最終更新日 2024年8月6日
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1、はじめに
野球で生活していく上において
河出書房新社発行
ハッピーという言葉はない。
毎日が苦悩の世界です。
編者:小林信也
発行者:小野寺優
「長嶋茂雄 語録」より引用
この「名言」は
1974年の「伝説の引退試合」から
1週間後に発言されました。
現役引退し、
「ほっ」とした気持ちがある中で、
引き続き「読売巨人軍」の
監督を引き受けた時の言葉なので
複雑な思いがこもった貴重な
「名言」です。
いつも明るくハッピーにさせてくれる
【長嶋茂雄】の発言とは
とても考えられません。
この「名言」の発言には、
どのような背景があったのか紹介します。
2、現役晩年の長嶋茂雄
【長嶋茂雄】が1958年入団から
1974年引退するまでの
17年間のプロ野球生活は
順風満帆のように見えます。
しかし、
必ずしも順風満帆ではありませんでした。
そのように見えたのは
「人前で苦悩や苦労を見せない」
というポリシーから
「努力は人の見ていない所」
でしていました。
特に「苦悩」があったのは現役晩年の
1972年から1974年ではないでしょうか。
この3年間の出場試合日数は
ほぼ全試合の125試合以上に出場して
ホームランや打点はそこそこですが、
打率は3割を打つ事が出来ず
打率のベスト10にも入る事が
出来なくなりました。
チームに関わる事では、
1971年にキャプテンに就任し
1972年からは、
バッティングコーチと兼任で
プレーすることにになり
その責務と立場上、
打てない時の「苦悩」は
相当なものだったのでしょう。
2年連続で3割を切った
1973年のシーズンオフ
見るに見かねた「川上哲治監督」は
【長嶋茂雄】に
スーパースターとして
「生涯通算打率」が3割を切らない今
引退をした方がいいと
「現役引退」を勧めましたが
断り「現役続行」決めました。
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3、現役引退、監督就任
「現役続行」を決めた1974年は
打撃3部門全てでプロ入り以来
「最低」の成績でした。
まだまだ「現役続行」の強い決意で
臨んだシーズンでしたが
①目に見える打力の低下
②10連覇が消えた
③以前からあった監督就任要請を
断れきれなくなった
等の理由で「現役を引退」する事に
なりました。
その後11/21に「読売巨人軍監督」に
就任しました。
キャッチフレーズに
「クリーンベースボール」を掲げ
「川上哲治監督」の
「確率で勝つ野球」を離れ
投打共に「力で圧倒する野球」を
目指しました。
4、名言の発言背景
1974年のシーズン後「現役引退」
即「監督就任」となりましたが
【長嶋茂雄】の心中には
様々な葛藤がありました。
それは
①「川上哲治前監督」にスタッフの人事や
選手のトレードを指示されたが却下した。
②【長嶋茂雄】の本心は
「2,3年は現役を続けたかった」。
③「現役引退後」バックネット裏で勉強したり
コーチを経験したりして「段階」を踏んで
「監督に就任」したかった。
という思いがあったからです。
このような背景の中
野球で生活していく上において
ハッピーという言葉はない。
毎日が苦悩の世界です。
の「名言」の発言がありました。
5、おわりに
プロ野球選手は
「自分の好きな事」を仕事にできる
子どもが憧れる職業です。
私も「能力」があれば一番なりたかった
職業です。
傍からみれば
「うらやましい職業」にみえますが
厳しい練習をして
「勝負」に勝ち残らなければ
「即引退」という結果になります。
そのような「プロ野球界」に
17年もの間スーパースターとして
身を置き
「現役引退」で一息つけると
思っていた矢先の「監督就任」で
正に
「息つく暇もない」状態で発言された
「野球で生活していく上において
ハッピーという言葉はない。
毎日が苦悩の世界です。」
は【長嶋茂雄】の心境をよく表した
言葉ではないでしょうか。
私たちも仕事や生活をしていく上で
「幸せだと思えない」時や
「苦悩の毎日」が続く時がありますが
【長嶋茂雄】には、到底及びません。
「幸せだと思えない」時や
「苦悩の日」が続くときは
【長嶋茂雄】のこの「名言」を思い出し
元気になって下さい。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考書籍=株式会社河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
「長嶋茂雄 語録」
参考資料=WiKipedia
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