最終更新日 2023年6月7日
目次
1、はじめに
2、名言集
3、おわりに
4、関連記事
1、はじめに
【長嶋茂雄】の名言を「26」集めました。
【長嶋茂雄】が日本プロ野球の
「スーパースター」であり続けるための
「努力、苦悩」のごく一部ですが、
垣間見ることができます。
仕事や生活で「悩み」がある時には、
「悩み」解決のヒントが!
疲れた時には元気になる!
などの「名言」があります。
ぜひ参考に読んでみて下さい。
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2、名言集
※ 「努力は人が見ていないところで
するものだ努力を積み重ねると
人に見えるほどの結果が出る」
天才と呼ばれる
【長嶋茂雄】なので、
努力とはほど遠い人だと
思われていましたが、
実際は「練習の虫」と言われるほどの
努力を入団当初から陰でしていました。
それは【長嶋茂雄】には、
「練習を人に見られたくない」
というポリシーがあったからです。
※「自分を磨いてプロ野球を発展させる」
この「名言」は、
【長嶋茂雄】が口に出して言った
ものではなく、「読売巨人軍」に
入団当初から考えていた事を
日々自分を磨く事により「実現」しました。
※ 「書物理論だけでは、
本来秘めている先天的なもの、
ひらめきといったものを生かせない。
それが、皮膚理論という、
血となり肉とならなければ
だめだと思います。」
株式会社河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
「長嶋茂雄 語録」より引用
この「名言」は
1972年のキャンプ直前の言葉です。
※ 「我が巨人軍は永久に不滅です」
この「名言」は、1974年(昭和49年)10月14日の
「長嶋茂雄・引退セレモニー」
での言葉です。
※ 「野球で生活して行く上に置いて
ハッピーという言葉はない。
毎日が苦悩の世界です。」
河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
「長嶋茂雄 語録」より引用
この「名言」は1974年の
「伝説の引退試合」から
1週間後に発言されました。
野球で生活していく上において
ハッピーと言う言葉はない・・
の詳細はこちらからどうぞ
※ 「国民的行事」
この「名言」は
1994年(平成6年)10月8日
ナゴヤ球場で、
中日ドラゴンズ対読売巨人軍の
試合がありました。
公式戦の最終試合で
同率の両チームが対戦し、
勝った方が優勝という試合の事を
当時の巨人軍・監督【長嶋茂雄】が
名付けました。
※ 「メークドラマ」
1995年(平成7年)に
発信された【長嶋茂雄】の造語 で
選手達のやる気を起こし、
チームが一丸となり、
「大逆転・優勝」を目指すために
言った「名言」です。
※ 「スランプになっても落ち込まない」
【長嶋茂雄】は「自分のプレー」に絶対的な
自信を持っていました。
それは「普段の練習」により
裏付けられた自信です。
※ 【1000日計画】
1992年のドラフト会議で
【長嶋茂雄】が【松井秀喜】を引き当てた時から
始まった【松井秀喜】を「日本プロ野球界の4番」
に1000日(約3年)でするために
使った【長嶋茂雄】の「名言」です。
※ 「失敗は成功のマザー」
この言葉は、第一次長嶋政権の
2年目1976年(昭和51年)の言葉です。
【長嶋茂雄】の
数ある名言(迷言)の中でも
いかにも【長嶋茂雄】らしいユニークな
「英語」を使った造語です 。
※ 「人間力を高めろ!」
【長嶋茂雄】はプロ野球人として
技術力を磨くと共に
「人間力を高める」指導を
してきました。
特に「松井秀喜」には
「素振り」指導だけでなく、
「人間力を高める」
指導を徹底していました。
※ 「選手ならともかく、
監督とかコーチという管理職は
野球ばかでは務まらない。」
河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
「長嶋茂雄 語録」より引用
この「名言」は1982年の言葉です。
1980年に「読売巨人軍」の監督を解任され
浪人2年目の言葉です。
