最終更新日 2024年9月1日
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1、はじめに
【谷沢健一】は、
選手として「中日ドラゴンズ」一筋で
途中、選手生命を脅かすほどの
アキレス腱痛を克服し、
打撃成績では「球団一」とも
いえる成績を残し現役を引退しました。
現役を引退する時の監督
「星野仙一」との確執が噂され
「現役引退」を余儀なくされた
との話もありましたが、
実際のところはわかりません。
また、
打撃成績で偉大な数字を残し、
チームへの貢献度が
高かった選手だったので
引退後には「何らかの形で」チームに
関わるべきなのに全くありませんでした。
そこに何かの力が働いたとは
考えたくありませんが、
【谷沢健一】が指導者として
「中日ドラゴンズ」の
ユニホームを着る姿が見たかったです。
そんな【谷沢健一】のプロフィールと
選手成績を紹介します。
天才打者【谷沢健一】の凄さを
ぜひ感じて下さい。
2、谷沢健一プロフィール
1947年9月22日:
千葉県東葛飾郡柏町(現柏市)生まれ
1963年4月:習志野市立習志野高校入学
1964年:習志野高校2年
外野手のレギュラー兼控え投手
1965年:習志野高校3年
夏の甲子園県予選で敗退
阪急ブレーブス(現オリックス)に
ドラフト指名も拒否
1966年:早稲田大学入学
1967年:春季リーグで首位打者を獲得
1968年:秋季リーグで優勝
1969年:野球部主将を務める
1970年:前年のドラフト会議で
1位指名の中日ドラゴンズに入団
新人王獲得
1971年:レギュラーに定着
1972年:3番打者に定着、
打率も.290を残し、
「石の上にも3年」と言われた
1973年:一塁手に定着し、
自己最高打率.295を記録
1974年:
自己最多ホームラン22本を記録し、
20年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献
1976年:打率.355で初の首位打者
初のベストナイン
1976年9月4日:大洋(現横浜DeNA)戦で
プロ入り通算100号ホームラン
1977年6月29日:ヤクルト戦で
プロ入り通算1000本安打
1977年9月23日:阪神戦で
プロ入り通算1000試合出場
1978年:アキレス腱痛悪化
1979年9月23日:大洋戦で
代打して出場し復帰
1980年:打率。369で
2度目の首位打者
カムバック賞受賞
ベストナイン
1981年4月22日:阪神戦で
プロ入り通算150号ホームラン
1981年9月:4打席連続ホームラン
1982年6月27日:ヤクルト戦で
プロ入り通算1500本安打
ベストナイン
1983年:ベストナイン
1983年5月17日:広島戦で
プロ入り通算1500試合出場
1983年6月1日:読売戦で
プロ入り通算200号ホームラン
1983年8月4日:大洋戦で
プロ入り通算300二塁打
1984年:自己最多の34ホームラン
セ・リーグ最多出塁数
ベストナイン
1984年9月29日:広島戦で
プロ入り通算3000塁打
1985年4月16日:横浜戦で
プロ入り通算250号ホームラン
1985年10月23日:広島戦で
プロ入り通算2000本安打
1986年:現役引退
1994年~1995年:西武ライオンズ
打撃コーチ
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3、選手成績
年度 | 球団 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
1970 | 中日 | 126 | .251 | 11 | 45 |
1971 | 中日 | 123 | .260 | 16 | 41 |
1972 | 中日 | 130 | .290 | 15 | 53 |
1973 | 中日 | 126 | .295 | 10 | 45 |
1974 | 中日 | 125 | .290 | 22 | 77 |
1975 | 中日 | 129 | .294 | 17 | 71 |
1976 | 中日 | 127 | .355 | 11 | 52 |
1977 | 中日 | 130 | .312 | 14 | 55 |
1978 | 中日 | 70 | .283 | 2 | 18 |
1979 | 中日 | 11 | .167 | 0 | 0 |
1980 | 中日 | 120 | .369 | 27 | 80 |
1981 | 中日 | 127 | .318 | 28 | 79 |
1982 | 中日 | 129 | .280 | 21 | 85 |
1983 | 中日 | 130 | .315 | 21 | 87 |
1984 | 中日 | 130 | .329 | 34 | 99 |
1985 | 中日 | 104 | .289 | 11 | 47 |
1986 | 中日 | 94 | .273 | 13 | 35 |
通算 | 17年 | 1931 | .302 | 273 | 969 |
4、おわりに
【谷沢健一】は、
2000本安打以上、
通算打率も、3割以上と
素晴らしい成績を残しましたが、
長嶋茂雄、
王貞治、
田淵幸一、
山本浩二といった打者に比べると
地味な存在でした。
しかし「中日ドラゴンズ」では、
紛れもない「スーパースター」でした。
自らの「引退試合」でホームランを放ち、
まだまだ「現役!」と
アピールしたように思えてなりません。
この時点で、球団や監督との確執が
噂されていたので、
なおのことそのように思いました。
今後「中日ドラゴンズ」のユニホームを
着ることはないかと思いますが、
どこかでもう一人の【谷沢健一】を
育ててくれることを期待します。
いいぞ!がんばれ!【谷沢健一】
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考資料:ウィキペディア
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