野村克也の訃報を聞いて【数々の名言】ありがとうございました

最終更新日 2023年10月15日

  






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1、【野村克也】の訃報を聞いて


名もない【野村克也】
一ファンとして、訃報を聞いて
驚きとショックを受けています。


つい先日の「テレビ番組」
拝見した時に
弱々しい印象を受けて
「見ていて悲しく」なりました。


奥さんを亡くしてからと
聞いていましたが、
昔の面影が全くありませんでした。


もう少し頑張ってもらって
「日本の野球」ぼやいて
ほしかったです。


そしてもっと【名言】
残して欲しかったです。


【野村克也】【名言】
人生の糧とした人も多いと思います。


私は【野村克也】【名言】
少しでも多くの人に知ってもらおうと
「ブログ」に書いてきましたが
数が多すぎて紹介しきれません。


ほんの一部ですが以下に紹介します。
読んで頂き何かを
感じ取って頂ければ幸いです。


プロ野球
【野村克也】【名言】
人生の糧とした人も多いと思います

2、野村克也の名言一部紹介


(1)進歩とは変わる事である・・



「進歩とは変わる事である、
変わらなければ人は成長しない」


私もそうですが、
真ん中くらいで安定してしまうと
現状で満足してしまいます。


しかし「現状維持」では、進歩どころか、
「マイナス」を意味します。


【野村克也】
が変わる事で、
「プロ野球界」で生き残れたから言える
言葉」です




(2)本物を学ぶことで、本物に近づく



【野村克也】の野球人生は
「劣等感」から始まったと
言っていました。


プロ入りした当初は、
「ボールの握り方」
知らなかったそうです。


その「劣等感」から
本物強い「巨人」
「メジャーリーグ」

の野球を徹底的に研究しました。


私たちが仕事や生活で本物
というのは、
色々と考えはあると思いますが、
「人間的な魅力」がある人だと
考えます。


だから自分も本物になれるよう
努力します。




(3)人間にとって最大の悪は鈍感な事



この言葉の例えとして
「ウサギとカメ」の話をしています。


カメはウサギより弱者であるので、
「思考」「感性」
働かさなければいけません。


このことを「野球」に当てはめて、
弱者が強者に勝つためには
「思考」「感性」
働かせなければ勝てないと
いうことです。


私たちが仕事や生活していく上でも、
感性を働かせて、
「情報収集」をして
「情報の有効活用」する事が
大事ではないでしょうか。




(4)人間の思考能力には限界がない



【野村克也】
「自分には天性の才能がなかったら
”読み”を磨くしかなかった」

言っています。


また
「能力には限界があるが、
思考力には限界がない」

とも言っています。


だから勝つためには
「思考」の限界まで
考え抜くことが大事だと
言っています。


また、IBMの初代社長も
「絶えず考える、
それが創造につながる」

と言っていますので
「絶えず考える」習慣に
したいものです。




(5)フォア・ザ・チームが人間を成長させる


 
ヤクルトスワローズの監督時代に
「イケトラコンビ」と言われた主軸の
広沢克実と池山隆寛がいました。


二人とも【野村克也】の目からは
「自分のプレー」を大事にし
「チームは二の次」に見えたそうです。


チームが優勝するためには、
二人が「フォア・ザ・チーム」
徹することが必要なので、
二人に中心選手であると説き伏せて
「フォア・ザ・チーム」
徹することができました。


そのことによって二人が
「チームの鑑」として自覚が持て、
それが「優勝」につながったと
言っていました。


私たちにも言えますが、
職場や地域などでチームとして
行動しますが、
そこでの持ち場を全力で行う事が
チームの為であり、
自分の為にもなるという事です。

だから自分の属するチームの為に
全力で行動したいものです。





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3、おわりに


【野村克也】
【名言】はまだまだありますが、
どの言葉
心に残る人生の教科書」と言えます。

最近は「金田正一」「高木守道」
そして【野村克也】と私が少年の頃の
スターがこの世を去っていって
時代の変りを感じますが、
【野村克也】【名言】
できればいつまでも残り続けてほしい
【名言】です。


最後になりましたが【野村克也】さん
ご冥福をお祈りいたします。






最後まで読んで頂きありがとうございます。


参考書籍=KKベストセラーズ発行・野村克也著
「理は変革の中に在り」

野球
「日本の野球」ぼやいて
ほしかったです

4、関連記事







野村克也の名言【環境が人を成長させる】を話題のタネに!