選手ならともかく管理職は野球ばかでは
務まらないの詳細はこちらからどうぞ
※ 「 終身打率にこだわっていません。
どこまで元気にやれるか
それだけです。
株式会社河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
「長嶋茂雄 語録」より引用
この言葉は【長嶋茂雄】が引退する前年の
1973年のシーズン終了後の言葉です。
終身打率打率にはこだわっていません・・
の詳細はこちらからどうぞ
※ 「悔いを残す野球人生で終わりたくない
執念の燃えカスが残っている限り
最後の最後のカスまで
ポッポと燃えているうちは
この一か八かの勝負の世界に挑戦する」
株式会社河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
「長嶋茂雄 語録」より引用
この「名言」は、
1973年のキャンプ入り直前の
言葉です。
悔いを残す野球人生で終わりたくない・・
の詳細はこちらからどうぞ
※「私のモットーは、誠のある非情だ」
株式会社河出書房新社発行
編者:小林信也
発行者:小野寺優
「長嶋茂雄 語録」より引用
この「名言」は1975年の正月の言葉です。
※ 「負けるのは監督が悪い」
この「名言」は1975年8月の
終わり頃のインタビューで言った
「名言」です。
※ 「スランプを何度も自分なりに
克服してきた」
この名言は1974年(昭和49年)の
シーズン途中で新聞に
自ら書いた手記の一部です。
※ 「もうひとりの長嶋をつくりたい」
この「名言」は、
1980年9月初め頃の言葉です。
※ 「勝てば官軍、
負ければ賊軍なんです」
この言葉は、
1979年の新年早々の言葉です。
※ 「ファンに感謝する真心があれば、
体力の限界まで力を出すことが
できるはずだ」
この「名言」は、1971年12月の終わり頃の
言葉です。
ファンに感謝する真心があれば、
体力の限界まで力を出すことが
できるはずだの詳細はこちらからどうぞ
※ 「35,36歳からが本当の
自分との戦いだ!」
この「名言」は、1972年11月頃の言葉で、
36歳の時です。
35,36からが本当の自分との戦いだ
の詳細はこちらからどうぞ
※ 「乗れる状態に自分を持っていける
選手は超一流だと思う」
この「名言」は、
1977年1月の初め頃の言葉です 。
乗れる状態に自分を持っていける選手は
超一流だと思うの詳細はこちらからどうぞ
※ 「1+1で3,4を望んではいかん、
1+1は2でいいんだ」
この「名言」は、
1980年9月初め頃の言葉です。
1+1で3,4を望んではいかん、
1+1は2でいいんだは
こちらからどうぞ
※ 「陰の苦労とか苦悩を決して
人前で見せるべきでない」
この「名言」は
1973年のキャンプ直前の言葉です。
陰の苦労とか苦悩を決して人前で
見せるべきではないの詳細は
こちらからどうぞ
※ 「ぼくは順調すぎた、
脚光ばかり当たり裏街道を知らなかった」
この「名言」は、
1973年の終盤「デッドボール」で
左手薬指を骨折し、欠場中の時の言葉です。
ぼくは順調すぎた、
脚光ばかり当たり裏街道を知らなかった
の詳細はこちらからどうぞ
※ 「攻めに徹しての365日だった」
この「名言」は、1976年10月【長嶋茂雄】監督として、
初めてセ・リーグ優勝をした時の
言葉です。
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3、おわりに
いかがでしたか?
【長嶋茂雄】の26の
「名言」を紹介しました。
いずれも【長嶋茂雄】独特の
言い回しですが、
何となく理解できる
意味深い「名言」です。
何かあった時は、ぜひ読んで頂き
問題解決の糸口にして頂ければ幸いです。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
4、関連記事
(長嶋茂雄・プロフフィール、選手、
監督成績はこちらどうぞ)
(長嶋茂雄・迷言「あ行~た行」は
こちらからどうぞ)
(長嶋茂雄・迷言「な行~わ行」は
こちらからどうぞ)
【日本プロ野球】衝撃の事件!
「長嶋茂雄監督、突然の解任劇!」は
こちらからどうぞ

