最終更新日 2024年9月22日
広告
1、はじめに
1980年代に中日ドラゴンズに、
走攻守3拍子揃ったキャッチャー
【中尾孝義】が在籍していました。
インサイドワークが良く、
若手投手には「強気のリード」で
長所を引き出しました。
常に全力プレーで、
ケガが絶えない選手でした。
1988年セリーグ優勝の年に、
巨人に移籍するという
ショッキングな出来事がありました。
そんな【中尾孝義】のプロフィールと
選手成績を紹介します。
2、プロフィール
1956年2月16日:兵庫県加西市で誕生
1971年4月:滝川高等学校入学
・野球部に入部し外野手に配置される
1972年:2年生のこの年に
キャッチャーに転向
1973年:夏の選手権・兵庫県予選
決勝戦で敗退
1974年:専修大学入学・野球部入部
1975年:アジア野球選手権・日本代表
・耳当てなし、つばなしの捕手用ヘルメット
使用開始
・「一休さん」と呼ばれるようになる
1977年:日米大学野球・日本代表
1978年春:専修大学25シーズンぶりの
優勝に貢献し最高殊勲選手に選出
1978年:日米大学野球・日本代表
1979年4月:プリンステル入社
野球部1期生
1979年:都市対抗野球で活躍し、
久慈賞受賞
・インターコンチネンタルカップ
日本代表として準優勝に貢献
広告
1980年11月:ドラフト会議で
中日ドラゴンズから1位指名
1981年4月4日:後楽園球場の巨人戦で
プロ初出場
1981年4月5日:後楽園球場の巨人戦で
プロ初スタメン、
初安打
1981年4月8日:ナゴヤ球場のヤクルト戦で
プロ初打点
1981年4月21日:ナゴヤ球場の阪神戦で
プロ初ホームラン
1982年:中日・セリーグ優勝
・日本シリーズは西武の前に敗退
・セリーグ初のキャッチャーのMVP
・ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1983年3月26日:兵庫県加西市から
市民栄誉賞第1号の表彰
1988年:外野手に転向
・シーズン終了後、巨人にトレード
1989年:巨人のセリーグ優勝・日本一に
貢献
・ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
・カムバック賞受賞
1990年5月16日:平和台球場のヤクルト戦で
プロ入り通算100号ホームラン
1992年途中:西武にトレード
1993年:現役引退
1994年~1998年:西武で編成担当、
1・2軍バッテリーコーチ
1999年:台湾・三商で監督
2000年~2001年:横浜二軍
バッテリーコーチ
2002年~2003年:オリックス
二軍監督兼打撃コーチ、
一軍ヘッド兼バッテリーコーチ
編成担当
2004年~2016年:阪神
二軍打撃コーチ
二軍バッテリーコーチ、
編成部、
スカウト
3、選手成績
年度 | 球団 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
1981 | 中日 | 116 | .243 | 5 | 26 |
1982 | 中日 | 119 | .282 | 18 | 47 |
1983 | 中日 | 92 | .244 | 16 | 43 |
1984 | 中日 | 76 | .322 | 12 | 35 |
1985 | 中日 | 72 | .284 | 11 | 29 |
1986 | 中日 | 98 | .238 | 9 | 20 |
1987 | 中日 | 94 | .291 | 16 | 40 |
1988 | 中日 | 95 | .262 | 7 | 35 |
1989 | 巨人 | 87 | .228 | 5 | 27 |
1990 | 巨人 | 56 | .254 | 7 | 18 |
1991 | 巨人 | 31 | .264 | 1 | 5 |
1992 | 巨人 | 5 | .300 | 1 | 5 |
1992 | 西武 | 9 | .000 | 0 | 1 |
1993 | 西武 | 30 | .250 | 1 | 4 |
通算 | 13年 | 980 | .263 | 109 | 335 |
広告
4、おわりに
【中尾孝義】の紹介をしました。
小さな体で重労働のキャッチャーとして
13年間も現役を続け、
打撃面で結果を残しました。
数字に表れない守備面では、
強気のリードで、
中日、巨人の若手投手に
自信をつけさせました。
そんな記録に残らない
忘れ去られてしまいそうなところを、
ぜひ憶えておいて頂きたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考資料:ウィキペディア