最終更新日 2024年9月3日
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1、はじめに
【中日ドラゴンズ】の歴代で
トップクラスの速球投手
【鈴木孝政】は、抑え時代は
「切れ味鋭い快速球投手」として
「中日・ナゴヤ球場」を沸かせました。
ケガをしてからは「軟投派」に
変わってしまいましたが、
今でも「快速球の軌道」が
頭に浮かびます。
そんな【鈴木孝政】に
ついて紹介します。
ぜひ「話題のタネ」にして下さい。
2、快速球で強打者をなで斬り
【鈴木孝政】が入団当初の【中日】は、
「軟投派」の投手が多く、
「速球派」の投手を待ち望んでいました。
そんな中、彗星のごとく現れたのが
【鈴木孝政】でした。
入団1年目は、1試合の登板のみでした。
2年目の1974年は
ほとんどリリーフでしたが、
35試合に登板しました。
1974年が
実質のデビューになりましたが、
この年に最も記憶に
残るでき事がありました。
月日は憶えていませんが、
中日球場で9連覇中の
強い巨人戦初登板の日に、
いきなり「O(王)N(長嶋)」の
打順にリリーフ登板し、
連続三振に斬って取りました。
誰もが予想しなかった結果での、
巨人戦デビューでした。
翌日もリーリーフで登板し、
「O・N」を斬ってとりました。
この試合は、
「20年ぶりのセ・リーグ優勝」の
一つのポイントになった試合でした。
この年
「ミスタープロ野球の長嶋茂雄」が引退
しますが、
もしかすると、この試合が引退の
決意をする一つの要因ではなかったかと
思っています。
肘を痛める1978年頃までは、
速球派として、ストレートで打者を
なで斬りしました。
その後、
ケガで衰えた球威をカバーするため、
ボールに緩急をつける投げ方を
身につけ、
軟投派としてカムバックを果たしました。
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3、記憶に残っている出来事
(1)1973年春のキャンプ
この当時は、
浜松で春のキャンプを行っていました。
ある日曜日に浜松キャンプの
見学に行きました。
たまたま近くで【鈴木孝政】が
ランニングをしていたのですが、
気が付かず、
千葉県の方から【鈴木孝政】を
応援に来ていた一団の中から
「孝政!
おばちゃんが見に来てるので頑張れよ!」と
声がかかり【鈴木孝政】だと
わかりました。
大変失礼な話ですが、
この時は「中日の主力投手」に
なるとは思っていませんでした。
(2)1970年代の後半頃
【鈴木孝政】の頭が大きいということで、
「アタマサ」と呼ばれているのを、
TV番組で知りました。
(3)バラエティー番組に出演
【鈴木孝政】は
「歌手の八代亜紀」のファンで、
フジTV系列の「公開お見合い番組・
ラブラブショー」で
「八代亜紀」と演出とはいえ
デートができ、
喜んでいる表情が印象に残っています。
4、おわりに
【鈴木孝政】は、「中日」が待ち望んだ
速球で勝負ができる投手でした。
当時のプロ野球の
スーパースター「O・N」に
対して直球で勝負に挑む姿に
感銘を受けました。
このような【鈴木孝政】も間違いなく、
記録と記憶に残る投手でした。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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