野球

最終更新日 2023年10月15日






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1、はじめに



【野村克也】の名言より

「環境が人を成長させる。
だから自分が成長できる環境を選ぶ。」





【野村克也】は
長年「キャッチャー」として
活躍してきましたが、
「キャッチャー」を経験するにつれ
「キャッチャー」らしい人間になって行き
それによって
「監督」としての資質が自然に
身についたと言っていました。


プロ野球選手でない自分に当てはめると
職場や家庭で
「自分の資質」が身についてきて
自分のいる環境にあった
人間になっていきます。


だからどのような環境にいるかで、
自分の可能性が決まってしまいます。


環境とはそれほどそれほど
大事なのです。


現在自分が置かれている
環境に悩みがある方の
一助になればと思い書きました。




野球
【野村克也】
常々野球の監督向きの「ポジション」は
「キャッチャー」出身者だと
言っていました



2、野球における環境とは


プロ野球選手における環境とは
「ポジション」入る「チーム
ではないでしょうか。


【野村克也】
常々野球の監督向きの「ポジション」は
「キャッチャー」出身者だと
言っていました。


よく言われていますが、
「キャッチャー」
守備の監督と言われています。


守備の時は、
「キャッチャー」だけが
他の選手と向き合い
その指示によって動くからです。


このような経験から
「キャッチャー」出身者は
作戦面や選手の動かし方を
身につける事が出来るので
「監督」に向いていると言っていました。


その次に「監督」に向いているのが
緻密なプレーが必要な「内野手」です。


緻密さも要求されるのが
「監督」だからです。


逆に不向きなのは、
「ピッチャーと外野手」
出身だと言っていました。


理由は「ピッチャー」の場合は、
「お山の大将」でなければ
やっていけないので
チームをまとめるのには
不向きだからです。


また「外野手」は、
サインプレーが必要でなく、
野球の事を深く考える習慣が
身につかないからです。


このようにその
ポジション環境によって
その「ポジション」にふさわしい選手に
なって行くという事です。


これはID野球
【野村克也】らしい
分析ではないでしょうか。


また「チーム」については
「監督」を務めたヤクルトと阪神とでは
球団や周り環境が正反対で、
立場や考え方も
その環境にあった
選手になっていたという事です。






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3、ポジションに関するエピソード


【野村克也】「南海ホークス」
でプレーイングマネージャーを
していた時のキャンプでの
ミーティング時の話です。


ミーテイングは、
和室で行われました。


選手が次々と部屋に入るため、
スリッパが乱雑になっていました。


そんな中自分のスリッパを
揃えて脱ぎ

さらに乱雑になっているスリッパを
並べ直した
のが
「キャッチャー」の選手だったそうです。


これを観察していた
【野村克也】は、
「几帳面さや気配り」が必要な
「キャッチャー」らしいと
思ったそうです。


これもいかにもID野球
【野村克也】らしい
着眼点ではないでしょうか。


プロ野球
ポジション環境によって
その「ポジション」にふさわしい選手に
なって行くという事です

4、【野村克也】流環境とは



【野村克也】の少年時代は
「巨人」ファンでした。


だから「巨人」入団するのが夢でした。


しかし「高校3年生」の時、
「巨人」藤尾茂という
スター選手が入団し、
高卒1年目から試合に出るほどでした。


そのため、
「巨人」に入団しても
レギュラー争いに勝てそうもないと思い
「巨人」入りを諦めました。


その後森祇晶
「巨人」に入団し正捕手の座を
勝ち取った事により
「巨人」に入団していれば、
野球人生が変わっていたと
言っています。


【野村克也】
「南海」の入団テストを受けて
入る事を決めたのは環境でした。


「キャッチャー」の層が薄いので
「出場機会」が得られそうな環境
「若手を鍛えて育てるのがうまい」
という評判があり
球団の方針が
「努力した若手」にチャンスを与えるという
環境にあったからです。


