中日ドラゴンズ名選手列伝【燃える男・強気の勝負・星野仙一】

最終更新日 2024年9月16日



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1、はじめに


中日ドラゴンズの
エースナンバー「20」
一番似合った投手は、
私の記憶の中では【星野仙一】です。


闘将、燃える男と言われ、
常に強いものに逃げもせず立ち向かう
選手時代は私の心を熱くしてくれました。


勝負できるほどの
速球があったわけではないのに、
一流の変化球(フォーク、スライダー)と
強気の勝負で146勝をあげました。


そんな【星野仙一】には
数えきれないほどの、
エピソードがありました。


その中で、
私が見聞きしたエピソードで、
最も記憶に残っている話を
紹介します。

星野仙一出身地・倉敷
星野仙一出身地・倉敷


(1)プロ入り前


①小学生の頃


・テレビの「星野仙一物語」で知りましたが、
小学生時代重い障害を持つ友達を
1年間おんぶして通っていました。


・親分肌で思いやりのある【星野仙一】
らしいエピソードです。



②明治大学時代


・大学時代はノーヒットノーランを
記録するなどの個人記録はありますが、
チームとしては、
優勝経験がありませんでした。


・そんな大学時代のエピソードとして、
従兄から聞いた話があります。


・審判の「ストライク、ボールの判定」
「食って掛かかる」という
アマチュア選手では考えられない行動を
とっていたそうで、
「勝ち」にこだわる【星野仙一】らしい
エピソードだと思いました。



③1968年ドラフト会議


【星野仙一】は阪神ファンだったので、
阪神に入団したいと思っていましたが、
明治大学と阪神の仲が悪く
阪神から指名があれば
社会人野球に行くことになっていました。


・そんな中でのドラフト会議で、
巨人が「法政大学・田淵幸一」
指名できなかった場合に指名する
という話があったとされていましたが、
巨人は田淵を指名できなかったにも拘らず
「島野修」を1位指名しました。


【星野仙一】「星」と「島」
間違いではないかと悔しがりました。


・この出来事により「打倒・巨人」に燃え
「巨人キラー」
呼ばれる所以になりました。





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(2)プロ入り後



①1974年中日20ぶりのセリーグ優勝


・1974年10月12日、
中日は悲願の20年ぶりの
セリーグ優勝を果たしました。


・胴上げ投手は【星野仙一】で、
打倒巨人を果たすことができました。


・この時の【星野仙一】が吠え、
「木俣達彦」【星野仙一】
飛びついたシーンが印象的でした。


・優勝決定後に
「長嶋茂雄・引退」が決まり、
このニュースが大きく取り上げられ、
「中日・優勝」のニュースは
影が薄くなりました。


・そんな中、優勝パレードと
「長嶋引退試合」が、
天候のいたずらで重なってしまいました。


・ファンを大事にし、
「長島茂雄」を尊敬する【星野仙一】
悩んだ挙句、
「長島引退試合」に出場できない
電話を入れ、お詫びをしました。


・優勝パレードでは、
ファンとの握手で手が腫れてしまい、
投げれる状態ではなかったと
言われていました。



②宇野勝ヘディング事件


・1986年8月26日、後楽園球場の
巨人対中日で
後にテレビで「好プレー・珍プレー」
放送されるきっかけとなった、
「宇野勝」ヘディング事件がありました。


・この試合前まで、
巨人は158試合連続得点を続けていました。


・この記録を止めるために立ちあがった
【星野仙一】は7回ツーアウト2塁まで、
2-0で無得点に抑え記録を
止める勢いがありました。


・この場面で打席に立った「山本功児」は、
簡単にショートフライを打ちあげ
誰もがチェンジだと思った瞬間、
「宇野勝」が打球を頭部にあて
ヘディングをしたように大きく弾み
外野フェンスに転がり、
この間に二塁走者が生還し、
159試合連続得点を記録しました。


・この時、ホームベースのカバーに
入っていた【星野仙一】はグラブを地面に
たたきつけ悔しがりました。



③ノックアウトされた時


【星野仙一】がノックアウトされて、
ベンチに戻る前にグラブをたたきつける
シーンがよくありましたが、
これは【星野仙一】独特のパフォーマンス
だったと言われています。



④交友関係


・交友関係の広い【星野仙一】ですが、
私が一番記憶に残っているのは、
「作詞家・山口洋子」です。


・この関係で、
「山口洋子作詞」でレコードを
出しています。



中日ドラゴンズ・本拠地バンテリンドーム
中日ドラゴンズ・本拠地バンテリンドーム

3、おわりに


【星野仙一】のエピソードを紹介しました。


1974年に「元祖・燃えよドラゴンズ」では、
「星野仙一強気の勝負」と歌われていますが、
この言葉通りに「王・長嶋」の最強・巨人に
臆することなく立ち向かう姿に
勇気をもらいました。


そんな勇姿が今も「私の記憶」にあります。


背番号20の【星野仙一】は、
記録にも記憶にも残る
中日ドラゴンズファンが誇れる
投手です





最後まで読んで頂きありがとうございます。







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