最終更新日 2024年9月22日
広告
1、はじめに
1980年代の中日ドラゴンズの
キャッチャーとして活躍した選手に
【中尾孝義】がいました。
走攻守3拍子揃ったキャッチャーで、
それまでのキャッチャーの概念を
変えた選手でもあります。
機敏な動きでファンから愛された
【中尾孝義】を紹介します。
2、中尾孝義とは
(1)一休さん
【中尾孝義】のトレードマークは、
つばと耳当てのない
丸型のキャッチャー用ヘルメットです。
日本のキャッチャーで
最初に取り入れたのが【中尾孝義】です。
そのヘルメットをかぶり、
顔も童顔で、動きが機敏だったので、
「一休さん」と呼ばれていました。
広告
(2)研究熱心
1980年のドラフト会議で
入団を希望していた「中日」から
1位指名を受け
翌1981年に入団しました。
その当時の正捕手は「木俣達彦」で
バッティングがいいので、
レギュラー取りは難しいと
言われていました。
入団早々木俣の守備の
弱点を調べ上げ、
守備を磨き1年目でレギュラーを
奪取しました。
(3)ケガに泣く
【中尾孝義】は、
キャッチャーとしてのセンスは
抜群ですが、
小柄で線が細いので、
キャッチャーの重労働に耐える
ことが難しかったのか、
入団3年目以降は
毎年100試合未満の出場にとどまり、
1988年には「外野」にコンバートされました。
このケガが克服できれば、
キャッチャーとして中日の
ホームベースを長期にわたって
守ることができたのではないかと
思い非常に残念です。
広告
3、おわりに
【中尾孝義】の紹介をしました。
1988年セリーグ優勝の年に
巨人・西本聖とのトレードは
ショックでした。
1988年はコーチとの軋轢もあり
外野へコンバートされ、
キャッチャーは「中村武志」に
譲ることになりました。
そんなことから、
「もしかしたらトレードかも」
と思ってはいましたが、
いざ実現するとやはりショックでした。
巨人では「キャッチャー」としての
出場が多くなりそうだったので、
本人にとっては
いいトレードだったと思い
納得しました。
トレード後は不遇な面もあったようですが、
日本の「キャッチャー像」を
変えた選手としていつまでも
私の記憶に残っています。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考資料:ウィキペディア