結局この選択により大選手、
大監督【野村克也】が誕生しました。


【野村克也】はこの事に関して、
自分で努力した事もあるが、
球団の環境
「自分を成長させてくれた」
と言っています。


また
環境によってこれほどまでに
人生が変わるので
環境を選ぶ時は慎重の方が良い」

と言っています。







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5、おわりに


環境によって人が変わると
いうことで思い出す言葉に
「朱に交われば赤くなる」があります。


この故事の意味は
「人は環境や友達しだいで
良くもなれば悪くもなる」

です。


どちらかと言えば
悪い意味で使われていて、
「悪い色に染まってしまう」と
言うような使い方をしています。


これ程までに環境によって
変わってしまう事は
とても恐ろしい事です。


だからこそ
【野村克也】の言う

「環境が人を成長させる。
だから自分が成長できる環境を選ぶ。」


ようにしなければいけないのです。



最後まで読んで頂きありがとうございます。

参考書籍=KKベストセラーズ発行・野村克也著
「理は変革の中に在り」




6、関連記事













【野村克也】のプロフィール・選手成績・監督成績

プロ野球

最終更新日 2023年11月13日




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1、はじめに


野村克也は、選手、監督として
偉大な功績を残してきました。


少年時代は、
プロ野球選手になり
活躍して収入を得る事を
目標にしていました。


そんな野村克也
プロ野球人生の始まりは、
大阪に本拠地のあった
南海ホークス
(現福岡ソフトバンクホークス)に
テスト生としての入団でした。


1年目が終わった時点で、
クビが言い渡されましたが
必死の行動に出て何とか残る事が
出来ました。


ここでの必死の行動がなければ、
プロ野球選手、監督の
野村克也はいませんでした


ここでどん底を味わった事と、
自分の不器用を補うために
頭を使って練習した事が
偉大な野村克也を誕生させました。


こんな野村克也ですが、
選手として活躍していた
パリーグは人気がなく
個人成績もあまり記憶に
ないのではないでしょうか。


監督としては、
野村再生工場と言われ
手腕を発揮しましたが、
改めて「数字」で
見てみるとすごさがわかります。

その「数字」で野村克也
すごさを感じて下さい。



プロ野球
野村克也
プロ野球人生の始まりは、
大阪に本拠地のあった
南海ホークス野球

2、野村克也のプロフィール


1935年:京都府生まれ

1949年:中学2年で野球を始める

1950年:中学3年奥丹後地方予選、優勝 
京都府大会ベスト4

1951年:京都府立峰山高校入学


1954年:テスト生として南海ホークス入団

1956年:1軍に定着

1957年:初タイトル ホームラン王

1961年:ホームラン王

1962年:ホームラン王、打点王

1963年:ホームラン王、打点王

1964年:ホームラン王、打点王

1965年:三冠王
(首位打者、ホームラン王、打点王)

1966年:ホームラン王、打点王

1967年:ホームラン王、打点王

1968年:ホームラン王

1970年:プレーイングマネージャーに就任

1972年:打点王


1978年:ロッテに移籍


1979年:西武に移籍

1980年:現役引退


1990年:ヤクルト監督就任

1992年:セ・リーグ優勝

1993年:日本一

1995年:日本一

1997年:日本一

1998年:ヤクルト監督辞任


1999年:阪神監督就任

2001年:阪神監督辞任


2006年:楽天監督就任

2009年:楽天監督辞任




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3、選手成績


年度
球団
試合
本塁打
打点
打率
1954南海900.000
1955南海
1956南海129754.252
1957南海1323094.302
1958南海1202179.253
1959南海1322178.263
1960南海1242988.291
1961南海1362989.296
1962南海13344104.309
1963南海15052135.291
1964南海14841115.262
1965南海13642110.320
1966南海1333497.312
1967南海13335100.305
1968南海1333899.260
1969南海1062252.245
1970南海13042114.295
1971南海1272983.281
1972南海12935101.292
1973南海1292896.309
1974南海831245.211
1975南海1292892.266
1976南海1191057.273
1977南海1271658.213
1978ロッテ64312.226
1979西武74522.222
1980西武52414.217
通算30176571988.277
野村克也 選手成績
長嶋
パリーグは人気がなく
個人成績もあまり記憶に
ないのではないでしょうか


4、監督成績


年度球団試合勝数敗数引分順位
1970南海130695742
1971南海130616544
1972南海130656143
1973南海130685841
1974南海1305955163
1975南海130576585
1976南海130715632
1977南海1306355122
南海通算104051347255
1990ヤクルト130587205
1991ヤクルト132676323
1992ヤクルト131696111
1993ヤクルト132805021
1994ヤクルト130626804
1995ヤクルト130824801
1996ヤクルト130616904
1997ヤクルト137835221
1998ヤクルト135666904
ヤクルト通算11876285527
1999阪神135558006
2000阪神136577816
2001阪神140578036
阪神通算4111692384
2006楽天136478546
2007楽天144677524
2008楽天144657635
2009楽天144776612
楽天通算56825630210
監督通算32061566156476
野村克也 監督成績

参考資料=日本野球機構ホームページ)




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野村再生工場と【どん底を味わった人間だけが変わる勇気が持てる】

プロ野球

最終更新日 2023年10月12日


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1、はじめに



どん底を味わった人間だけが
変わる勇気を持てる

【野村克也】は、
4球団で監督を経験しています。
監督を引き受けた時点では、
4球団すべてが
戦力の整わない状態でした。


最初の監督就任は、
南海ホークス
(現福岡ソフトバンクホークス)の
プレーイングマネージャーとしてですが、
当時の南海は、黄金時代を支えてきた
投手陣が引退などで、
チームからいなくなり
戦える戦力ではありませんでした。


