【中日ドラゴンズ】名選手列伝「マサカリパンチ・野球博士の木俣達彦」

最終更新日 2022年4月25日

目次

1、はじめに

2、6番木俣が流し打ち

3、マサカリパンチと野球博士

4、印象に残っていること

5、おわりに

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Photo by Pixabay on Pexels.com

1、はじめに

【木俣達彦】は、
V9時代の強い「読売巨人軍」に
真っ向勝負で挑んだ「中日ドラゴンズ」の
正捕手です。

「野村克也」という
偉大な捕手がいましたが、
当時としては珍しい
「打てる捕手」でした。

そのバッティングは「マサカリ打法」
として、ヒットを量産しました。

また、日本の野球選手として
「トレーニング方法、器具、健康管理」を
熱心に研究した草分け的な存在で、
「野球博士」とも呼ばれていました。

そんな【木俣達彦】について紹介します。

知らない方も多いかと思いますが、
「中日ドラゴンズ」歴代NO1で、
当時はセ・リーグでもNO1の
キャッチャーを頭の片隅にでも
ぜひ入れて下さい。


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2、6番木俣が流し打ち

1974年(昭和49年)中日ドラゴンズが
読売巨人軍と激しい首位争いを
しているときに、
名古屋の放送局に山本正之が
作詞、作曲し、自らが歌う
「元祖、燃えよドラゴンズ」の
テープが送られてきました。

この歌を聞いた時「衝撃」を受けました。
リズムや歌詞、歌声が新鮮でした。

この歌が中日の20年ぶりのセ・リーグ優勝を
後押しになったと私は思いました。

この歌で【木俣達彦】
「6番木俣が流し打ち」と
歌われています。

元来【木俣達彦】は、
「プルヒッター(引っ張り専門)」で、
レフト方向の打球が多い選手でした。

さらに、プロ野球選手としては
「足が遅かった」ので、
三遊間、二遊間の深い所へ行った打球が
内野安打にならないケースが多く、
打率を残せませんでした。

それが1974年頃から、
ライト方向への打球が増え、
打率を残せるようになりました。

3、マサカリパンチと野球博士

(1)【木俣達彦】といえば
「マサカリパンチ」です。

マサカリとは:大型の斧のことで、
材木の伐採などに使われます。


バッターボックスに入るときに、
バットを担いで打席に入る姿や
バットをマサカリのように振り下ろす
姿が、
童話の「金太郎」のように見えることから
つけられました。

技術的には、ボールを上から叩ける
ように一本足で、グリップをいったん下げ
トップの位置へ持ってくる
独特な打撃フォームです。

(2)野球博士

【木俣達彦】はトレーニングや器具、
健康管理に惜しまず投資したので、
「野球博士」といわれていました。

自宅にトレーニングルームを作り、
バッティングマシン、トレーニング器具を
取り揃え、
常にトレーニング方法を研究していました。

また、キャッチャーマスクに
のどをガードする
「スロートガード」を
最初につけました。

健康管理にも注意していましたが、
その中で、
具体的にどんな療法か知りませんが、
【木俣達彦】が行っていた
「へその緒療法」という
言葉だけが頭に残っています。



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4、印象に残っていること

1974年10月12日、
中日20年ぶりの優勝の瞬間、
胴上げ投手の「星野仙一」に
【木俣達彦】が飛びつきました。

当時の優勝の瞬間といえば、
ピッチャーがキャッチャーに
飛びつくのが一般的でしたが、
【木俣達彦】が嬉しさのあまり
「星野仙一」に飛びついた
ことが、
【木俣達彦】の憎めない性格が
あらわれているようで
微笑ましかったです。

事実、年下の「星野仙一」からも
親しみを込めて「キーちゃん」と
呼ばれていました。

5、おわりに

いかがでしたか?
【木俣達彦】の紹介をしました。

「マサカリパンチ」
という豪快な打撃の反面
「野球博士」と呼ばれるほど
トレーニング、器具、健康に
気を使うという両極端が
【木俣達彦】
魅力ではないでしょうか。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

参考資料:ウィキペディア






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