長嶋茂雄の名言「終身打率にこだわっていない」を話題のタネに!

最終更新日 2023年7月23日



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1、はじめに


終身打率にこだわっていません。
どこまで元気にやれるか
それだけです。

株式会社河出書房新社発行 
編者:小林信也
発行者:小野寺優
長嶋茂雄語録 より引用

この言葉は【長嶋茂雄】が引退する前年の
1973年のシーズン終了後の言葉です。


選手生活が終わりに近づいている時の
言葉で様々な思いが
込めらているのではないでしょうか。


この言葉の背景にはどのような事が
あったのか振り返っていきますので
参考にして下さい。


そして、
いつも明るい【長嶋茂雄】から
元気をもらいましょう。


長嶋茂雄
1973年の「読売巨人軍」
「9連覇」を達成したシーズンです

2、1973年の巨人



1973年の「読売巨人軍」
「9連覇」を達成したシーズンです。


この年の「巨人」
シーズンを通して投手陣の不調で
苦戦を強いられました。


特にその原因として前年26勝を上げ
「沢村賞」
「最優秀選手」
「最多勝利」
「最高勝率」
「ベストナイン」
新設された「ダイヤモンドグラブ賞」を
受賞し活躍が期待された
「堀内恒夫」の不調がありました。


また
「日拓ホームフライヤーズ
(現北海道日本ハムファイターズ)」
から期待されて移籍してきた
「高橋善正」も不調でした。
(結果的にはこのシーズンは、
わずか1勝止まり)


しかし「左のエース・高橋一三」や
「初めてローテーション入りした・
倉田誠」の
活躍があり結果的に
「堀内」「高橋」の
穴を埋めることができました。


打撃面では「王貞治」がこのシーズン
「打率.355 ホームラン51本 
打点114点」と
他の打者の追随を許さない大活躍で
「初の3冠王」を獲得し
ただ一人でチームを引っ張りました。


チーム全体では、前年も安定した戦いで
「8連覇」を達成し
「9連覇」を目指したシーズンでしたが
序盤戦から苦戦を強いられて
「オールスター戦」までは
1度もAクラスに入る事がなく、
Bクラスに甘んじていました。


「オールスター戦」後は「快進撃」が続き
8月~10月初めまで首位を守りました。


その後は「阪神タイガース」との
激しい首位争いを繰り広げ、
最終的にセ・リーグ優勝をしました。


この終盤戦で
今も語り草となっている
出来事がありました。
それは10月20日の
中日球場(現ナゴヤ球場)での
「中日ドラゴンズ対阪神タイガース」
の最終戦です。


この試合で「阪神」が勝てば
「優勝」に大きく近づき
翌10月21日の甲子園球場での
「巨人」戦に勝てば優勝
という「阪神」に
とっては大事な試合でした。


結果は「中日のエース星野仙一」
気迫のピッチングの前に
打線が抑え込まれ「4対2」で
「中日」が勝ちました。


この試合で「中日」がリードしている
(試合結果だったかも)
スコアボードを新幹線で
大阪に向かっている車窓から
「川上哲治監督」が見て喜んだと言う
「逸話」があります。


結局、この「中日戦」で
勝てなかった事が尾を引いて
甲子園球場では「巨人」が大差で勝ち
「セ・リーグ9連覇」を決めました。


なお、この試合後に「怒った阪神ファン」
グランドに乱入するという事件があり
「川上監督」の胴上げができませんでした。


その後の日本シリーズでは
「南海ホークス」に4勝1敗で勝ち
後楽園球場で「9連覇」を決め「川上監督」の
胴上げをすることができました。




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3、1973年の長嶋茂雄


1973年の【長嶋茂雄】
「コーチ兼任」の2シーズン目で
会社や団体などでいう
「中間管理職」として
自分のみならず選手達の結果が
要求される年でした。


【長嶋茂雄】の前年の成績は
打点、ホームランはまずまずの
結果が残せましたが
「打率は.266」とプロ入り最低の数字で
1973年は「勝負の年」
としてスタートしました。


しかしこの年は序盤から調子に乗れず
不調が続き
チームとしては「王貞治」に
頼る事になりました。


さらにこの年の「象徴的」なできごとが
10月11日に発生しました。


後楽園球場での阪神戦です。


ここで負ければ優勝は絶望的になる試合の
序盤、サードの守備中に打球を右手に
当ててしまい
(記録はエラー)
指を骨折してしまい退場を
余儀なくされました。


結果的には、この怪我により選手が
一丸となり
7対0の劣勢から10対10の
引き分けに持ち込み
勝ちに等しい引き分けとなりました。


この試合では怪我で退場し、
病院に行くまでの間
【長嶋茂雄】は控え選手に
檄を飛ばしました。


その選手からホームランが出るという
奇跡ともいえる試合となりました。


この辺りは
「長嶋茂雄の人間力」
成せるところではないでしょうか。


この怪我により
その後の試合は欠場を
余儀なくされました。


結局、個人打撃成績も芳しくなく、
特に打率は「.269」と
前年同様に低い数字でした。


打率が2年連続で3割を
マークできなかったことから
シーズン終了後に「川上監督」から
「生涯打率が3割を切らないうちに
現役を引退したほうが良い」
という勧告を受けました。


しかし【長嶋茂雄】はこの勧告を
受け入れずに
現役を続けることになります。


その時の言葉が
「終身打率にこだわっていません。
どこまで元気にやれるか
それだけです」
です。

長嶋
「川上監督」から
「生涯打率が3割を切らないうちに
現役を引退したほうが良い」
という勧告を受けました

4、おわりに


「終身打率にこだわっていません
どこまで元気にやれるかそれだけです」



この言葉からは
【長嶋茂雄】が野球が好きでたまらない
という思いが感じ取れます。


また、練習に裏付けされた自信から
まだ現役としてやれ
ファンに魅せる野球をし、
体が「ぼろぼろ」になるまで
続けたいという思いも感じ取られます。


この言葉を私たちが
仕事をしていく上で
仕事に関わるスキルを身につけ
常に向上心を持って勉強し
仕事に自信を持ち
「元気でやっていく」ようにと言う
【長嶋茂雄】からのエールだと受け取って
頑張っていこうではありませんか。




最後まで読んで頂きありがとうございます。



参考資料=Wikipedia

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