そこで【野村克也】が考えたのが
他球団で芽が出なかったり、
くすぶっている選手や
かつてはチームの主力だったが
低迷している選手を
獲得して再生することでした。


これがいわゆる「野村再生工場」の
始まりです


【野村克也】は、
常々「自分は不器用」と言っていました

2、野村再生工場


「野村再生工場」は、
実績はあるが「けが」などで、
結果が残せない選手に
「現状のままではだめ」という事を
気づかせ「変わるように」
アドバイスをすることでした。


たとえば、
過去に「スピード」で勝負していた
ピッチャーに、
「スピード」だけでは勝負できない
ことを気づかせ
キャッチャー【野村克也】
目から見た「有効」な変化球を
覚えさせる事
です。


何ごとにでも言えますが、
人に言われてやる事は
自分の「身」につきません。


やはり自分から積極的に、
変化を求めていかなければいけません。


しかし、
若くてバリバリ活躍している時とか
自分の持っている才能だけで
活躍している時は
聞く耳を持ちません。


このような選手が、
やがて紆余曲折を経て
壁にぶち当たったり、
不振に陥った時に
必死にもがき苦しみます。


ここからが野村再生工場」の
稼働
となります。


【野村克也】は、
常々「自分は不器用」と言っていました。


「不器用」ゆえに、
同じ壁にぶち当たった選手に
アドバイスができ、
変えさせる」事ができるのです。


また、トレードや自由契約になって
【野村克也】の下に来た選手は、
正にどん底
「今のままでは、野球人生が終わる」
ということをよく知っています。


だから必死になって
再生の道を探しているので、
アドバイスに素直に従い
再生できるということです。


【野村克也】のアドバイスは
適切と言えますが、
このように選手が
切羽詰まったどん底な心理状態で、
聞く耳を持つので
野村再生工場」は難しくなく
稼働すると言っていました。



