勤労感謝の日の【由来・歴史・意味を知り】働くことの喜びを!

勤労感謝の日


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1、はじめに


【勤労感謝の日】は、
毎年11月23日になります。


私が小学生の頃は、
11月には「文化の日」
【勤労感謝の日】
ちょうど良い間隔であり楽しみな月でした。


その当時【勤労感謝の日】には、
お父さん、お母さんが働いてくれて
育ててくれたことに感謝しましょうと、
先生から言われた覚えがあります。


大人になるにつれ【勤労感謝の日】には、
働くことに感謝するだけでなく
他にも意味があると、解ってきました。


そこで【勤労感謝の日】
由来・歴史・意味を知り
次の世代に伝えていくと共に、
働くことの有難さを
再認識して頂ければと思い
ここに紹介します。



勤労感謝の日
勤労感謝の日は秋の行楽シーズン

2、勤労感謝の日の由来・歴史


【勤労感謝の日】は、
1948年(昭和23年)に
「国民の祝日に関する法律」によって、
制定された国民の祝日です。


第二次世界大戦前は
新嘗祭(にいなめさい)】といい、
稲の収穫を感謝する日でした。


これから発展して、
あらゆる職業の人に対する苦労をねぎらい、
農作物の収穫だけでなく、
勤労によって生産された物を祝って
感謝する日になりました。


皇室の【新嘗祭】は、
1672年(明治5年)以降11月23日
定められました。


そこで国民も仕事を休み
お祝いをするようになりました。





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日本は古来から稲作が行われ、
米を神聖な物として
考える風習がありました。


稲には、魂が宿るという考えがあり
「稲魂(いなだま)」
という言葉があるように、
米に対しては、
特別な感情(生命力や霊が宿る)
がありました。


このようなことから、
米をまいてお祓いをする
行事も行われています。


現在でも皇室では11月23日に
【新嘗祭】が行われ、
天皇がその年に収穫した新米を、
宮中内にある神殿にお供えして、
次の年の豊作を祈る儀式が行われます。


古くは民間でも稲刈り直後、
同じような行事が行われていました。


【新嘗祭】の起源は、
飛鳥時代の皇極(こうぎょく)天皇
(第35代天皇・594年~661年)
の時代に始まったとされ、
「古事記」や「日本書紀」
にも書き残されているという、
日本の伝統的な行事です。


【新嘗祭】は、
皇室の最も重要な行事で、
天皇が即位後初めて行うこの行事を
【大嘗祭(だいじょうさい)と言います。

勤労に感謝
勤労に感謝

3、勤労感謝の日の意味


【勤労感謝の日】の趣旨は、

「勤労をたっとび、生産を祝い、
国民互いに感謝しあう」

ということです。


かつては、
「農作物の収穫を感謝する」という
意味合いでしたが、
最近では、産業の多様化で物だけでなく、
精神的なものも含めた
すべての仕事に感謝する日です。

勤労感謝の日
勤労にありがとう




しかし、現在でも【勤労感謝の日】には、
各地の神社などで【新嘗祭】
まつわる行事が行われています。


また、農産物品評会、農業祭など、
農業にちなんだ
行事が各地で行われます。


他にも、子供達向けに、
各種の仕事体験ができる催しが
行われる所もあります。







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4、五穀豊穣の「五穀」について


農産物の話が出てきたところで、
よく耳にする
「五穀豊穣」「五穀」の意味を
紹介します。


稲作文化の日本では、
収穫に感謝する儀式が
多く行われています。


その際「五穀豊穣を祈る」と
いう言葉をよく耳にします。


「五穀」とは昔から日本人が食べてきた、
代表的な五つの穀類のことで
米・麦・粟・豆・きび(または稗)
指します。

五穀米
五穀米



5、おわりに


このように【勤労感謝の日】は、
単に日々の勤労感謝するだけでなく
仕事によって作られた物や、
精神的なものに対する感謝
あらわす日でもあります。


私が子供の頃は、
お父さん、お母さんの仕事に対して
感謝するという日が
【勤労感謝の日】という認識でした。


しかし【勤労感謝の日】は、
皇室の伝統的な行事から始まり、
色々な物に対して
感謝する日でもあります。


また、年齢を重ねるうちに、
「仕事があり、仕事ができる有難さ」
を強く思うようになりました。


だからこそ【勤労感謝の日】には、


「勤労をたっとび、生産を祝い、
国民互いに感謝しあう」


ようにしたいと思います。


そして自分の体にも感謝
ご褒美を上げてみませんか?




