言は不振にあえぐ
【長嶋茂雄】に対して
ファンの間でも「引退」という
話題が出始めた頃に
周りから「引退を前提」とした
質問が飛び交う
ようになった時の「答え」の
言葉でもあります。
この年は【長嶋茂雄】の
「引退の年」ですが、
前年のシーズンオフ「川上監督」から
「引退勧告」を受けた時に懇願し、
もう1年現役を続けることなった
という経緯があるだけに、
特別な思いで臨んだシーズンでした。
そこで、
「スランプを何度も自分なりに
克服してきた」
の前のことを思い出し、
どのような状況から出た言葉かを
紹介します。
ぜひ「話題のタネ」にしてください。
2、1974年のシーズン前
前年の「川上監督」からの
「引退勧告」により、
【長嶋茂雄】にとっては
「今年ダメだったら引退する」という
強い決意で臨むシーズンになりました。
その決意を持って、自主トレ、
キャンプに臨みました。
この時の心境は、
「現役を続けたい」という思いと、
「引退しなければいけない」
という思いが半々だったそうです。
この年のスタートは
「合同自主トレ」からでした。
この年は「川上監督」の指示で
「前年より30%アップの運動量」
という課題を
選手全員に課されました。
そんな中【長嶋茂雄】は
自主トレの全てのメニューを
こなして周りを驚かせました。
そして宮崎キャンプは、
「精神を鍛え、体の限界に挑戦する」
という意気込みで
スタートしました。
その言葉通り、
主力選手の練習は14時までに終わるのが
普通でしたが【長嶋茂雄】は
14時以降もランニングなどで
連日暗くなるまで練習をしました。
この時点では、
体のどこも悪くないので、
例え数字が低い結果となっても
「野球がしたかった」と
後に言っていました。
このような思いがあるので、
気持ちは揺らいでいました。
それを振り払うために、
ひたすら練習をしました。
そして1974年のシーズンが開幕します。
3、引退の決意
揺れ動く気持ちを抑えて
1974年のシーズンが開幕しました。
しかし【長嶋茂雄】が
考えていた以上に、
苦悩のシーズンになりました。
開幕から打撃不振が続き、
4月の月間成績は
打率.258
ホームラン4本
打点8点と信じられない数字でした。
5月に入ると打率はさらに下がりました。
チャンスに凡退しファンからため息が出る
シーンが多くなりました。
6月に入り「川上監督」はついに
【長嶋茂雄】をスタメンから
外す決断をしました。
それは6月13日の後楽園球場での
中日戦でのことでした。
場内アナウンスのスタメン発表で
【長嶋茂雄】の名前が
最後までアナウンスされなかったので、
スタンドはどよめきました。
【長嶋茂雄】が病気や怪我以外で
スタメンを外れるのは、
プロ入り2度目のことでした。
この試合は代打で登場しましたが、
凡打に終わっています。
「川上監督」はスタメンを
外した理由を
「疲れが出ているので休ませた」と
言っていました。
その後も結果が出ず、
それを打ち払うようにひたすら
練習をしました。
またこの頃の打撃について、
「今までは、バットの根っこに
ボールが当たっても
野手の間をボールが抜けていたのに、
真芯でとらえた打球が、
なぜか野手の正面を突いてしまう」と
言っていました。
このような状況で【長嶋茂雄】の
引退が現実味をおびてきて、
ファンの間から心配する声が
出るようになりました。
それに答えたのが
「スランプを何度も自分なりに
克服してきた」
「だから心配しなくてもいいし、
引退など考えていない」
ということです。
しかし、この言葉を境にして
「引退への花道」を
進んでいくことになります。
4、おわりに
「スランプを何度も自分なりに
克服してきた」
この名言で【長嶋茂雄】は
引退を否定しましたが、
自分自身では少なからず、
その日が迫っているのを
感じていました。
それでも【長嶋茂雄】は、
自分のモットーである
「ファンを喜ばす」為に
必死で自分の限界に挑戦
しました。
そしてその裏では
【長嶋茂雄】の近くにいる人たちは、
「引退の覚悟」を感じていたそうで、
引退の日に向けて準備を進めると共に
マスコミ関係には「引退の報道協定」を
要請し
「引退報道」が出ないようにしました。
【長嶋茂雄】は、
オールスター前には
「引退」を決めていたそうです。
そして、最初に「引退」を伝えたのは
妻の「亜希子」でした。
「亜希子」は一言
「労をねぎらった」そうです。
最後に、
1974年の【長嶋茂雄】は
ファンを喜ばすため、
ファンに心配かけないため、
「引退」の文字がちらつく中で、
例年以上に必死で自分の限界まで
練習しました。
その思いが
「スランプを何度も自分なりに
克服してきた」
に詰まっていると思います。
私たちも誰かのために、必死で頑張る
【長嶋茂雄】の姿勢を学びたいものです。
最後まで読んで頂き有難うございます。
参考書籍:
著者=鷲田康
発行者=飯窪成幸
発行所=株式会社文藝春秋
「長嶋茂雄最後の日」
参考資料:ウィキペディア
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