【落合博満】プロフィール・選手、監督成績・語録

最終更新日 2022年4月24日


目次

1、はじめに


2、プロフィール


3、選手成績


4、監督成績

ベースボール

1、はじめに

「名選手、名監督にあらず」という言葉がありますが、
【落合博満】は「名選手で名監督」でした。

選手、監督時代を通して「有言実行」で言ったことは
ほぼ実現してきましが、
言葉として話すことは「必要」な事だけでした。

だから「誤解」を招くこともありました。
しかし、決して間違った事は言いませんでした。

【落合博満】は学生時代からプロ入りまで
特異な経験をしています。

その中でもプロ入り時の出来事が印象的です。

プロ入りは25歳という遅い年齢でした。
ドラフト会議では読売巨人軍から2位で指名される
予定でしたが、
この年「江川事件」が発生し、幻となりました。

これ一つとっても
プロ野球選手、監督としては想像できない経歴です。
しかし、プロ野球選手、監督として輝かしい実績を残しました。

また同じ名将と言われる「野村克也」とよく比較されます。


共に「常に将来を考えている」という共通点がありますが
「野村克也」はマスコミによく話し
試合前のミーティングが長いのに対して
【落合博満】はマスコミに対してあまり話さない
試合前のミーティングをしないという
正反対のところがあったからです。

また「熱狂的」な「長嶋茂雄」ファンとして有名で
1974年10月14日の「長嶋茂雄引退試合」
後楽園球場で観戦していました。


このような【落合博満】「凄さ」
数字や語録で振り返ります。



スポンサード・リンク

ふとんクリーナーはレイコップ
医師として“アレルギー症状を根本的に予防できるようにしたい”そんな思いからレイコップが生まれました。






2、プロフィール


(1)プロ入り前

1953年12月9日 ・秋田県男鹿市生まれ(旧、秋田郡若美町)

1969年4月   ・秋田工業高校入学 野球部入部
         入退部を繰り返すが常に4番打者

1972年4月   ・東洋大学入学 野球部入部
         半年で中退、野球部も退部
        ・秋田に戻りプロボウラーを目指す

1974年     ・東芝・府中工場へ臨時工として入社
         野球部入部

1976年    ・主力選手として、東芝・府中工場野球部を
         初の都市対抗野球出場に導く

1977年    ・日本通運の補強選手として
         都市対抗野球に出場

1978年    ・電電東京の補強選手として
         都市対抗野球に出場
       ・ドラフト会議で
         ロッテオリオンズにドラフト3位指名

(2)ロッテ時代



1979年    ・1軍の経験をするが、打撃フォームが固まらず
         試行錯誤の結果「我流」の打撃フォームを
         固める

1980年    ・5試合連続ホームランのイースタン記録を作る
        ・2シーズン制だったこの年の後期に
         二塁手、三塁手としてスタメン出場する
       ・ジュニアオールスター戦に出場
       ・近鉄バファローズとのプレーオフに出場

1981年   ・開幕からスタメン出場
       ・6月に4番に抜擢
       ・オールスター戦初出場
       ・初の首位打者を獲得

1982年   ・2年連続の首位打者、初のホームラン王
       初の打点王を獲得し初の「三冠王」を獲得

1983年   ・3年連続の首位打者獲得

1985年   ・2度目の「三冠王」を獲得

1986年   ・2年連続3度目の「三冠王」を獲得
       ・シーズンオフ「有藤道世」が 
       ロッテオリオンズ監督を引き受ける条件に
       【落合博満】
       トレードで出すというのがあり
       中日ドラゴンズドラゴンズとの間で1対4の
       (牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂)
       世紀のトレードが成立
       ・日本人初の1億円プレーヤーになる