最後まで読んで頂きありがとうございます。



参考書籍:PHP研究所発行
知れば納得!暮らしを楽しむ12ヶ月のしきたり


参考資料:ウィキペディア





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七五三の【歴史・由来・意味・まつわる話】を紹介!

七五三




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1、はじめに


毎年11月に入ると日本各地の
神社や街中などでは、
お父さんやお母さん達と一緒に歩く
【七五三】の晴れ着を着た
可愛らしい子供達を
多く見かけるようになります。


私の子供もそうでしたが、
いつも着慣れていない晴れ着なので
緊張している様子がうかがえます。


何とも言えない雰囲気があり
思わず微笑んでしまいます。


この光景は、昔から見られる
「日本の11月の風物詩」である
【七五三】の様子です。


子供達が成長するための
一つの節目となる行事が
【七五三】です。


【七五三】について、
知っている様で意外と知らなかったり、
間違って頭に入っている事も
あったりするものです。


私の子供が【七五三】のお祝いを
行った時の事や、
昔、私の祖父母や両親から聞いた話を思い出し、
また、最近では孫たちの
【七五三】がありましたので、
知っている事を書きます。


ぜひ、最後まで読んで頂き
【七五三】の参考にして下さい。


そして、楽しい思い出を作って下さい。

七五三の事前準備

(1)衣装


①レンタルか購入か。

②和装か洋装か。



(2)写真撮影

①写真館の利用の有無。

②いつ撮影するか。

③プロカメラマンによる出張撮影。



(3)参拝する神社など

①どこで参拝するのか。

②ご祈祷の予約の可否。

③ご祈祷料の事前確認。



(4)誰と参拝するのか

①参加してもらう人に事前連絡。


(5)お祝いの食事会

①食事会の有無。

②外食の場合は事前予約。


七五三
三歳、五歳、七歳の節目に、
無事に育ってくれたことを感謝し、
今後の成長を願って
神様に祈る行事として【七五三】
江戸時代には定着しました




2、【七五三】の歴史・由来


【七五三】の始まりは、
平安時代とも室町時代
とも言われています。


昔は今と違い、
食料事情や医療が整っておらず、
乳幼児の死亡率が高かったので、
無事に育つ事への願いが強く、
様々な儀式が行われました。


その中で【七五三】は、
貴族や武士の家で行われていたものが、
一般に広まった行事です。


三歳、五歳、七歳の節目に、
無事に育ってくれたことを感謝し、
今後の成長を願って
神様に祈る行事として【七五三】
江戸時代には定着しました。


【七五三】 は、
大変切実な思いから来ているのです。


当時の事を考えると悲しくなります。


近代以前の社会では、
身分と年齢によって
衣服と髪型が区別されていました。


成長すると、姿・形を
改める儀式が行われ、
宴が催されました。


成長を確認すると共に、
周囲への披露を目的としていました。


この頃になると、
切実さと言うより「イベント的」な
行事になって来ます。


【七五三】のお参りの日は、
毎年「11月15日」と決まっていますが、
これには色々と説があります。


代表的なものとして、

①「生類憐みの令」で有名な徳川第五代将軍
「徳川綱吉」が、
自分の長男が病弱だったため、
健康を祈って袴着の儀式(後述)を行った日が
「11月15日」だったからという説。


「11月15日」は、
鬼宿日という鬼が出歩かない日で、
婚礼以外は何をしても良い日という説。


「旧暦」「11月15日」に、
収穫の感謝と、
子供の成長を感謝して
お祝いしたためからの説。


何れも子供のことを思う
親の気持ちが表れているのでは
ないでしょうか。







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3、七五三】の意味

元来日本では、奇数が好まれてきました。

また、

三歳(言葉がわかるようになる)

五歳(知恵がついてくる)