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3、野村再生工場の選手


(1)南海ホークス時代


①江本孟紀(えもとたけのり):
東映フライヤーズ
から移籍し、いきなり16勝を上げる。


②山内新一(やまうちしんいち):
読売巨人軍から移籍し、
いきなり20勝を上げる。


③松原明夫(まつばらあきお、
後の福士敬章・ふくしひろあき):
巨人より移籍し、7勝を上げる。



(2)ヤクルトスワローズ時代


①田畑一也(たばたかずや):
:福岡ダイエーホークスから移籍し、
12勝を上げる。


②小早川毅彦(こばやかわたけひこ):
広島東洋カープ(広島の中心打者だったが、
直近の3年間は出場機会が減る)
から移籍し、復活。


③辻発彦(つじはつひこ):
西武ライオンズを自由契約になり、
【野村克也】の下で
野球がしたいという希望から入団。
1年目は3割を打つ。


④廣田浩章(ひろたひろあき):
ダイエーから移籍し、
1年目に中継ぎとして59試合に登板。


⑤野中徹博(のなかてつひろ):
中日ドラゴンズから移籍し、
1年目に中継ぎとして44試合に登板。


⑥金森栄治(かなもりえいじ):
阪神タイガースから移籍し、
主に代打で活躍。
若手の見本として貴重な戦力。


⑦吉井理人(よしいまさと):
近鉄バッファローズから移籍し、
先発として活躍。


⑧松田慎司(まつだしんじ):
ダイエーから移籍し、
ショートリリーフで活躍。


⑨大野雄次(おおのゆうじ):
巨人から移籍し、代打で活躍。


⑩金沢次男(かなざわつぎお):
日本ハムファイターズから移籍し、
中継ぎとして活躍。
ローテーションの谷間には先発もした。


⑪広永益隆(ひろながやすたか):
ダイエーより移籍し、
代打の切り札として活躍。

長嶋
「不器用」ゆえに、
同じ壁にぶち当たった選手に
アドバイスができ、
変えさせる」事ができるのです野球





(3)阪神タイガース時代

①遠山昭治(とおやましょうじ):
ロッテオリオンズから移籍し、
中継ぎとして活躍。


②伊藤敦規(いとうあつのり):
横浜ベイスターズから移籍し、
中継ぎとして活躍。


③成本年秀(なるもととしひで):
ロッテから移籍し、
中継ぎとして活躍。



(4)東北楽天ゴールデンイーグルス時代


①山﨑武司(やまさきたけし):
オリックスブルーウェーブ
から移籍し、打撃復活。


②川岸強(かわぎしつよし):
中日から移籍し、
中継ぎで活躍。


③土屋鉄平(つちやてっぺい):
中日から移籍し、
レギュラー、3割打者になる。


⑤小山伸一郎(こやましんいちろう):
中日から移籍し、抑えとして活躍。


⑥小倉恒(おぐらひさし):
楽天を戦力外となるが、
監督就任直後のトライアウトで
【野村克也】の目に止まる。
中継ぎ、抑えとして活躍。


【野村克也】は現役引退後、
ヤクルト、阪神、楽天と
監督を歴任しました。


どの球団でも、
野村再生工場」で
どん底を味わった人間」が、
考えを変え、
初めて又は再び脚光を
浴びるようになりました。


改めて【野村克也】らしい
頭を使った指導法に感服しました。



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4、おわりに


どん底を味わった人間だけが、
変わる勇気が持てる


という名言は、
厳しい競争社会である「プロ野球」で
生き残り続けるために出た言葉です。


しかし、
私たちが一般社会で生活や
仕事をしていく上でも
当てはまる言葉です。


現状に満足していると、
変わることが怖くなります。


変わらなくても、
生活はしてしていけるかもしれませんが
成長はストップし、
逆に後退します。


これが「プロ野球」の世界だと
「戦力外」

繋がります。


私たちには「戦力外」はありませんが
目まぐるしく変化する社会には
ついていけなくなります。


そのようにならないためにも、
常に好奇心を持ち、
固定観念を持たずに
柔軟な姿勢で生活していかなければ
いけません。


変化を恐れず、
自分自身が再生工場となり
生活していきましょう。


その先には良い事が待っています。




最後まで読んで頂きありがとうございます。



(参考書籍:KKベストセラーズ発行・野村克也著
理は変革の中に在り)


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野村克也の名言【正しい努力をすれば天才でなくても成功できる】

野球

最終更新日 2023年10月11日




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1、はじめに


正しい努力をすれば、
天才でなくても成功できる

この言葉は、
kkベストセラーズ発行・野村克也著
「理は変革の中に在り」
からの引用です。


この言葉は誰もが成功できるという
自信を持たせてくれる名言です。


この名言を通して、
悩み事がある人のお役に立てればと
思い紹介します。

プロ野球
ただくろうするだけでは
意味がない



2、ただ苦労するだけでは意味がない


プロ野球の世界では、
長い間二軍で苦労し、
「苦節〇〇年努力の甲斐があり
ようやく一軍で活躍」
という話を聞くことがあります。


また、
「鳴り物入り」でプロ野球界に
入って来ても活躍できないまま
「退団」するケースもあります。


この違いは、
努力の有無や努力の仕方にあります。


正しい努力をして、結果につながる事で、
初めて苦労が報われます。


仕事や生活していく上で、
苦労したから報われる
と考えることがあります。


しかし、
苦労しても必ず報われるとは限りません。


その苦労を生かすも殺すも
自分自身にあります。


苦労して「辛かった」と
思うだけでは報われません。


苦労した中での問題点を見つけ
次の自分の行動に生かすように
しなければいけません。


また、
現在が苦労の「真っただ中」の場合は、
そこから抜け出すための
努力をしなければ、
苦労が報われず、
次につながることはありません。


【野村克也】が、
努力の仕方の考え方について
論語から引用し、
わかりやすい言葉に直した物に

自分は本当に評価を受けるに
値する力があるのか
というところに意識を向け、
認められる努力をする事が大切


という言葉があります。


このような努力・苦労が報われた例として
宮本慎也(元ヤクルトスワローズ)
王貞治(元福岡ソフトバンクホークス監督)
この二人の話を紹介します。








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3、苦労が報われた・宮本慎也


【野村克也】
「ヤクルトスワローズ」の監督時代
宮本慎也という選手がいました。

入団当時は
「守備は新人離れ、打撃は全くダメ」で
専守防衛の例えで
「ヤクルトの自衛隊」と呼ばれて
いたそうです。


宮本慎也が引退する時には、
「2000本安打」を記録し
名選手としての称号を得ました。


ここに至るには、
打撃を伸ばすために
「誰よりも早く球場に来て練習」
「試合後も居残りで練習」
しました。


ここまではよくあるケースですが、
宮本慎也

監督に使いたいと
思ってもらえるような選手
になる事が大事で、
それまでの自分を捨てて
練習していた


と言うように
自分で考え努力してきた結果、
名選手の称号を得ることが
できました。

プロ野球
自分で考え努力してきた結果、
名選手の称号を得ることが
できました

4、正しい努力をしていた・王貞治


【野村克也】は、
努力するのはプロとして当たり前で、
努力をしない選手は
それ以前の選手だと言っていました。


自らも、「テスト生」として
南海ホークス
(現福岡ソフトバンクホークス)
に入団し、努力の結果一流になり
「努力の人」と呼ばれるようになり、
努力は誰にも負けない自負」がありました。

