【元中日ドラゴンズ・中尾孝義】のプロフィールと選手成績を紹介!

最終更新日 2024年2月2日





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1、はじめに



1980年代に中日ドラゴンズに、
走攻守3拍子揃ったキャッチャー
【中尾孝義】が在籍していました。


インサイドワークが良く、
若手投手には「強気のリード」
長所を引き出しました。


常に全力プレーで、
ケガが絶えない選手でした。


1988年セリーグ優勝の年に、
巨人に移籍するという
ショッキングな出来事がありました。


そんな【中尾孝義】プロフィールと
選手成績
を紹介します。

プロ野球
小さな体で
重労働のキャッチャーを13年間


1956年2月16日:兵庫県加西市で誕生



1971年4月:滝川高等学校入学

・野球部に入部し外野手に配置される



1972年:2年生のこの年に
キャッチャーに転向



1973年:夏の選手権・兵庫県予選
決勝戦で敗退



1974年:専修大学入学・野球部入部



1975年:アジア野球選手権・日本代表

・耳当てなし、つばなしの捕手用ヘルメット
使用開始

「一休さん」と呼ばれるようになる



1977年:日米大学野球・日本代表



1978年春:専修大学25シーズンぶりの
優勝に貢献し最高殊勲選手に選出



1978年:日米大学野球・日本代表



1979年4月:プリンステル入社
野球部1期生



1979年:都市対抗野球で活躍し、
久慈賞受賞

・インターコンチネンタルカップ
日本代表として準優勝に貢献









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1980年11月:ドラフト会議で
中日ドラゴンズから1位指名



1981年4月4日:後楽園球場の巨人戦で
プロ初出場



1981年4月5日:後楽園球場の巨人戦で
プロ初スタメン、
初安打



1981年4月8日:ナゴヤ球場のヤクルト戦で
プロ初打点



1981年4月21日:ナゴヤ球場の阪神戦で
プロ初ホームラン



1982年:中日・セリーグ優勝

・日本シリーズは西武の前に敗退

セリーグ初のキャッチャーのMVP

・ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞



1983年3月26日:兵庫県加西市から
市民栄誉賞第1号の表彰



1988年:外野手に転向

シーズン終了後、巨人にトレード



1989年:巨人のセリーグ優勝・日本一に
貢献

・ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞

・カムバック賞受賞



1990年5月16日:平和台球場のヤクルト戦で
プロ入り通算100号ホームラン



1992年途中:西武にトレード



1993年:現役引退



1994年~1998年:西武で編成担当、
1・2軍バッテリーコーチ



1999年:台湾・三商で監督



2000年~2001年:横浜二軍
バッテリーコーチ



2002年~2003年:オリックス
二軍監督兼打撃コーチ、
一軍ヘッド兼バッテリーコーチ
編成担当



2004年~2016年:阪神
二軍打撃コーチ
二軍バッテリーコーチ、
編成部、
スカウト

野球
引退後も監督コーチで貢献


選手成績









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【中尾孝義】の紹介をしました。


小さな体で重労働のキャッチャーとして
13年間も現役を続け、
打撃面で結果を残しました。


数字に表れない守備面では、
強気のリードで、
中日、巨人の若手投手に
自信をつけさせました。


そんな記録に残らない
忘れ去られてしまいそうなところを、
ぜひ憶えておいて頂きたいと思います。







最後まで読んで頂きありがとうございます。



参考資料:ウィキペディア













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