最終更新日 2024年9月1日
広告
1、はじめに
ミスタードラゴンズと呼ばれた
【高木守道】は、
走攻守全てにおいて、
素晴らしい成績を残しました。
しかし、
二度にわたる「致命的」な
デッドボールにより
打撃に影響をお及ぼしました。
これがなければ、
生涯打率も3割を残せたと言われています。
監督時代には1994年の
「国民的行事10.8決戦」で敗れたり、
2012年のクライマックスシリーズでは、
3連勝で王手をかけたところで、
3連敗をして、
いずれもあと一歩のところで「大魚」を
逃しています。
このような結果を「人柄が災いしている」
と言った人もいますが、
私には「常に悲運」
つきまとっていたように思えます。
そんな【高木守道】の
プロフィール・選手、監督成績を
紹介します。
ぜひ悲運の天才を知って、
話題のタネにしてください。
2、プロフィール
1947年7月17日:名古屋市生まれ
1951年8月19日:中日球場(現ナゴヤ球場)で
兄と巨人戦を観戦中に球場が火災。
難を逃れる。
中学時代:野球部で活躍。
1957年4月:甲子園の常連校
「県立岐阜商業」に入学し、
野球部に入部。
「特別コーチ」として招かれた
【長嶋茂雄】の助言で
1年生からレギュラーになる。
夏の甲子園は準々決勝で敗退。
1959年:春の選抜の決勝で
中京商業(現中京大中京)に敗れる。
夏は、岐阜県予選の決勝戦で敗れる。
1960年:中日ドラゴンズ入団。
1960年5月7日:大洋ホエールズ戦
(現横浜ベイスターズ)で、
プロ入り初打席初ホームラン。
1962年:「半田春夫」から伝説の
バックトスを伝授され、
その後猛練習で【高木守道】の
代名詞となる。
1963年:初の規定打席到達。
盗塁王獲得。
1964年8月5日:1試合5盗塁を記録。
1965年:盗塁王獲得。
1968年5月28日:巨人の「堀内恒夫」
から野球人生を変えてしまう
デッドボールを顔面に受け
「一時意識不明」になる。
結果「後遺症」により、
長期に渡り打撃不振に陥る。
1969年7月30日:プロ入り通算1000試合出場を記録。
1969年8月26日:プロ入り通算100号ホームランを記録。
1969年9月28日:プロ入り通算1000本安打を記録。
1973年8月28日:プロ入り通算1500試合出場を記録。
1973年9月8日:プロ入り通算300盗塁を記録。
1973年:盗塁王獲得。
1974年4月22日:プロ入り通算1500本安打を記録。
1974年9月30日:プロ入り通算150号ホームランを記録。
1974年:中日20年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献。
日本シリーズでは、ロッテを相手に大活躍するが、
第4戦、自打球を左足に当て骨折。
1977年6月12日~14日:4打席連続ホームランを記録。
1977年8月22日:プロ入り通算200号ホームランを記録。
1977年9月1日:プロ入り通算350盗塁を記録。
1977年9月14日:プロ入り通算300二塁打を記録。
1977年9月14日:プロ入り通算3000塁打を記録。
1978年4月5日:プロ入り通算2000本安打を記録。
1978年4月7日:プロ入り通算2000試合出場を記録。
1978年6月22日:プロ入り通算1000得点を記録。
1979年:38歳で打率3割を記録。
1980年:現役引退。
ベストナイン:7回(二塁手)
ダイヤモンドグラブ賞:3回(二塁手)
NPB80周年記念ベストナイン(二塁手)
1981年:中日・一軍作戦守備コーチに就任。
1984年:中日・二軍監督に就任。
1986年:中日・一軍作戦コーチ就任。
7月6日から代理監督。
1992年:中日・一軍監督に就任。
1995年6月3日:休養後中日・一軍監督退任。
2012年:第二次監督就任。
2014年:第二次監督退任。
広告
3、選手成績
年度 | 球団 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1960 | 中日 | 51 | .192 | 3 | 6 | 2 |
1961 | 中日 | 80 | .212 | 2 | 11 | 4 |
1962 | 中日 | 96 | .280 | 1 | 15 | 10 |
1963 | 中日 | 133 | .254 | 10 | 39 | 50 |
1964 | 中日 | 123 | .293 | 8 | 31 | 42 |
1965 | 中日 | 132 | .302 | 11 | 48 | 44 |
1966 | 中日 | 113 | .306 | 17 | 59 | 20 |
1967 | 中日 | 118 | .292 | 19 | 66 | 9 |
1968 | 中日 | 83 | .239 | 10 | 33 | 11 |
1969 | 中日 | 130 | .251 | 24 | 66 | 20 |
1970 | 中日 | 118 | .258 | 10 | 51 | 18 |
1971 | 中日 | 120 | .239 | 8 | 22 | 28 |
1972 | 中日 | 118 | .251 | 10 | 42 | 19 |
1973 | 中日 | 122 | .273 | 5 | 31 | 28 |
1974 | 中日 | 121 | .276 | 15 | 47 | 14 |
1975 | 中日 | 116 | .298 | 17 | 51 | 16 |
1976 | 中日 | 98 | .265 | 17 | 44 | 7 |
1977 | 中日 | 121 | .291 | 20 | 52 | 10 |
1978 | 中日 | 89 | .283 | 13 | 37 | 3 |
1979 | 中日 | 120 | .300 | 11 | 48 | 11 |
1980 | 中日 | 80 | .233 | 5 | 14 | 3 |
通算 | 21年 | 2282 | .272 | 236 | 813 | 369 |
4、監督成績
年度 | 球団 | 試合 | 勝 | 負 | 引分 | 勝率 | 順位 |
1986 | 中日 | 68 | 29 | 35 | 4 | .453 | 5 |
1992 | 中日 | 130 | 60 | 70 | 0 | .462 | 6 |
1993 | 中日 | 132 | 73 | 57 | 2 | .562 | 2 |
1994 | 中日 | 130 | 69 | 61 | 0 | .531 | 2 |
1995 | 中日 | 39 | 13 | 26 | 0 | .333 | 5 |
2012 | 中日 | 144 | 75 | 53 | 16 | .586 | 2 |
2013 | 中日 | 144 | 64 | 77 | 3 | .454 | 4 |
通算 | 7年 | 787 | 383 | 379 | 25 | .503 |
広告
5、おわりに
表面上は無口で温和なところから
【高木守道】は
「むっつり右門」と呼ばれていました。
それとは反対に
「自分の野球スタイル」は絶対に曲げず、
否定されたときは、
監督やコーチであっても
「くってかかったと」
言われています。
このような両極端な性格が
「良くも悪くも」
選手、監督の成績に表されています。
それが【高木守道】の魅力です。
そんな【高木守道】を
知って頂ければと思い、
プロフィール・選手、監督成績を
紹介しました。
最後まで読んで頂き有難うございます。
参考書籍:ウィキペディア