【長嶋茂雄】の名言より【松井秀喜】の【1000日計画】を話題のタネに!

最終更新日 2021年8月15日


目次

1、はじめに


2、【長嶋茂雄】と【松井秀喜】の出会い


3、【1000日計画】スタート


4、【長嶋茂雄】の憧れの舞台に【松井秀喜】が


5、あとがき


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左打者

1、はじめに


【1000日計画】とは1992年のドラフト会議で
【長嶋茂雄】【松井秀喜】を引き当てた時から
始まった【松井秀喜】「日本プロ野球界の4番」
1000日(約3年)でするために
使った【長嶋茂雄】名言です。

【長嶋茂雄】【松井秀喜】
「日本プロ野球界の4番打者」にすることが
自分の使命とも言っていました。

もっとも、そこまで言えるのは
【長嶋茂雄】しかいません。

そんな【長嶋茂雄】【松井秀喜】の出会いから
「日・米のスーパースター【松井秀喜】」に
なるまでにはどのような出来事があったのかを
紹介します。

最後まで読んで頂き話題のタネにして下さい。




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2、【長嶋茂雄】と【松井秀喜】の出会い


【長嶋茂雄】【松井秀喜】
最初に見たのは「星稜高校3年の選抜」で
ホームランを打った時だと言われています。

次に見たのが「夏の選手権」での
5打席連続敬遠の四球です。

敬遠されてもイヤな顔をしないで
1塁へ走る姿を見て【長嶋茂雄】の直感で
「プロ野球の選手になるべき」と
思ったそうです。

その年(1992年)のドラフト会議では
「ドラフトの超目玉」と言われ世間の注目が
集まりました。

ドラフト会議前に【松井秀喜】が、
入団を希望した球団は
①阪神タイガース(自らがファン)
②中日ドラゴンズ(ゆかりがある)
③読売巨人軍
④福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)
以外から
指名があれば
「大学進学」と公言していました。

運命のドラフト会議で【長嶋茂雄】
【松井秀喜】を引き当てました。
その瞬間「がっかり」した表情を
浮かべたそうです。

その後【長嶋茂雄】から
直接の電話があり気持ちが傾き、
さらに【長嶋茂雄】
【松井秀喜】についてのインタビュー
を受けているのをテレビで見て
「自分を育ててくれる」と感じ
巨人入団を決めたそうです。

【長嶋茂雄】
【松井秀喜】の子弟関係の始まりです。

この出会いを後に【松井秀喜】
「野球人生のとなる大きな出会い
自分を支えてくれた大きなもの」
と言っています。



3、【1000日計画】スタート


【松井秀喜】【長嶋茂雄】の下
「プロ野球選手」として
スタートを切りましたが好不調の波があり、
なかなかうまくいきませんでした。

【松井秀喜】を逸材とみていた
【長嶋茂雄】
自分の手で「日本プロ野球界の4番」
するために
【1000日計画】と名付けた「マンツーマン」の
指導を始めます。

しかし、入団1年目は長所の
「遠くに飛ばす」能力を
失わないため、
あえて「放任主義」で
自由にバッティングをさせ「壁」に
当たった時にアドバイスをする
方針にしました。

ただ一つ
「ひざが硬い」という欠点があり、
このままだと「ストレート」を待っていて
「変化球」が
来た時に「間」が取れずに
「上体が前に突っ込む」ことになり
ボール球でも止まることが出来ず
、振ってしまうから
「柔軟性」が必要となります。

そこでコーチの「中畑清」に自分が
【長嶋茂雄】から指導を受けた
「スタンス」を普段の倍以上にして
「素振り」をするトレーニングをさせるように
命令しました。

「中畑清」は毎日【松井秀喜】
自宅に連れて行き
「ひざを柔らかく」する
トレーニングをしました。

【長嶋茂雄】【松井秀喜】の1年目を
ただ見守るだけでした。

しかし、2年目のキャンプで
「壁」に突き当り
本格的に指導することになりました。

練習は主に【長嶋茂雄】邸の
地下室で行いました。
自分が現役時代に行っていたのと同じで
部屋を暗くして「素振りの音」だけで
スイングの良い悪いを確認をする方法です。

「素振り」の大切さを肌を持って感じていた
【長嶋茂雄】独特の感性を
「素振り」によって
【松井秀喜】に伝えました。

【松井秀喜】
【長嶋茂雄】でなければわからない
「素振り」の音を理解し
スイングの良い悪いが
判断できるようになりました。

「素振り」は【長嶋茂雄】邸の
地下室にとどまらず
東京ドームや遠征先でも
マンツーマンの指導が続きました。

その後【松井秀喜】の素質と
「素振り」の成果と
【長嶋茂雄】の「無言4番教育」で
入団4年目の1996年に初めて
「開幕4番」の座をつかみ
【長嶋茂雄】の名言【1000日計画】が達成されました。

その後【長嶋茂雄】が退団してからも、
「素振り」
の指導は続きました。



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4、【長嶋茂雄】の憧れの舞台に【松井秀喜】が

【1000日計画】が達成されましたが、
「日本プロ野球界の4番」となると
2000年になります。

この年は、レギュラーシーズン、
日本シリーズ、日米野球の全てで
「4番」を打ち
「名実共に日本プロ野球界の4番」
なりました。

その後2002年にFA権を行使して、
メジャーリーグ
「ニューヨーク・ヤンキース」への
入団が決まりました。

これで【長嶋茂雄】の夢の「メジャーリーグ」。
しかもあこがれのジョー・ディマジオ
同じ「ヤンキース」に
時間を超え「愛弟子」が実現してくれました。

かつて【松井秀喜】が「サードを守りたい」
と言ってきたことがありました。

【長嶋茂雄】は「打撃と守備」をいかすには
「センターがいい」という考えから
「ヤンキースでセンターを守っていた」
ジョー・ディマジオのことを話し
日本のジョー・ディマジオ」になれと
説得しました。

正にこの通りになりました。

【松井秀喜】が「ヤンキース」への入団が
決まった時の気持ちを【長嶋茂雄】
「寂しいような、複雑な気持ち」
と言っています。

「ヤンキース」入団後も「素振り」は続き
【長嶋茂雄】がアメリカ滞在中には毎回
行いました。

また、時には「電話」で
「素振り」のを聞いて
貰ったこともあるそうです。

このように「メジャー」に渡っても
二人の子弟関係はバットを通して
つながっていました。

5、あとがき

【1000日】という「時間」をかけても
育てたいと思った「逸材」を見抜く
【長嶋茂雄】の目があり
その指導に耐えることのできる
【松井秀喜】の「素質と根性」が出会い
最高のスーパースターが誕生しました。

【松井秀喜】【長嶋茂雄】の巨人に入団
しなければ実現しなかった事だと思います。

師匠【長嶋茂雄】に負けず劣らずの
「練習の虫」【松井秀喜】
不断の向上心を持って
【長嶋茂雄】伝授の「素振り」
に励みました。

私たちの仕事や勉強も同じです。
いい成績を残し続けることは
大変な事です。
反対に成績が落ち始めると
急降下という事があります。

だからこそ【長嶋茂雄】、
【松井秀喜】に負けないような
向上心を持って日々努力したいものです。

最後まで読んで頂きありがとうございます。


参考書籍=株式会社PHP研究所発行・長嶋茂雄著
100年インタビュー・ミスタープロ野球魂の伝言


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