最終更新日 2024年8月10日
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1、はじめに
私のモットーは、誠(せい)ある非情だ
発行所:株式会社河出書房新社
編者:小林信也
発行者:小野寺優
長嶋茂雄語録
この言葉は1975年の正月の言葉です。
「長嶋監督」として初めて迎えた正月で
新年の抱負と決意の表明ともとれる
「言葉」です。
前年の「感動の引退試合」の余韻が
まだ冷めやらぬ11月21日に
「読売巨人軍」の
第10代監督に就任しました。
引退直前までは
「現役として2~3年はできる」と
考えていましたが、
「10連覇を逃したことと、
自分の衰え」から
引退を決意しました。
引退後は「解説者」などとして
野球を見て、
コーチを経験してから監督になるという
考えがありましたが
チーム事情で断れなくなり
「監督」に就任しました。
2、長嶋監督就任前後の出来事
1974年10月14日引退後、
慌ただしく「長嶋監督」誕生に向けて
動き出します。
10月19日:V9川上野球の名参謀の
「牧野茂・作戦コーチ」の退団発表
11月5日:「川上哲治・監督」勇退し、
球団の専務に就任すると発表
11月19日ドラフト会議:指名選手
1位指名:定岡正二
(鹿児島実業高校・投手)
2位指名:中山俊之
(大昭和製紙北海道・投手)
3位指名:倉骨道広
(東京農業大・捕手)
4位指名:塩月勝義
(協和発酵・投手)
5位指名:大本則夫
(電電(現NTT)四国・投手)
6位指名:岡昭彦
(春日部工業高校・内野手)
この年の注目選手は、
即戦力NO1と言われた
山口高志
(松下電器・阪急入<現オリックス>)
高校野球四天王と言われた注目の選手が
土屋正勝(銚子商業高校・中日入)
定岡正二(鹿児島実業高校・巨人入)
永川英植(横浜高校・ヤクルト入)
工藤一彦(土浦日大高校・阪神入)
でした。
この中で巨人が1位指名した「定岡正二」は
甘いマスクで女性に人気がありました。
この「定岡正二」と
【長嶋茂雄】との会談が
入団当時行われました。
その時の「迷言」が
何度聞いても思わず吹き出してしまう
「定岡、初めてか?洋服着るの」
です。
その時の「定岡正二」の何と答えていいのか
困った顔が印象的です。
スーツ姿の「定岡正二」を
初めて見ての言葉です。
本来は「スーツ着るの」に
なるのでしょうが
【長嶋茂雄】の中では
「洋服=スーツ」ではないのかと
私は思っています。
この年の巨人のドラフト指名選手では
「定岡正二」以外は一軍での出場が
「ほとんどないかゼロ」でした。
しかし、後に主力投手となる
「西本聖」がドラフト外で
入団しています。
結果論ですが【長嶋茂雄】の
「監督」としての
初年度は「即戦力」なしで
「現有戦力」の底上げをするしか
なかったのです。
11月20日:「川上哲治」が正式に
勇退を表明する。
「川上哲治」は
「牧野茂、藤田元司、森昌彦」を
コーチとして残すようにし、
「堀内恒夫」を
トレードで出すように提案しました。
11月21日:【長嶋茂雄】の新監督就任発表
また、この日「藤田元司」投手コーチの
退団発表
11月30日:「黒江透修」が現役引退し、
来シーズンからの
一軍守備・走塁コーチ補佐への
就任が発表される
12月2日:【長嶋茂雄】と
「そり」が合わないと言われた
「森昌彦」の退団決定。
【長嶋茂雄】は、
「川上哲治」の12月20日の提案を
全て退けて
「川上色を一掃」しました。
そして【長嶋茂雄】に対して理解のある
「関根潤三ヘッドコーチ」
「宮田征典ピッチングコーチ」
「淡河弘バッテリーコーチ」
「黒江透修コーチ」
を招き
「長嶋野球」の目指す「投打」で
圧倒する野球へ進む
事になります。
【長嶋茂雄】は
「クリーンベースボール」を
キャッチフレーズにして、
「長嶋人気」と「定岡人気」が重なり
「話題満載」の
監督1年目を迎える事になりました。
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【長嶋茂雄】は
「監督」に就任するにあたって
今までの選手としての仕事よりも
「監督」として仕事をして行く
これからが大変で
男として「真の仕事」を
するようになると言っていました。
しかし、初めての経験なので不安であり
「これが監督業」と
言ったこともわかってはいるが
実際に現場で指揮を執らなければ
よくわからないと言っていました。
また、「人の上」に立つということで
客観的に人を判断し
「私情」をはさまない
ようにしたいとも言っていました。
そこで、
今まで一緒に「同僚」としてプレーしてきた
選手でも「情」を持って接するが
ファンが望む
「勝つ野球」「魅せる野球」のためには
「私情」を一切はさまないで
「選手起用」をするという決意を
表わした「名言」が
「私のモットーは、誠のある非情だ」
です。
そして、
この「名言」が【長嶋茂雄】の描く
「監督像」であったのではないでしょうか。
4、おわりに
「私のモットーは、誠のある非情だ」
は【長嶋茂雄】の指導者としての思いが
よく表されている「名言」です。
指導者は「私情」をはさめません。
それを端的に表す「中国の故事」
があります。
よく使われる「言葉」ですが
「泣いて馬謖(ばしょく)を切る」です。
これは中国の三国時代の話で
かの有名な「諸葛孔明」が
部下として「情」を持って接してきた
「馬謖」の
命令違反に対して即座に処刑したという
「故事」からきています。
誰でも自分が信頼していた部下が
違反や失敗をしたからといって
即座に「処罰」をすることは
なかなかできません。
かばったり、
処分を軽くすることを考えます。
しかし、
このような「私情」が挟まると
他の人に示しがつかなくなり
今後の「規律」が保たれなくなり
「チーム」はまとまりません。
だから「人の上」に立つ人は「私情」を
挟んではいけないと言う「戒め」になる
「故事」です。
【長嶋茂雄】も「ファン」への対応や
「かつての同僚で
今後は部下になる選手達」の
対応など「色々な葛藤」があり
「自分を戒める」ためにも
「私のモットーは、誠のある非情だ」
と言ったのではないでしょうか。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考資料=Wikipedia
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