建国記念の日とは【歴史や主な国の呼び名も紹介】話題のタネに!





話題のタネ - にほんブログ村









広告








1、はじめに


毎年2月11日は【建国記念の日】です。


「古事記」には、
初代の天皇とされる
「神武天皇(じんむてんのう)」
即位した日と記されています。


神武天皇から
今上天皇※(きんじょうてんのう)まで、
126代受け継がれています。


この日は、第二次世界大戦までは
「紀元節(きげんせつ)」と呼ばれ、
国の誕生日とされてきました。


そのような「国の誕生日」の
【建国記念の日】とはどんな日なのか
以下に紹介しますので、
話題のタネにして下さい。


※今上天皇とは:
現在の天皇を指す呼び方



祝日
「建国をしのび、国をあいする心を養う日」
と国民の祝日に関する法律で
定められた祝日です

2、建国記念とは


日本の建国の日は、
明らかではありませんが、
「建国をしのび、国をあいする心を養う日」
と国民の祝日に関する法律で
定められた祝日です。


明治時代に、
日本の始まりを祝う日を
望む声が高まりました。


その時定められたのが、
「紀元節」です。


日本書紀に、
神武天皇「旧暦」の1月1日に
大和の国(現・奈良県)
橿原宮(かしはらのみや
)で
即位した日と記されているのを



3、主な国の建国記念日


主な国の建国記念日











広告






4、建国記念の日の歴史


1873年(明治6年)10月14日に、
神武天皇即位の日を新暦に換算して、
2月11日に固定
しました。


名称も
「神武天皇即位日」から
「紀元節」に変更されました。


その後、
第二次世界大戦終結までは、
年間で最も重視される祝日の一つ
になりました。


第二次世界大戦後、
世論調査で「建国記念日」とする
意見が極めて多かったのですが、

① 第二次世界大戦中、
「健国祭」として
国威高揚として利用された。


②神武天皇の建国説は神話で、
歴史的根拠が乏しい


③連合国による占領下にあったため、
進駐軍への配慮

などの理由で、見送られました。


日本の独立後の1952年(昭和27年)
頃から「建国記念日」復活の論争が
ありましたが、
賛否両論あり前へ進みませんでした。


結局、
1966年(昭和41年)に、
「敬老の日」
「体育の日」(現スポーツの日)
抱き合わせで、
【建国記念の日】
国民の祝日に追加されました。




建国記念の日イメージ
1966年(昭和41年)に、【建国記念の日】
国民の祝日に追加されました

5、おわりに


【建国記念の日】は、
祝日としての国の行事はありませんが、
各地の神社などで、
「紀元節祭」が行われます。


また、
地方自治体などでは、
独自の行事を行う所もあります。


【建国記念の日】 は、
「古事記」「日本書紀」などとも
深く関わりのある日で、
日本人の原点である日でもあります。


そこで、
2月11日の 【建国記念の日】 には、
日本の成り立ちなどを
調べてみるのも、
いいのではないでしょうか。




最後まで読んで頂きありがとうございます。



参考書籍①:株式会社あさ出版発行
日本の暦と生きるていねいな暮らし


参考書籍②:株式会社創元社発行
年中行事読本


参考書籍③:株式会社学研プラス発行
365日、暮らしとこよみ


参考資料:ウィキペディア


広告

一番安い引越し見積もりがわかる【LIFULL引越し】



6、関連記事







にほんブログ村









PVアクセスランキング にほんブログ村