最終更新日 2024年9月7日
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1、はじめに
【小松辰雄】は
「スピードガンの申し子」
といわれ、
剛速球を武器に
「中日ドラゴンズ」のエースとして
ケガと闘いながら一時代を
築きました。
しかし、
中日入団時には、進学かプロかで
気持ちが揺れに揺れました。
1977年のドラフト会議で、
中日から2位指名だったことに、
プライドが傷つけられたからでした。
ほとんど、駒澤大学に入学が決まって
いたところを、
伝説のスカウトと呼ばれた「法元英明」が
乗り出したことにより、
一転して中日入団が決まりました。
これが無ければ、
中日の【小松辰雄】は
誕生していなかったかもしれません。
ただ、
私は中日との出会いは、
良い巡り合わせであり、
中日だから活躍できたと思っています。
今回は、そのような【小松辰雄】の
プロフィールと投手成績を紹介します。
ぜひ、参考にしてみて下さい。
2、小松辰雄のプロフィール
1959年5月10日:石川県羽咋郡生まれ
1975年4月:石川県・星稜高校入学
1976年8月:星稜高校の2年生エースとして、
夏の選手権で甲子園出場、
準決勝敗退
1977年3月:星稜高校3年、
春の選抜で甲子園出場も
初戦敗退
1977年8月:夏の選手権で
2年連続甲子園出場も
初戦敗退
1977年11月22日:第13回ドラフト会議で
中日ドラゴンズから2位指名され入団
1978年10月4日:神宮球場のヤクルト戦で
プロ入り初登板、2回無失点
1979年4月11日:ナゴヤ球場のヤクルト戦で
プロ入り初勝利、1回2/3無失点
1979年4月12日: ナゴヤ球場のヤクルト戦で
プロ入り初セーブ、2回無失点
1979年5月:月間MVP受賞
1981年7月15日:神宮球場のヤクルト戦で
プロ入り初完投勝利、9回2失点
1981年9月21日:ナゴヤ球場の巨人戦で
プロ入り初完封勝利
1981年9月:月間MVP受賞
1982年10月18日:横浜球場の大洋戦で
完封勝利、胴上げ投手に
1984年:中日のエースNO、背番号20に
1985年:
最多勝利投手
最優秀防御率
最多奪三振
最優秀投手
沢村賞
ベストナイン受賞
1986年6月3日:ナゴヤ球場のヤクルト戦で
プロ入り通算1000投球回数達成
1987年8月26日:ナゴヤ球場のヤクルト戦で
プロ入り通算1000奪三振達成
1987年:2回目の最多勝利投手獲得
1990年4月17日:ナゴヤ球場の広島戦で
プロ入り通算1500投球回達成
1990年8月22日:神宮球場のヤクルト戦で
プロ入り通算100勝達成
1994年:現役引退
1995年3月26日:ナゴヤ球場の
オリックスとのオープン戦で
引退試合
(最後の打者イチローは、
少年時代小松に憧れていた)
1995年:中日2軍投手コーチ就任
1996年:中日1軍投手コーチ就任
1997年:中日1軍投手コーチ解任
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3、投手成績
年度 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 奪三振 | 防御率 |
1978 | 中日 | 0 | 0 | 0 | 3 | 11.25 |
1979 | 中日 | 6 | 9 | 16 | 86 | 2.68 |
1980 | 中日 | 1 | 5 | 6 | 33 | 3.66 |
1981 | 中日 | 12 | 6 | 11 | 122 | 3.07 |
1982 | 中日 | 4 | 4 | 9 | 58 | 2.60 |
1983 | 中日 | 7 | 14 | 5 | 133 | 3.20 |
1984 | 中日 | 11 | 6 | 2 | 168 | 3.05 |
1985 | 中日 | 17 | 8 | 1 | 172 | 2.65 |
1986 | 中日 | 7 | 9 | 0 | 97 | 3.50 |
1987 | 中日 | 17 | 6 | 0 | 147 | 2.74 |
1988 | 中日 | 12 | 7 | 0 | 114 | 3.26 |
1989 | 中日 | 0 | 4 | 0 | 11 | 7.66 |
1990 | 中日 | 6 | 5 | 0 | 87 | 4.11 |
1991 | 中日 | 5 | 4 | 0 | 69 | 4.42 |
1992 | 中日 | 9 | 9 | 0 | 69 | 4.80 |
1993 | 中日 | 7 | 4 | 0 | 49 | 3.62 |
1994 | 中日 | 1 | 2 | 0 | 28 | 6.26 |
通算 | 17年 | 122 | 102 | 50 | 1446 | 3.44 |
4、おわりに
【小松辰雄】の
記録は素晴らしいのですが、
私が、記憶に残っているのは、
優勝がかかっている大一番など、
大事な試合に強かった
印象があります。
性格も男気があり、
好感の持てる投手でした。
そんな【小松辰雄】が引退後、
2017年12月に
交通死亡事故を起こした時は、
本当にショックでした。
状況はわかりませんが、
死亡事故なので、
亡くなられた方や、
家族の方のことを思うと
いたたまれませんが、
【小松辰雄】のことなので、
誠意ある対応をしたと思います。
事が事だけに
二度と評論家には
復帰できないと思っていましたが、
その後、
不起訴処分となり、
評論家に復帰できました。
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