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1、はじめに
元読売巨人軍の【江川卓】は
「空白の一日事件」という
大事件の当事者となり、
巨人入団までに
こじれにこじれました。
この一件は、
当時の金子鋭コミッショナーの
「強い要望」により
阪神から巨人への移籍という形で
決着しました。
当時のマスコミは【江川卓】を批判し、
「エガワる」という流行語にもなり、
ダーティーなイメージで
「悪役」にされました。
そんな【江川卓】ですが、
学生時代から「怪物」と呼ばれ
数々の大記録を残しました。
巨人入団後も、
巨人のエースはもちろんですが、
日本のエースとしても
大活躍しました。
以下にプロフィールと
選手成績を紹介します。
数字でその凄さを感じ取って
頂ければ幸いです。
2、プロフィール
1955年5月25日:福島県いわき市生まれ
中学時代:怪物の片鱗を見せ、
公式戦でノーヒットノーランを記録
1971年4月:作新学院高等部入学
1971年7月:選手権大会の栃木予選で
栃木県高校野球史上初の完全試合達成
1972年7月:選手権大会の栃木予選で
2試合・ノーヒットノーラン、
1試合・完全試合の大活躍も、
甲子園出場ならず
1973年3月~4月:選抜高校野球で甲子園出場も
準決勝で敗退、
この大会で60奪三振の大会記録を作る
1973年7月:選手権大会の栃木予選の
2回戦、3回戦、決勝でノーヒットノーラン
甲子園出場
1973年8月:甲子園は2回戦で敗退
1973年11月20日:ドラフト会議で
阪急ブレーブスから1位指名も
入団拒否
1974年4月:法政大学入学
1974年秋季リーグ:当時では
最年少の投手のベストナイン
1975年:日米野球・日本代表
1976年:日米野球・日本代表
1976年~1977年:法政大学4連覇に貢献
1977年:日米野球・日本代表
1977年11月22日:ドラフト会議で
クラウンライター・ライオンズから
1位指名も入団拒否
1978年:作新学院職員として
アメリカ留学
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1978年11月21日:「空白の一日事件」発生
1979年1月31日:阪神入団
1979年4月7日:トレードで巨人に移籍
1979年6月2日:後楽園球場の阪神戦で、
プロ初登板・初先発
8回5失点で敗戦投手
1979年6月17日:後楽園球場の広島戦で
プロ初勝利・初先発勝利
1979年8月14日:後楽園球場の阪神戦で
プロ初完投勝利
1979年8月26日:後楽園球場の広島戦で
プロ初完封勝利
1980年:最多奪三振、
最多勝利のタイトル獲得
最優秀投手賞、
ベストナイン受賞
1981年:最多奪三振、
最優秀防御率、
最多勝利、
最高勝率のタイトル獲得
最優秀選手賞、
最優秀投手賞、
ベストナイン受賞
1982年:最多奪三振のタイトル獲得
1983年6月14日:後楽園球場の阪神戦で
プロ通算1000投球回達成
1983年7月29日:広島市民球場の広島戦で
プロ初セーブ
1984年9月9日:後楽園球場ヤクルト戦で
プロ通算1000奪三振
1984年:最高勝率のタイトル獲得
1985年6月4日:甲子園球場の阪神戦で
プロ通算100勝達成
1986年4月4日:後楽園球場のヤクルト戦で
プロ通算1500投球回達成
1987年:現役引退
1988年3月18日:引退セレモニー
3、投手成績
年度 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 奪三振 | 防御率 |
1979 | 巨人 | 9 | 10 | 0 | 138 | 2.8 |
1980 | 巨人 | 16 | 12 | 0 | 219 | 2.48 |
1981 | 巨人 | 20 | 6 | 0 | 221 | 2.29 |
1982 | 巨人 | 19 | 12 | 0 | 196 | 2.36 |
1983 | 巨人 | 16 | 9 | 3 | 131 | 3.27 |
1984 | 巨人 | 15 | 5 | 0 | 112 | 3.48 |
1985 | 巨人 | 11 | 7 | 0 | 117 | 5.28 |
1986 | 巨人 | 16 | 6 | 0 | 119 | 2.69 |
1987 | 巨人 | 13 | 5 | 0 | 113 | 3.51 |
通算 | 9年 | 135 | 72 | 3 | 1366 | 3.02 |
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4、おわりに
【江川卓】のプロフィールと
投手成績を紹介しました。
実働は9年ですが
中身の濃い活躍をしました。
紹介をしていませんが、
勝率が「.652」と素晴らしく、
奪三振も9年連続で「100以上」もあり、
さすがは速球派投手だと頷けます。
また、
球種が直球とカーブだけで、
通算135勝もできたのも、
直球の威力とカーブの切れが
抜群だったからだと思います。
ダーティーなイメージを持ち
9年間第一線で活躍することができた
「精神力」にも驚かされました。
巨人に入団し9年間、
トレード相手の「小林繁」に対して
わだかまりがありましたが、
引退後に共演したCMで
わだかまりが取れたそうです。
そんな【江川卓】の投球フォームが
今も私の記憶にあります。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考資料:ウィキペディア