七歳(乳歯が生え変わる)といわれ、

その都度、
病気などになりやすいことから
神様に健康をお祈りする
意味もあります。


三歳・五歳・七歳で、
以下のようなお祝いをします。


三歳:髪置(かみおき)

男の子も、女の子も三歳まで
元気に育ったお祝いです。

それまでは髪の毛を剃っていた
子供の髪を伸ばし始める
祝いの儀式です。

昔は白髪頭になるまで
長生きをすることを願って、
白髪に見立てた白い綿の帽子を
頭にのせてお祝いしました。


五歳:袴着(はかまぎ)

五歳の男の子が初めて
袴を着るという儀式で、
子供を碁盤の上に立たせて着せます。

これは「碁盤の上に立つ」とういことで、
「天下取り」になぞらえた風習です。

また、男の子にとって、
大人が着る袴を着ることは、
男として社会の一員になったという
意味があります。


七歳:帯解き(おびとき)

七歳の女の子がそれまでは、
つけひもで着物をしめていたのが、
丸帯という大人の女性と同じ帯にして
着物を着るお祝いです。


【七五三】は以前
「数え年」で行っていましたが、
最近では「満年齢」で
行う場合も多くなっています。


「数え年」、
「満年齢」のどちらでも、
問題ないので、ご都合に合わせて下さい。


私の孫達の場合、上の女の子が満7歳、
下の男の子が数えの5歳の時に
同時に行いました。


【七五三】は、子供の成長と健康、
これからの無事を祈るものなので、
「初宮参り」に行った神社へ行くと
良いとされています。


しかし、最近では特にこだわりはなく、
有名な神社などに行くケースが
増えています。



七五三
【七五三】は以前
「数え年」で行っていましたが、
最近では「満年齢」で
行う場合も多くなっています

4、【千歳あめ】について


【七五三】というと、
【千歳あめ】を連想される方も
多いと思いますが、
【千歳あめ】は、
江戸時代に浅草の七兵衛という人が、
「紅白の長いあめ」を
鶴亀や松竹梅などの縁起の良い絵の
袋に入れ売り出したのが、
始まりと言われています。


子供の成長と健康を願い
「長く伸びますように」という
長寿への願いと、
「紅白のあめ」で縁起をかついだもので、
節分の豆と同じで、
年の数だけ袋に入れると
良いとされています。







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5、童謡【とうりゃんせ


「とうりゃんせ、とうりゃんせ、
ここはどこの細道じゃ」の
童謡「とうりゃんせ」は、
無事に7歳に育った子供のお祝いに、
天神様にお札を納めに
お参りに行くということを
唄った童謡です。


昔、
子供は7歳までは神様の内といわれて
「ばち」が当たらないと
いわれていました。

それが7歳になると神様を
「祀る」ようになるという区切りで、
社会の一員としての自覚を持たせる
意味がありました。



七五三
【七五三】は、子供の成長と健康、
これからの無事を祈るものなので、
「初宮参り」に行った神社へ行くと
良いとされています

6、【七五三】のまとめ


【七五三】は、
毎年「11月15日」と決まっていますが、
最近では、神社などの混雑状況により
時期にとらわれず、
10月位から12月位に行うケースも
増えています。


近頃では、
子供を思う親の気持ちを利用して、
様々な商売があります。


特に記念写真は、前撮り・後撮りで
写真館で撮るケースも多くなっています。

   
子供の晴れ着も写真館で
レンタルするケースが多くなっています。


写真や晴れ着のレンタル料が
安くなると言うことや、
シーズン直前になると
予約が取れない(3か月位前には予約が必要
という理由から
私の孫は、7月に写真を撮り、
【七五三】のお参りにも行きました。


このように【七五三】は時期にとらわれずに
行われるようになりましたが、
昔も今も子供を思う
親の気持ちは変わりません。


このような気持ちを持ちつつ、
伝統行事としていつまでも
【七五三】が続いてほしいと思います。




最後まで読んで頂きありがとうございます。

参考書籍①:PHP研究所発行
知れば納得!暮らしを楽しむ12ヶ月のしきたり


参考書籍②:株式会社神宮館発行
暮らしのしきたり12か月
美しい日本の歳時と年中行事

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