【元中日ドラゴンズ・三沢淳】のプロフィールと投手成績を紹介!

最終更新日 2023年11月19日



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今では、
数少ない「アンダースロー」の投手。
その「アンダースロー」の投手として
活躍し、
記憶に残っている投手が
今回紹介する【三沢淳】です。


ドラフト会議で「中日ドラゴンズ」から
指名されたのを拒否し、
社会人に進んだ【三沢淳】
伝説のスカウト「法元英明」
粘り強く交渉し、
1年後に入団にこぎつけました。


「中日」としては、何が何でも
入団させたかった【三沢淳】
プロフィールと投手成績を
紹介します。


これで「中日」が入団させたかった
理由がよくわかります。


ぜひ参考にして頂き、
「話題のタネ」にして下さい。

プロ野球
ドラフト会議で「中日ドラゴンズ」から
指名されたのを拒否し、
社会人に進んだ【三沢淳】
伝説のスカウト「法元英明」
粘り強く交渉し、
1年後に入団にこぎつけました


1952年10月1日:島根県浜田市生まれ


1968年4月:島根県立江津工業高校入学


1970年春:選抜出場も初戦敗退


1970年夏:選手権は初戦突破も、
2回戦で後のチームメートとなる
東邦の水谷啓昭に抑えられて敗退


1970年11月19日:中日ドラゴンズから
3位指名も入団拒否


1971年4月:社会人野球の強豪
新日鉄広畑野球部に入部


1971年夏:都市対抗野球で優勝
小野賞を受賞
(大会で素晴らしい活躍をした選手、
監督、チームが選出される特別賞)


1971年秋:アジア野球選手権の
日本代表に選出され準優勝に貢献


1971年11月:中日入団


1972年4月16日:中日球場の巨人戦で
リリーフで初登板し、プロ初勝利


1973年4月28日:中日球場の巨人戦で、
先発初勝利・初完投勝利


1973年9月27日:大洋戦で初完封勝利


1973年:初の2ケタ勝利(10勝)


1974年:2年連続2ケタ勝利の11勝を
上げ「中日」20年ぶりのセ・リーグ優勝に
貢献
セ・リーグ最多与死球


1975年:3年連続2ケタ勝利
(自己最多の13勝)


1976年10月11日:ナゴヤ球場の広島戦で
初セーブ


1976年: セ・リーグ最多与死球


1978年:1975年以来の2ケタ勝利


1979年:自己最多タイの13勝で
2年連続2ケタ勝利


1981年:後楽園球場の巨人戦で
初の開幕投手


1983年8月11日:ナゴヤ球場のヤクルト戦で
プロ通算100勝を達成


1984年:日本ハムにトレード


1985年10月16日:藤井寺球場の近鉄戦で
プロ通算500試合登板達成


1986年:現役引退






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ビーズクッションのパイオニア





年度球団勝利敗戦セーブ奪三振防御率
1972中日35なし443.67
1973 中日 108なし872.56
1974 中日 1190903.45
1975 中日 1370893.21
1976 中日 9121745.34
1977 中日 441495.12
1978 中日 1291903.40
1979 中日 13110973.72
1980 中日 8120814.09
1981 中日 7102693.35
1982 中日 870743.56
1983 中日 480395.77
1984 中日 331165.95
1985 日ハム100122.06
1986日ハム11031.04
通算15年10710669143.81
三沢淳投手成績

*セーブは1974年から表彰

野球
1972年4月16日:中日球場の巨人戦で
リリーフで初登板し、プロ初勝利

【三沢淳】のプロフィールと投手成績を
紹介しました。


最後にとっておきのエピソードを
紹介します。


【三沢淳】「中日入団」が決まった時の
中日新聞本社は、ハチの子をつついたような
大騒ぎで喜んだそうです



この時点で印刷が終わって出荷寸前の
「1972年のドラゴンズカレンダー」
急遽【三沢淳】の入った物に
変更したそうで、
その期待度の大きさを
物語るエピソードです。





最後まで読んで頂きありがとうございます。

参考資料:ウィキペディア









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