そんな【野村克也】
努力で負けたと思ったのが
王貞治
でした。


王貞治は選手時代のコーチ荒川博
二人三脚で
「一本足打法」を完成させました。


ある日の練習中、
荒川博が食事のため外出する時
「おれが帰るまで一本足のままでいろ」
と言って外出しました。


すると王貞治荒川博が帰ってくるまで、
同じ場所で同じ姿勢のまま
立ち続けていたそうです。


また「一本足打法」の練習として有名な
日本刀で天井からぶら下げた紙を
切る練習を見て圧倒され、
いつかは抜かれると思ったそうです。


このような王貞治を見て、
【野村克也】

本当に努力をする人間は、
苦労を苦労とも思わず、
努力を努力とも思わない

と思ったそうです。





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5、頭を使った努力


プロ野球選手の中には、
連日早出し、
試合終了後も
練習しても結果が残せない場合が
あります。


これは、
自分の目標設定ができていないためで、
間違った努力をしているからです。


仕事や生活していく上でも、
努力して現状打破や成長することが
必要です。


間違った努力をしないために
まずは自分を知る事が必要です。


「自分が何がしたいか」

「自分に不足しているのは何か」

「自分が今できるのは何か」

「どんな人間になりたいのか」

「自分のどこを伸ばしたいのか」

を考えて目標設定し、
自己啓発の計画を立てることが
必要です。

6、おわりに


日常生活で、

「こんなに苦労しているに
改善できない」

「こんなに努力しているのに
結果が出ない」

事があります。


やはりこれは、
間違った努力をしているからです。


間違った努力は、
時間の浪費にしかなりません。


また、間違った努力をしないためには、
情報収集も大事になります。


情報収集し自分で情報整理をし、
正しい努力をして成功しましょう。







最後まで読んで頂きありがとうございます。


(参考書籍=KKベストセラーズ発行・
理は変革の中に在り)


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野村克也の名言【指導とは教え込むのではなく気づかせる】

プロ野球

最終更新日 2023年10月11日




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1、はじめに


【野村克也】の数多くの名言の中に

指導とは教え込むのではなく
気づかせること

という言葉があります。


この言葉は、
野球選手だけでなく、
我々一般人にも当てはまります。

仕事や子育ての場面で
直面することがあります。


そんな時に、
少しでも役立てて頂きたいと思い、
紹介します。


ぜひ参考にしてください。

野球
【野村克也】の指導における原点は、
「野村ノート」という物に書き綴った
メモにあります。

2、野村ノート


【野村克也】の指導における原点は、
「野村ノート」という物に書き綴った
メモにあります。


現役時代からずっと続いていたそうです。


きっかけとなったのは、
「南海ホークス」の選手時代です。


【野村克也】の現役時代は、
現在と違って理論的に指導できる、
「監督、コーチ」がほとんどいなくて、
どちらかと言えば
「根性論」的な指導でした。


その顕著な例が「鶴岡一人監督」です。


【野村克也】の著書の中で
何度も登場しています。


エピソードとして紹介せれているのが、

キャッチャーとしてピッチャーに
「サイン」を出しますが、
出した「サイン」で打たれた時
「怒鳴られる」だけで、
教えを乞うても「自分で考えろ」
「勉強しろ」としか言われなかったそうです。


だから、
「自分で考え、自分で研究」するしか
ありませんでした。


ここから「相手の弱点、クセ」などを
メモとして残したのが
「野村ノート」の始まりです。


「野村ノート」は監督になってからの
試合前のミーティングで使って
いたそうですが、
内容は、野球選手と言うより、
社会人として
いかにあるべきかという話しが
多いかったそうです。


「プロ野球選手」になるほどの選手なので、
小さい頃から周りにちやほやされ
「お山の大将」のような選手が
ほとんどなので、
社会人としての意識を高めるための
話が中心でした。


「野村ノート」は、
このような【野村克也】
「指導法」が蓄積された貴重な資料です。





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3、指導とは・・気づかせること


【野村克也】の指導法の一つでもあり
名言でもある言葉に


指導とは教え込むのではなく
気づかせること



という方針があります。


監督時代に自分から選手に
「このようにしなさい」と
言ったことは
ほとんどなかったそうです。


しかしながら、コーチの中には、
選手に付きっきりで「手取り足取り」
指導するコーチがいましたが、
それには否定的です。


コーチは、
一般社会で言えば「中間管理職」
「上司には認められたいし、
部下にはしっかり指導したい」ということで
必死です。


それだから「手取り足取り」の
指導になりがちです。


ただ、このような指導で「将来を嘱望」
された選手が本来もっている素質を
つぶされて活躍しないまま「プロ野球界」を
去って行くケースが多々あります。


このような事があるので
【野村克也】
選手に教え込むことがありませんでした。


そこで、選手に気づかせるために
いわゆる「ボヤキ」をしました



ベンチ内で試合の展開とか、
相手選手のこと
などを選手に聞こえるように
「ボヤキ」ました。


特に相手選手をほめることにより、
攻略法を
気づかせるようにしました。


何故、
気づかせることが必要なのか?


