最終更新日 2024年9月19日
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1、はじめに
元中日ドラゴンズの「背番号6」は
名選手が多いのですが、
その中でも特に私の印象に残っているのが、
1974年中日20年振りの優勝に貢献した
【井上弘昭】です。
チャンスに強く頼れる「背番号6」
【井上弘昭】のプロフィール、
選手成績を紹介します。
2、プロフィール
1944年5月21日:大阪市西淀川区生まれ
1959年4月:北陽高校入学
1962年3月:北陽高校卒業
1962年4月:電電近畿入社
1965年8月:都市対抗野球・優勝
1966年:アマチュア野球世界選手権・優勝
1967年:ドラフト1位で広島東洋カープに
入団
1968年8月1日:広島市民球場の
サンケイアトムズ戦で初出場
1968年8月3日:甲子園球場の阪神戦で
プロ入り初ヒット
1968年8月4日:甲子園球場の阪神戦で
3番レフトでプロ入り初スタメン
1968年9月4日:甲子園球場の阪神戦で
1944年5月21日:大阪市西淀川区生まれ
1959年4月:北陽高校入学
1962年3月:北陽高校卒業
1962年4月:電電近畿入社
1965年8月:都市対抗野球・優勝
1966年:アマチュア野球世界選手権・優勝
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1967年:ドラフト1位で広島東洋カープに
入団
1968年8月1日:広島市民球場の
サンケイアトムズ戦で初出場
1968年8月3日:甲子園球場の阪神戦で
プロ入り初ヒット
1968年8月4日:甲子園球場の阪神戦で
3番レフトでプロ入り初スタメン
1968年9月4日:甲子園球場の阪神戦で
プロ入り初打点
1968年10月14日:川崎球場の大洋戦で
プロ入り初ホームラン
1973年:川畑和人とのトレードで
中日に
1974年:初めての規定打席到達
1975年:初めての3割達成、
初めてのベストナイン
1977年6月29日:ナゴヤ球場のヤクルト戦で
プロ入り通算100号ホームラン
1978年4月15日:ナゴヤ球場の阪神戦で
プロ入り通算1000試合出場
1981年:日本ハムへトレードで移籍
1981年9月14日:西宮球場の阪急戦で
プロ入り通算1000本安打
1982年7月2日:後楽園球場の近鉄戦で
プロ入り通算150号ホームラン
1984年5月8日:後楽園球場の阪急戦で
プロ入り通算1500試合出場
1984年:現役引退
1985年:西武の守備走塁コーチに就任
退団
1992年:中日二軍打撃コーチに就任
1993年:中日一軍打撃コーチに就任
1994年:中日退団
3、選手成績
年度 | 球団 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
1968 | 広島 | 35 | .224 | 1 | 5 |
1969 | 広島 | 102 | .252 | 12 | 23 |
1970 | 広島 | 113 | .209 | 13 | 29 |
1971 | 広島 | 111 | .216 | 5 | 17 |
1972 | 広島 | 43 | .186 | 2 | 4 |
1973 | 中日 | 103 | .271 | 16 | 57 |
1974 | 中日 | 128 | .290 | 18 | 58 |
1975 | 中日 | 130 | .318 | 18 | 65 |
1976 | 中日 | 104 | .213 | 7 | 23 |
1977 | 中日 | 120 | .284 | 17 | 60 |
1978 | 中日 | 111 | .227 | 12 | 39 |
1979 | 中日 | 113 | .272 | 16 | 49 |
1980 | 中日 | 58 | .291 | 7 | 27 |
1981 | 日本ハム | 85 | .259 | 4 | 30 |
1982 | 日本ハム | 69 | .265 | 2 | 11 |
1983 | 日本ハム | 54 | .263 | 4 | 9 |
1984 | 日本ハム | 42 | .221 | 1 | 10 |
1985 | 西武 | 10 | .214 | 0 | 1 |
通算 | 1531 | .259 | 155 | 517 |
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4、おわりに
【井上広昭】のプロフィール、選手成績を
紹介しました。
中日在籍中の8年間は、
選手生活の中で一番輝いていた時期で、
中日ファンとしては、
チャンスに強い信頼できるバッターでした。
タイトルを獲得したことは
ありませんが、
タイトルに匹敵するだけの印象が
ポパイ【井上広昭】あります。
3番・レフト井上・背番号6も
中日を代表する名選手です。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考資料:ウイキペディア