(3)中日時代

1987年   ・「三冠王」を公言し、シーズンインしたが
       打撃3部門のタイトルはなし

1988年   ・出塁率と長打率はセ・リーグ1位で
       優勝に貢献するも
       打率はレギュラー定着後初めて3割を切る

1989年   ・セ・リーグで初の打点王を獲得し
       史上初の両リーグ打点王
       ・8/12ナゴヤ球場での巨人戦で
       9回裏ワンアウトまでノーヒットノーランを
       続けていた「斎藤雅樹」から
       逆転サヨナラ3ランホームランを打った

1990年   ・350号ホームランを史上最速の1257試合で記録
       ・ホームラン王と打点王を獲得

1991年   ・年棒を不服として調停申請
       ・ホームラン王獲得
       ・ヤクルトスワローズの「古田敦也」と
       首位打者争いをしていたため最終戦で
       勝負をされず、1試合6四球の日本記録を作る

1992年   ・プロ野球選手会を脱退
       ・打撃タイトルなし

1993年   ・5/7の横浜ベイスターズ戦で史上初の
       両リーグ200号ホームランを達成
       シーズンオフ、フリーエージェントで巨人へ



(4)巨人時代

1994年   ・けがから不調になるも
      「国民的行事、10.8決戦」でホームランを
       打ち勝利に貢献

1995年   ・通算2000本安打を記録するが「名球会」
       入りを辞退

1996年   ・史上7人目の通算500号ホームラン
       史上7人目の通算1500打点を記録
       ・シーズンオフ、日本ハムファイターズへ移籍

(5)日本ハム時代

1997年   ・両リーグ1000本安打を記録
       怪我のため不調に終わる

1998年   ・現役引退

(6)中日ドラゴンズ監督時代

2003年10月8日 ・中日の監督に就任

2004年   ・シーズン前に
       「補強の凍結と選手の10%底上げで日本一」
       と宣言し、セリーグ優勝するも
       日本シリーズは西武ライオンズに3勝4敗で
       日本一ならず

2005年   ・セリーグ2位

2006年   ・セリーグ優勝するも、日本シリーズで
       北海道日本ハムファイターズに1勝4敗で
       日本一ならず

2007年   ・セリーグ2位だったが、この年スタートの
       「クライマックスシリーズ」で勝ち上がり
       日本シリーズでは日本ハムに4勝1敗として
       53年ぶり2度目の日本一になる。
       第5戦は「山井・岩瀬パーフェクトリレー」
       で勝つも「落合采配」に賛否両論



2008年   ・セリーグ3位に終わる

2009年   ・セリーグ2位に終わる

2010年   ・セリーグ優勝も、日本シリーズで
       千葉ロッテマリーンズに2勝4敗1分け
       で敗れる

2011年   ・野球殿堂・競技者表彰に選出
       セリーグ優勝、球団初の連覇も
       日本シリーズで福岡ソフトバンクホークスに
       3勝4敗で敗れる
       最優秀賞監督賞受賞
       ・11/20監督退任





スポンサード・リンク



3、選手成績

年度チーム試合打率本塁打打点
1979ロッテ36.23427
1980ロッテ57.2831532
1981ロッテ127.3263390
1982ロッテ128.3253299
1983ロッテ119.3322575
1984ロッテ129.3143394
1985ロッテ130.36752146
1986ロッテ123.36050116
1987中日125.3312885
1988中日130.2933295
1989中日130.32140116
1990中日131.29034102
1991中日112.3403791
1992中日116.2922271
1993中日119.2851765
1994巨人129.2801568
1995巨人117.3111765
1996巨人106.3012186
1997日本ハム113.262343
1998日本ハム59.235218
通算2236.3115101564
落合博満選手成績

4、監督成績

年度チーム順位試合引分
2004中日113879563
2005中日214679661
2006中日114687545
2007中日214478642
2008中日314471685
2009中日214481621
2010中日114479623
2011中日1144755910
通算115062949130
落合博満監督成績

5、語録

(負けないための努力が
勝ちにつながるはこちらからどうぞ)

(ビジネスマンも野球選手も
3つの敵と戦っているはこちらからどうぞ)





スポンサード・リンク



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。