自著「野村の人生ノート」には、

「指導される本人が必要だと思わなければ、
指導者のアドバイスが役に立たない」

必要と言うのは、選手の気づき

「指導者は環境づくりをする」

という内容が書かれています。


このような考えがあるから


指導とは教え込むのではなく
気づかせること


という名言が生まれました。

野球
特に相手選手をほめることにより、
攻略法を
気づかせるようにしました野球


4、まとめ


指導とは教え込むのではなく
気づかせること

という言葉は、
一般の社会人としても当てはまります。


上司として指導する立場の人だけでなく、
部下として働く場合も、
逆の捉え方をして
「1から10まで」教えてもらうのではなく、
自分で考えて仕事をしなければ
全く成長できません。


自ら気づくようにしなければいけません。


そのためには、仕事をする上で
「好奇心を持ち、積極的」に
行動することが必要です。


この名言は、
あらゆる気づきの大切さを
教えてくれる言葉ではないでしょうか。





最後まで読んで頂きありがとうございます。


(参考文献=日本文芸社発行:野村克也・野村克則著
      野村の「人生ノート」)









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野村克也の名言【勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなし】

最終更新日 2023年10月10日






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1、はじめに


元プロ野球監督の【野村克也】には
数々の名言と言われる
言葉がありました。


現役時代は、無口だったので、
名言の多くは監督として指導者に
なってからの言葉です。


この勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし
指導者としての立場を表す言葉として、
有名な名言です。

プロ野球
名言の多くは監督として指導者に
なってからの言葉

2、名言の意味


実はこの言葉【野村克也】
オリジナルではありません。


江戸時代後期の
平戸藩主「松浦静山」が書いた
「剣術書」の一部に書かれており
「孫子の兵法」からとった言葉です。


その内容を現代風に言うと
剣術の試合で、
勇気のある行動が取れなくても、
剣術の道に
従っていれば勝つときもある、
剣術の道に背き勇気ある行動が
取れなければ必ず負ける
」と
いうようになります。


スポーツの試合の「勝敗」と違い、
江戸時代において、
剣を持って戦いをするという事は、
負ければ「生死」にかかわる
一大事なことになります。


「勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし」
の意味としては、

試合に勝つときは、
勝つべきして勝つ場合もあれば、
相手がミスをしてくれたりして、
何が何だかわからないうちに
勝つときもあります



試合に負ける時は、
ミスがあったりして、
負けるべくして
負ける理由が必ずあります


【野村克也】の言ったこの言葉は、
それだけの意味ではなく、
もっと深い意味があります。


それゆえ名言と言われているわけです。


その意味は、
何も考えずに打ったり、
投げたり、走ったりしても
試合に勝つ場合があります。


また、
ミスをしても試合に勝つ場合も
あります。


だから、
勝って良かったと喜ぶのは良いが、
「勝ち」の中にも、
次には「負け」に
つながることがあるので、
見逃さずに、
チェック、
反省をして
次につなげなければいけません。


負けたときは、
何も考えずにプレーをしたり、
準備していなかったり、
ミスがあったなど、
負ける理由が必ずあるので、
しっかりチェック、反省し
同じ間違いを二度と起こさないようにし、
次につなげなければいけません。


というような意味ではないでしょうか。


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3、監督としての手腕


【野村克也】は、
監督として数々の実績を残しています。


特に「ヤクルトスワローズ」の監督時代は、
当時まだ、
「セ・リーグ」の「お荷物」といわれた
「ヤクルトスワローズ」を
4度のリーグ優勝に導きました。


それは【野村克也】が、
常々言っている「野球は、団体スポーツ」
という言葉で表されます。


それはなぜか?


例えば、投手でエース級が
5人~6人揃いローテーションを回し、
打者では、3割バッターが
打線に何人もいるチームでも、
チームが一体となって勝利に向かう」
ことができなければ、
「勝つことはできても、
勝ち続けることはできない」

からだと言っています。


そこで
チームが一体となって勝利に向かう」
ことを全選手に浸透させた結果
「ヤクルトスワローズ」が、
勝ち続けることに繋がったとも
言っています。


【野村克也】にこのような考えがあるから、
「勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし」
という名言が世に出たのでは
ないでしょうか。

野球
チームが一体となって勝利に向かう」
ことを全選手に浸透させた結果
「ヤクルトスワローズ」が、
勝ち続けることに繋がった

4、おわりに


「勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし」

という【野村克也】名言には、
ただ単に「勝ち負け」
という勝負に関する
言葉の意味だけでなく、
仕事や生活をしていく上でも通じる
言葉ではないでしょうか。


例として、
仕事や生活していく上で、
ミスや間違いは「人がやる事」
なので起こることがあります。


でもそこで、
ミスや間違いの原因を突きとめて、
次に生かすことを
しなければなりません。


このように言葉として、
仕事や人生の「方向性」を示してくれる
名言ですが、
それ以外にも「朝礼のスピーチ」や
普段話の「話題のタネ」にも説得力があるので
ぜひ活用して下さい。




