最終更新日 2024年9月10日
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1、はじめに
プロ野球の花形「ホームラン」
そのホームランの中でも
「サヨナラホームラン」は、
打った本人は最高の気分で
ファンと選手たちに迎えられ、
歓喜のホームインとなります。
しかし、
サヨナラホームランを打ちながら、
歓喜のホームインができずに、
代走が送られたという試合がありました。
悲劇の主役は、
中日ドラゴンズ・彦野利勝
です。
今回は、
このサヨナラホームランを紹介します。
2、延長10回の悲劇
(1)歓喜のサヨナラホームラン
悲劇が起きたのは、
1991年6月18日ナゴヤ球場での
中日対横浜大洋です。
6対6で迎えた
延長10回ツーアウトランナーなしで、
打席には、
中日6番の彦野利勝が打席に入りました。
横浜大洋のピッチャー盛田幸妃から
放った打球はレフトスタンドへ
一直線のサヨナラホームランに
なりました。
ライナー性の打球のため
1塁まで全力疾走し、
1塁ベースを踏んだところで、
ホームランだとわかり、
喜びを表すガッツポーズをし、
ジャンプをしました。
その瞬間に、
着地に失敗して、
右ひざをひねり、
倒れ込んでしまい、
起き上がることができませんでした。
ヒーローを出迎えようと、
ベンチから飛び出したナインは、
倒れ込んだままのヒーローに
一体何が?
歓喜が一瞬止まってしまいました。
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(2)代走・山口幸司
結局、起き上がることの出来ない
彦野利勝には日本プロ野球初となる
サヨナラホームランに代走が
送られることになりました。
代走には、
山口幸司が送られましたが、
初めてのケースで戸惑いながら
ホームを踏みました。
悲劇のヒーロー彦野利勝は
大豊泰昭におんぶされ
ベンチに戻りました。
中日ファンにとっては、
一瞬の歓喜の後におとずれた、
ショッキングな出来事でした。
彦野利勝のけがは
当初ねん挫と診断されましたが、
その後の検査で
右膝じん帯断裂とわかり、
このシーズンを棒に
振ってしまいました。
3、ホームランに代走
サヨナラホームランに
代走が送られたのは、
彦野利勝が日本プロ野球史上初ですが、
ホームランに代走が出たケースは
過去にありました。
1969年に近鉄のジムタイルが
ホームランを打ちながら、
1塁ベース手前で、
左足が肉離れを起こし、
走れなくなり、
代走の伊勢孝夫がベースを
1周したケースがありました。
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4、おわりに
サヨナラホームランを打ち、
ナインの祝福の出迎えを受けるはずが
出来なかった悔しさは私では
計り知れません。
しかし、
彦野利勝が後日、
「一塁を回ったところで、
右膝がガクッときた
もっとゆっくり走ればよかった」と
語った言葉に全ての気持ちが
表われているのではないでしょうか。
最後まで読んで頂きありがとうございます。