最終更新日 2024年8月15日
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【glowing Academy】で、未来のスター選手を目指す!1、はじめに
攻めに徹しての365日だった
この言葉は、
1976年10月【長嶋茂雄】監督として、
初めてセ・リーグ優勝をした時の
「名言」です。
前年、球団史上初の最下位という
不名誉な結果に終わり、
選手起用や采配に批判が渦巻く中、
シーズンオフには、積極的に補強し
優勝をするための戦力を整えました。
その結果、セ・リーグ優勝をしました。
では、どんなシーズンだったのか
振り返ります。
2、1976年の戦い方
1976年の年頭に当たって
【長嶋茂雄】は、
「努力してますと練習を
売り物にしている選手は、
プロではない」
と発言しています。
この言葉から、何が何でも
「優勝」しなければいけないという決意で
臨む厳しいシーズンで
あることがわかります。
また、補強の中でも
「張本勲」
「加藤初」といった
大物を補強し、
守備のコンバートを積極的に行い
万全の体制でシーズンに入りました。
5月に14連勝、
8月に13連勝と圧倒的の強さでしたが、
9月に入ると阪神が激しく追い上げ、
あわや「マジック」が
点灯するところまでになり、
優勝争いが「風雲急を告げ」ました。
結局は、
最終戦に巨人が勝ち優勝を決めました。
終盤に苦戦したものの1年を通して
積極的に戦ったことによる優勝でした。
その表れとして、積極的に補強した
移籍の「加藤初」が15勝4敗。
同じく移籍の「張本勲」が
打率.355、ホームラン22本、打点93点。
と期待通りに活躍しました。
また去年までほとんど実績のなかった
「小林繁」が18勝8敗。
前年打たれても使い続けた
「新浦寿夫」が11勝11敗5セーブ。
と若手投手の台頭もありました。
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3、歓喜の優勝
攻め続けて優勝した1976年でしたが、
【長嶋茂雄】の采配面では、
後に「迷言」と言われる
「自分は顔が白いので、
心の動揺が顔に出て
相手に読まれやすいので、
日光浴をして黒くなろうと
思っていた」
との発言がありました。
1976年は、攻め続けたと言うだけあって、
チーム打率が.280もあり、
セ・リーグの1位でした。
また、攻め続けることにより
チームが一丸となり、優勝しました。
それがよくわかるのが
【長嶋茂雄】の胴上げです。
巨人ナインが心の底から笑っているのが
よくわかりました。
この時のことを【長嶋茂雄】は、
「もう無茶苦茶でした」
「みるみる間に自分の体が
宙に舞っていました」
「胴上げされているときは、
それが自分なのか、
他人なのか全くわからない位でした」
と話していました。
攻めに徹した結果の歓喜の
胴上げでした。
4、おわりに
「攻めに徹しての365日だった」
は、
【長嶋茂雄】が
優勝しなければいけないと言う
悲壮感を持って戦い続け、
その結果優勝することができた
安堵感を感じます。
この攻めに徹する姿勢は1977年には、
2位に15ゲーム差をつけての
優勝につながりました。
私達が仕事や生活していく上でも
同じことが言えます。
仕事や生活をしていく上で、
それぞれに「役割」があります。
一般的には「役割」を
果たせばよいのですが、
その「役割」を果たす上で、
もう一歩進んで改善意欲を持って
取り組む姿勢が必要です。
攻め=改善意欲
と考え
365日過ごしたいものです。
最後まで読んで頂き有難うございます。
参考書籍:株式会社河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
長嶋茂雄語録参考資料:ウィキペディア
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