最後まで読んで頂きありがとうござうます。





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野村克也の名言「王・長嶋がヒマワリなら俺はひっそりと咲く月見草」

プロ野球

最終更新日 2023年10月9日



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1、はじめに



「王・長嶋がヒマワリなら
俺はひっそりと咲く月見草」

これは【野村克也】の「名言」です。


この「名言」が出た背景には
どんなことがあったのでしょうか。


紹介しますので、
ぜひ「話題のタネ」にして下さい。

プロ野球
野村克也が守り抜いたホームベース

2、南海ホークス時代



【野村克也】が南海ホークス
(現ソフトバンク)の
選手・監督時代は、

今では考えられない程、
パ・リーグは人気がなく、
球場によっては「閑古鳥」が
鳴くと言われるくらい
観客が少ない時代でした。


パ・リーグ各球団には、
一流で好成績を残す選手も多かったのに
メディアに取り上げられる事も
少ない時代でした。


それに対して、
「王・長嶋」のいる
セ・リーグは、


「読売巨人軍」が圧倒的に強く、
人気があり華やかでした。


メディアに取り上げられる事が多く、
テレビの野球中継も「読売巨人軍」
一辺倒で、
プロ野球ファンと言えば「読売巨人軍」
好きなプロ野球選手と言えば
「王・長嶋」と言っても
過言ではない時代でした。


そんな中【野村克也】は、
毎年のように
何等かのタイトルを取り


この時点では「王・長嶋」も取れなかった
「三冠王」
(ホームラン王・首位打者・打点王)を
取るなど、
輝かしい成績を残していましたが、
話題として取り上げられる事が
少なかったです。


「王・長嶋がヒマワリなら
俺はひっそりと咲く月見草」


と言う「名言」は、
当時【野村克也】
置かれている立場にまさに
ピッタリの「言葉」です。


というのは、
「月見草」は夕方「花が咲き」
明け方「花がしぼむ」からです。


この「言葉」のもとは、
太宰治の「地獄百景」に書かれている
「富士には、月見草がよく似合う」
から取り入れた「言葉」だそうです。


ちなみに、「富士」を
「ヒマワリ」に変えたのは、
「故 野村沙知代」の
アドバイスがあったからです。


【野村克也】
「コミュニケーション」の重要さを
常々語っていますので、

「王・長嶋がヒマワリなら
俺はひっそりと咲く月見草」

という「言葉」が世に出るまでには、
色々考えた末での事で
かなりの時間がかかったそうです。

「王・長嶋がヒマワリなら
俺はひっそりと咲く月見草」

という「言葉」は、
「王・長嶋」「セ・リーグ」に対する
「反骨心」や「耐えて時を待つ」という
【野村克也】の思いが
よく表われている「名言」で
当時の【野村克也】の気持ちを考えると
涙が出そうになります。


これは「ヤクルト」の監督に
要請があった時の話ですが、
評論家の草柳大藏から

「陰が多い人生でも、
必ず陽が当たる時がきます。」


と言われたそうですが、
正にこの「名言」通りです。


また、
現役時代はどちらかと
言えば「無口」で
「名言」と言われる「言葉」は、
現役引退後「監督・解説者」
になってからが多いと言われる
【野村克也】
だからなおさら
「貴重な言葉」だと思います。






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3、おわりに


【野村克也】には「名言」が多く、
その「言葉」一つ一つには
「重み」があります。


それだけに「話題のタネ」だけはでなく、
人生の「教科書」にもなります。


今後も【野村克也】の「名言」を
書いていきたいと思いますので、
よろしくお願いします。

野球
陰が多い人生でも、
必ず陽が当たる時がきます

4、野村克也の略歴


1935年:京都府生まれ

中学2年から野球を始める

高校は、
当時高校野球では無名の
京都府立峰山高校

1954年:
テスト生として南海ホークスに入団

1965年:三冠王になる

1970年:
プレーイングマネージャーに就任


現役生活27年の間、
日本を代表する選手であり続ける

打者として捕手として
数々の記録を残し、
南海ホークスの黄金時代をささえた。


1980年:現役引退

その後、ヤクルト、阪神、楽天の
監督を務める
他球団で芽の出なかった選手を
チームの中心選手に育て上げ
「野村再生工場」と言われた
ヤクルトの監督時代には、
「ID野球」で
球団初の黄金時代を築き上げた

楽天の監督時代には、
球団初のクライマックスシリーズ
進出を果たし、
監督としても数々の功績を残した。





最後まで読んで頂きありがとうございます。



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