最終更新日 2024年9月1日
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1、はじめに
走攻守3拍子揃った【中利夫】は、
V9真っただ中の「強い読売巨人軍」の
ライバル球団「中日ドラゴンズ」の
1番センターで活躍しました。
選手時代は華やかでしたが、
監督としては「いい成績」を
残せませんでした。
そこには【中利夫】の勝負師としては、
優しい性格が災いしたのではないかと、
私が勝手に思っています。
そんな【中利夫】のプロフィール、
選手、監督の成績を紹介します。
数字での【中利夫】を
知って頂き、
オールドファンには懐かしさを、
若い方には新鮮さをぜひ味わって下さい。
2、プロフィール
1936年4月28日:群馬県前橋市生まれ
1952年4月:群馬県立前橋高校入学
野球部に入部し、
秋からはエースで中心打者。
1953年:夏の選手権、県予選準決勝で敗退。
1954年:夏の選手権、ケガのため
1回戦敗退。
1955年:中日ドラゴンズ入団。
1955年4月14日:広島戦でプロ初安打。
ノーヒットノーランを
その後の代名詞ともなる
「ドラッグバンド」で阻止。
1956年:開幕から1番センターで
スタメン出場。
初の規定打席到達。
1957年~1959年:出場試合100試合以下、
規定打席にも達しない低迷が続いた。
1960年:50盗塁で盗塁王。80得点で得点王。
初の3割を記録。
1961年:88得点で得点王。
1963年:刺殺数350でセ・リーグ新記録。
1964年:プロ入り通算1000試合出場。
1965年:プロ入り通算1000本安打達成。
刺殺数350を記録。
1966年:プロ入り通算100号ホームラン達成。
2度目の3割達成。
1967年:初の首位打者獲得。
1968年:3年連続3割達成。
1969年:記録づくめの年。
プロ入り通算1500試合出場。
プロ入り通算1500安打達成。
プロ入り通算300盗塁達成。
1972年:現役引退。
1973年~1976年:中日2軍打撃コーチ。
1978年~1980年:中日1軍監督。
1981年~1983年:評論家生活。
1984年:中日1軍打撃コーチ。
1985年:中日1軍作戦守備コーチ。
1986年:評論家生活。
1987年~1988年:広島東洋カープ
2軍打撃コーチ。
1989年~1990年:広島2軍監督。
1991年~:評論家生活。
タイトル
首位打者:1967年
盗塁王:1960年
ベストナイン:
1960年、1965年、1967年、1970年
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3、選手成績
年度 | 球団 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1955 | 中日 | 17 | .176 | 0 | 0 | 2 |
1956 | 中日 | 119 | .262 | 3 | 26 | 14 |
1957 | 中日 | 87 | .236 | 2 | 17 | 15 |
1958 | 中日 | 97 | .248 | 5 | 24 | 26 |
1959 | 中日 | 75 | .266 | 15 | 38 | 10 |
1960 | 中日 | 130 | .312 | 7 | 31 | 50 |
1961 | 中日 | 128 | .271 | 13 | 39 | 30 |
1962 | 中日 | 127 | .275 | 6 | 33 | 11 |
1963 | 中日 | 136 | .246 | 13 | 45 | 27 |
1964 | 中日 | 133 | .262 | 14 | 44 | 27 |
1965 | 中日 | 133 | .283 | 6 | 33 | 26 |
1966 | 中日 | 122 | .322 | 18 | 47 | 22 |
1967 | 中日 | 101 | .343 | 10 | 36 | 25 |
1968 | 中日 | 61 | .328 | 5 | 17 | 14 |
1969 | 中日 | 119 | .290 | 10 | 50 | 19 |
1970 | 中日 | 116 | .272 | 7 | 29 | 10 |
1971 | 中日 | 108 | .218 | 4 | 20 | 12 |
1972 | 中日 | 68 | .231 | 1 | 12 | 7 |
通算:18年 | 1877 | .277 | 139 | 541 | 347 |
4、監督成績
年度 | 球団 | 試合 | 勝 | 負 | 引分 | 勝率 | 順位 |
1978 | 中日 | 130 | 53 | 71 | 6 | .427 | 5 |
1979 | 中日 | 130 | 59 | 57 | 14 | .509 | 3 |
1980 | 中日 | 130 | 45 | 76 | 9 | .372 | 6 |
通算:3年 | 390 | 157 | 204 | 29 | .435 |
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5、おわりに
【中利夫】が、
168㎝という小柄な体で、
18年もの間プロの厳しい戦いの場で、
活躍できたのは
天性の俊敏さだけでなく
「自分ことをよく知った」上での
「技術の向上」
「頭を使った野球」ができたから
ではないでしょうか?
それはまさに「職人技」です。
中日ドラゴンズに「中利夫」という
職人が在籍していたことを、
私は忘れません。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
参考資料:ウイキペディア