中日ドラゴンズ名選手列伝【強肩の切込み隊長・彦野利勝】

最終更新日 2024年2月3日






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【彦野利勝】は、
1880年代後半から1990年代にかけて
「中日ドラゴンズ」
強打の切込み隊長として
ファンを楽しませてくれました。


小柄ながらパンチ力があり、
ホームランの期待
ができ、
守備では、
強肩・好守が魅力でした。


しかし、1991年6月28日
サヨナラホームランを放つも、
一塁ベースで転倒し、
起き上がれず代走が出る場面がありました。


この時のケガが原因で
その後はケガとの闘いが続きました。


そんな不運もありましたが、
確実に中日の歴史にその名を刻んだ
【彦野利勝】の紹介をします。

プロ野球
「中日ドラゴンズ」
強打の切込み隊長として
ファンを楽しませてくれました


(1)法元英明との出会い


彦野が愛知高校1年の時に、
自分の息子の練習を見に来ていた
「伝説のスカウト・法元英明」
に出会いました。


法元は、
愛知高校の野球部監督から
彦野を紹介され、
秀でたバッティング、ピッチングに
注目するようになりました。


彦野が高校3年の時には、
法元はスカウトを離れ、
二軍のチーフコーチだったので、
スカウトに「必ず彦野を取る」
ようにネジを巻いていたそうです。



彦野が入団2年目に、
法元が二軍監督になり、
「ピッチャーの初球を簡単に見逃す」
癖が修正されました。


法元の指導もあり入団5年目から
レギュラーとして活躍しました。









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(2)彦野利勝について


①独特のバットの握り


・バットを持つ右手と左手の間を
かなり開けて打っていました。

この握りだと、
「ゴロ」にしかならないのを、
強打を放っていました。


・トレードで入団してきた
「落合博満」に指摘されましたが、
修正しませんでした。



②試合でのミス


「星野仙一」
監督に就任した当初は、
本拠地の試合でミスしたときは、
試合終了後、
「居残りで練習」したそうです。



③歌が上手い


・カラオケが得意で、
歌が上手く1995年に
レコードを出しています。



④エース級に強い


・高校時代には
「工藤公康(名電→西武)」
にめっぽう強く、
プロ入り後は、
「巨人の桑田真澄」、
「広島の大野豊」
に対して
好成績を残しました。



⑤サヨナラホームランに代走


・詳細はコチラ



⑥引退試合


・1998年10月3日のナゴヤドームでの
阪神戦が「引退試合・セレモニー」でした。


その試合をたまたまナゴヤドームで
観戦しました。


試合前に私の周りでは
「彦野引退」の話題が出ていました。


私にとっては「寝耳に水」の話で、
信じられませんでしたが、
試合が始まり事実だと知ると、
ショックを受けました。


試合は1番センターで出場し、
最後となる打席では
一生懸命に応援しましたが
「ショートゴロ」に打ち取られました。


試合後「引退セレモニー」
行われましたが、
残念ながら観ずに帰りました。

野球
小柄ながらパンチ力があり、
ホームランの期待
ができ、
守備では、
強肩・好守が魅力でした


【彦野利勝】の紹介をしました。


思いきりのいいバッティングで、
ホームランが打てる1番打者として、
初回からホームランを期待しました。


守備では、
強肩とガッツあるプレーで、
ファンを魅了しました。


そんな【彦野利勝】だから
ケガさえなければもっと
好成績が残せたと思うと
残念で仕方ありません。


しかし、
確実に「記憶に残る選手」として
ファンは【彦野利勝】を忘れません。







最後まで読んで頂きありがとうございます。












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