【中日ドラゴンズ】名選手列伝「スピードガンの申し子・小松辰雄」

最終更新日 2022年5月26日

目次

1、はじめに

2、小松辰雄の代名詞

3、胴上げ投手

4、おわりに

four jet plane on sky
Photo by Dylan on Pexels.com

1、はじめに


私が知る限りで、
【中日ドラゴンズ】歴代最速球の日本人投手は
「小松辰雄」です。

剛速球でバッターを牛耳る姿にしびれました。
その姿は、正に【中日】のエースです。

だから、
当然のように【中日】のエースナンバー
「20」を、星野仙一から受け継ぎました。

「20」番を背負った「小松辰雄」は、
【中日】のエースナンバーを受け継ぐに
相応しい活躍で、
歴代のエースに名前を刻みました。

このような「小松辰雄」の紹介をします。

ぜひ「話題のタネ」にして下さい。





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2、小松辰雄の代名詞


(1)スピードガンの申し子

いつの時代も、
速球投手は魅力があります。

そんな速球投手として、
ファンを魅了したのが、
「小松辰雄」です。

「小松辰雄」のボールは、
「ズドーン」とうなりを上げる
剛速球で、
相手チームの打者が恐ろしくて、
尻込みする選手もいたと
言われています。

「小松辰雄」のデビュー当時は、
主に「抑え」で、
入団2年目の1979年には、
54試合に登板して、
16セーブをあげました。

奪三振も投球回にほぼ匹敵する数でした。

この年くらいから、
現在では当たり前ですが、
スピードガンでのスピード表示が、
球場やテレビなどで、
映しだされるようになりました。

当時は、140キロ代のボールでも
早く感じる時代でした。

そんな中「小松辰雄」 が登板し
ナゴヤ球場の電光掲示板に
150km以上の表示がされると、
どよめきが起こるシーンが
何度もありました。

私の記憶している最速は、
154kmです。

スピードガン表示が、
球場やテレビなどに普及するにつれ、
「誰が1番早いのだろう?」
という話題が出始めました。

数字が何よりもの証拠ということで、
「小松辰雄」が1番早いという
意見が大多数でした。

これが、
「スピードガンの申し子」
と言われる所以です。


(2)小松の親分さん

小松の親分さんと聞くと、
名コメディアンの「小松政夫」さんを
思い出す人が多いと思います。

しかし、
【中日】にも小松の親分さん
います。

もちろん「小松辰雄」です。

そのように呼ばれた理由は、
気持ちが広くおおらかで、
小さなことをあまり気にせず、
後輩に対しての面倒見の
良さからです。

ただ、この親分肌が、
仲間意識を捨てきれずに
指導者として成功できなかった
理由としてあげられたことも
ありました。

3、胴上げ投手


数々の栄光がある「小松辰雄」ですが、
その中でも最も印象に残っている
試合があります。

1982年(昭和57年)10月18日の
横浜球場での大洋対中日の
シーズン最終戦です。

この試合は、
中日が勝つか引き分けで優勝という
緊張感のある試合でした。

また、
「田尾安志・5打席連続敬遠」
という信じられない出来事があり、
物議をかもした試合でもありました。

1982年の「小松辰雄」は、
開幕投手を務めたものの
ケガのため、
最終戦が、
2回目の先発でした。

栄光の開幕投手に
選ばれたにもかかわらず、
ケガで、満足な仕事ができなかった
無念を晴らすべく上がったマウンドで、
見事に、2安打完封勝利で
胴上げ投手になりました。

期待をかけてくれた「近藤貞夫監督」を
胴上げすることができた試合だったので、
ひとしお感慨深い試合であったと思います。

この試合はまさに「一球入魂」の
気迫を感じた試合であったので、
今も鮮明に印象に残っています。





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4、おわりに


「スピードガンの申し子・小松辰雄」
の紹介をしましたが、
いかがでしたか?

「小松辰雄」の魅力は、
何と言っても「剛速球」ですが、
親分肌で、面倒見の良い
人間としての魅力があります。

そんな「小松辰雄」
もう一度指導者として、
人間力を活かした指導で、
第二の「小松辰雄」
呼ばれるような投手を
育成して欲しいと思います。


最後まで読んで頂きありがとうございます。






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