【長嶋茂雄】の名言・引退試合の「我が巨人軍は永久に不滅です」を「話題のタネ」に!

最終更新日 2021年8月13日


目次

1、はじめに


2、1974年の巨人


3、引退試合


4、おわりに


5、関連記事

1、はじめに


「我が巨人軍は永久に不滅です」


私の知っているプロ野球選手の中で
「長嶋茂雄」ほど
印象に残る言葉を残した人はいません。

お笑いのネタになるような迷言
多く取り上げられていますが、
心に残るような「名言」も残しています。

その一つが、
「我が巨人軍は永久に不滅」です。
この「名言」は、1974年(昭和49年)
10月14日の
「長嶋茂雄・引退セレモニー」での言葉です。

この日の試合は、テレビで観戦をしていましたが、
この言葉を聞いた時「背筋が思わずゾクッ」としました。

ここまで言い切ってしまうとは、
「長嶋茂雄」でなければ、
言えない言葉で「本当にすごい人」だと思いました。

そこで、この「名言」が出るまでの状況を紹介します。
ぜひ話題のタネにして下さい。




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2、1974年の巨人


1974年の巨人は、前年阪神との
最終戦でセ・リーグ優勝を決め
辛うじて、9連覇を達成しましたが、
連覇の陰りが見え始めた
という状況でシーズンの
開幕をしました。

大事な試合での取りこぼしがあり、
シーズン終盤には「ミラクルドラゴンズ(中日)」が、
連日の奇跡とも思える逆転勝ち、
サヨナラ勝ちで勢いに乗り、
20年ぶりのセ・リーグ優勝を決め、
巨人の10連覇の夢は
消えてしまいました。

この瞬間「長嶋茂雄」の現役引退が確定しました。

そして「引退会見」があり
「体がボロボロになるまでやれて幸せだった」
「この一年は自分の限界との闘いだった」
と言っていました。
また「最後まで試合に出る」と宣言しました。

翌日のスポーツ紙は「長嶋茂雄引退」のニュースが一面を飾り
中日の20年ぶりの優勝がすっかりかき消されました。

「長嶋茂雄」の引退試合は、10月14日の中日戦でしたが、
この日は「中日の優勝パレード」の日でもありました。

雨や日本シリーズの日程から、「中日の優勝パレード」を
行える日は10月14日だけでした。

中日の主力選手は、偉大な「長嶋茂雄」の「引退試合」には
「ぜひ出場したいし、出場しなければ失礼」という思いと
20年ぶりの優勝で沸く、「地元のファン」の前に
「勇姿を見せたい」という思いで苦悩しました。

結局、当時「一発長打の大島君」
言われていた「大島康徳」
中心とした若手が「長嶋茂雄引退試合」
出場することになりました。
「大島康徳」は東海地方で、
とても人気のある選手だったので、

パレードで見ることができず
「がっかり」するファンが多かったです。

一方、「優勝パレード」に参加する選手の中で
当時「ミスタードラゴンズ」と言われた「高木守道」
「長嶋茂雄引退試合」に出場できないことに対して、
球団に異を唱え直談判しましたが認められませんでした。

そこで「長嶋茂雄引退試合」に出場できないことを
直接説明し、理解してもらうと共にお詫びをしました。

これに対して【長嶋茂雄】「自分の引退試合」よりも
「20年ぶりの優勝パレードの方が大事」と言ったそうです。

この言葉を聞き「高木守道」は、
もやもやしていたのが少しだけ晴れたと言っていました。

「高木守道」は、県立岐阜商業3年の時、
当時、立教大学の野球部だった「長嶋茂雄」
コーチとして訪れ、指導をしてもらい、
その素質を見出してくれた「長嶋茂雄」に心酔していました。

それだけに「長嶋茂雄引退試合」に出場して、
花束を渡し、お礼の言葉を伝えたかったに違いありません。

また「与那嶺要監督」や「星野仙一」からも、
お詫びの電話があったそうです。

このような状況でしたので、
「中日は何故?長嶋引退試合に主力を出さないのか」
「引退試合を公式戦で行うのはおかしい」
(当時の引退試合は、オープン戦で行っていた)
といった批判の声が飛び交いました。



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3、引退試合


この日の試合のスタメン発表で、
「4番サード・長嶋・背番号3」とアナウンスされた時は
大歓声になりました。
やはり「巨人の4番サードは長嶋」であることを物語ることでした。

現役最後のホームラン「444本目」を放ち、
さすが「スーパースター」と思わせてくれました。

この日の試合前「王貞治」と
「ON最後のアベックホームラン」を打とうという
話しをしていたそうです。

そこで言った通りに現役最後の
「ONアベックホームラン」となる
「444本目」を放つちところは
さすが「スーパースター」と思わせてくれました。

最終打席は「併殺打」で
これも「長嶋茂雄」らしい終わり方でした。

9回の表、中日最後のバッターは「大島康徳」でした。
打席に入る前から「サード」「サード」と連呼がありました。

「大島康徳」も、当然「サード」へ打つつもりで、
打席に入りましたが、振り遅れてしまい「ライト」
へ打ってしまったそうです。

この試合で印象的だったのは、
今ではほとんど行われないダブルヘッダーの
(1日に連続して2試合行う)
1試合目と2試合目の間に「長嶋茂雄」
「ファンに感謝」したいという思いからグランドを
一周しました。
その時スタンドからは、
「長嶋やめるな!」「長嶋まだやれるぞ!」
「長嶋ありがとう」
と言った声が聞こえ、「長嶋茂雄」がハンカチで目頭を
押さえながら途中立ち止まったりする姿にとても
感動しました。

また、「引退セレモニー」でバックスクリーンに
「栄光の背番号3」と映し出された時には、
より深い感動をしました。

このような雰囲気の中で出た名言が、
「我が巨人軍は永久に不滅です」
この名言「後楽園球場」は、
最高のボルテージになりました。

「引退セレモニー」が終了しても
誰一人として帰る観客がいませんでした。

そこでグランドに戻ると「大歓声」に包まれ
本当に最後の別れをしました。

偉大な「長嶋茂雄引退試合」は、感動の連続で
幕を閉じました。

この引退試合の「お客さん」の拍手は
「生涯」頭の中から離れないと言っていました。




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4、おわりに


【長嶋茂雄】ほど、
球団を超えてどの球団のファンからも
愛された人はいないと思います。

そのファンのために【長嶋茂雄】
一つの「白いボール」「バット」
運命と人生をかけてやってきたと
言っていました。

その姿に我々ファンは魅せられました。

私が子供の頃は誰もが【長嶋茂雄】
魅せられて野球やソフトボールをする時は
「背番号3」「打順は4番」「守備はサード」
にあこがれました。

そんな【長嶋茂雄】は、いつまでも「ヒーロー」
あり続けると思っていました。

しかし「ファンを喜ばせ」「ヒーロー」であり続けるためには、
これが限界でした。

1974年10がつ14日【長嶋茂雄】が燃え尽きました。
かっこいい【長嶋茂雄】が、
かっこいいまま「引退」しました。
かっこいい名言を残して。

【我が巨人軍は永久に不滅です】であるように
【我らが長嶋茂雄は永久に不滅です】
これが希望です。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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