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1、はじめに
ミスタードラゴンズと呼ばれた
【高木守道】は、
走攻守全てにおいて、
素晴らしい成績を残しました。
しかし、
二度にわたる「致命的」な
デッドボールにより
打撃に影響をお及ぼしました。
これがなければ、
生涯打率も3割を残せたと言われています。
監督時代には1994年の
「国民的行事10.8決戦」で敗れたり、
2012年のクライマックスシリーズでは、
3連勝で王手をかけたところで、
3連敗をして、
いずれもあと一歩のところで「大魚」を
逃しています。
このような結果を「人柄が災いしている」
と言った人もいますが、
私には「常に悲運」
つきまとっていたように思えます。
そんな【高木守道】の
プロフィール・選手、監督成績を
紹介します。
ぜひ悲運の天才を知って、
話題のタネにしてください。
2、プロフィール
1947年7月17日:名古屋市生まれ
1951年8月19日:中日球場(現ナゴヤ球場)で
兄と巨人戦を観戦中に球場が火災。
難を逃れる。
中学時代:野球部で活躍。
1957年4月:甲子園の常連校
「県立岐阜商業」に入学し、
野球部に入部。
「特別コーチ」として招かれた
【長嶋茂雄】の助言で
1年生からレギュラーになる。
夏の甲子園は準々決勝で敗退。
1959年:春の選抜の決勝で
中京商業(現中京大中京)に敗れる。
夏は、岐阜県予選の決勝戦で敗れる。
1960年:中日ドラゴンズ入団。
1960年5月7日:大洋ホエールズ戦
(現横浜ベイスターズ)で、
プロ入り初打席初ホームラン。
1962年:「半田春夫」から伝説の
バックトスを伝授され、
その後猛練習で【高木守道】の
代名詞となる。
1963年:初の規定打席到達。
盗塁王獲得。
1964年8月5日:1試合5盗塁を記録。
1965年:盗塁王獲得。
1968年5月28日:巨人の「堀内恒夫」
から野球人生を変えてしまう
デッドボールを顔面に受け
「一時意識不明」になる。
結果「後遺症」により、
長期に渡り打撃不振に陥る。
1969年7月30日:プロ入り通算1000試合出場を記録。
1969年8月26日:プロ入り通算100号ホームランを記録。
1969年9月28日:プロ入り通算1000本安打を記録。
1973年8月28日:プロ入り通算1500試合出場を記録。
1973年9月8日:プロ入り通算300盗塁を記録。
1973年:盗塁王獲得。
1974年4月22日:プロ入り通算1500本安打を記録。
1974年9月30日:プロ入り通算150号ホームランを記録。
1974年:中日20年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献。
日本シリーズでは、ロッテを相手に大活躍するが、
第4戦、自打球を左足に当て骨折。
1977年6月12日~14日:4打席連続ホームランを記録。
1977年8月22日:プロ入り通算200号ホームランを記録。
1977年9月1日:プロ入り通算350盗塁を記録。
1977年9月14日:プロ入り通算300二塁打を記録。
1977年9月14日:プロ入り通算3000塁打を記録。
1978年4月5日:プロ入り通算2000本安打を記録。
1978年4月7日:プロ入り通算2000試合出場を記録。
1978年6月22日:プロ入り通算1000得点を記録。
1979年:38歳で打率3割を記録。
1980年:現役引退。
ベストナイン:7回(二塁手)
ダイヤモンドグラブ賞:3回(二塁手)
NPB80周年記念ベストナイン(二塁手)
1981年:中日・一軍作戦守備コーチに就任。
1984年:中日・二軍監督に就任。
1986年:中日・一軍作戦コーチ就任。
7月6日から代理監督。
1992年:中日・一軍監督に就任。
1995年6月3日:休養後中日・一軍監督退任。
2012年:第二次監督就任。
2014年:第二次監督退任。
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3、選手成績
年度 | 球団 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1960 | 中日 | 51 | .192 | 3 | 6 | 2 |
1961 | 中日 | 80 | .212 | 2 | 11 | 4 |
1962 | 中日 | 96 | .280 | 1 | 15 | 10 |
1963 | 中日 | 133 | .254 | 10 | 39 | 50 |
1964 | 中日 | 123 | .293 | 8 | 31 | 42 |
1965 | 中日 | 132 | .302 | 11 | 48 | 44 |
1966 | 中日 | 113 | .306 | 17 | 59 | 20 |
1967 | 中日 | 118 | .292 | 19 | 66 | 9 |
1968 | 中日 | 83 | .239 | 10 | 33 | 11 |
1969 | 中日 | 130 | .251 | 24 | 66 | 20 |
1970 | 中日 | 118 | .258 | 10 | 51 | 18 |
1971 | 中日 | 120 | .239 | 8 | 22 | 28 |
1972 | 中日 | 118 | .251 | 10 | 42 | 19 |
1973 | 中日 | 122 | .273 | 5 | 31 | 28 |
1974 | 中日 | 121 | .276 | 15 | 47 | 14 |
1975 | 中日 | 116 | .298 | 17 | 51 | 16 |
1976 | 中日 | 98 | .265 | 17 | 44 | 7 |
1977 | 中日 | 121 | .291 | 20 | 52 | 10 |
1978 | 中日 | 89 | .283 | 13 | 37 | 3 |
1979 | 中日 | 120 | .300 | 11 | 48 | 11 |
1980 | 中日 | 80 | .233 | 5 | 14 | 3 |
通算 | 21年 | 2282 | .272 | 236 | 813 | 369 |
4、監督成績
年度 | 球団 | 試合 | 勝 | 負 | 引分 | 勝率 | 順位 |
1986 | 中日 | 68 | 29 | 35 | 4 | .453 | 5 |
1992 | 中日 | 130 | 60 | 70 | 0 | .462 | 6 |
1993 | 中日 | 132 | 73 | 57 | 2 | .562 | 2 |
1994 | 中日 | 130 | 69 | 61 | 0 | .531 | 2 |
1995 | 中日 | 39 | 13 | 26 | 0 | .333 | 5 |
2012 | 中日 | 144 | 75 | 53 | 16 | .586 | 2 |
2013 | 中日 | 144 | 64 | 77 | 3 | .454 | 4 |
通算 | 7年 | 787 | 383 | 379 | 25 | .503 |
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5、おわりに
表面上は無口で温和なところから
【高木守道】は
「むっつり右門」と呼ばれていました。
それとは反対に
「自分の野球スタイル」は絶対に曲げず、
否定されたときは、
監督やコーチであっても
「くってかかったと」
言われています。
このような両極端な性格が
「良くも悪くも」
選手、監督の成績に表されています。
それが【高木守道】の魅力です。
そんな【高木守道】を
知って頂ければと思い、
プロフィール・選手、監督成績を
紹介しました。
最後まで読んで頂き有難うございます。
参考書籍:ウィキペディア