最終更新日 2024年9月18日
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1、はじめに
2023年開幕以降、
現役ドラフトで中日ドラゴンズに
横浜DeNAベイスターズから入団した
細川成也が活躍してチームに勢いをつけています。
その活躍を見て思い出すのが、
1973年に広島東洋カープから移籍し、
1980年まで中日に在籍した
【井上弘昭】です。
細川と同じようにチームに
勢いをつけました。
元祖「燃えよドラゴンズ」に
「3番井上タイムリー」と歌われているように
勝負強い打撃でファンを魅了しました。
生え抜きの選手ではありませんが、
現役生活の中では、
中日時代が一番輝いていました。
今回はそんな【井上弘昭】を紹介します。
2、井上弘昭とは
(1)ポパイ
広島時代の【井上弘昭】については、
ラジオからの情報しかなかったので、
やせ型で背の高い選手のイメージでした。
しかし、
中日に入団した【井上弘昭】は、
がっちりした体格で、
顔つきも一見怖そうでした。
力持ちで、チャンスに強く頼れることから、
ポパイと呼ばれていました。
(2)川畑和人とのトレード
【井上弘昭】の中日入団は、
ほとんど実績のない川畑和人との
トレードだったので、
驚きでした。
その川畑和人は
中日の顔であった江藤慎一との
トレードで中日に入団しました。
このトレードは、
川畑和人には失礼ですが、
不釣り合いのトレードで、
中日ファンにとって不本意な
トレードでした。
中日入団後も、
ほとんど実績がない川畑和人と
一軍に定着していた
【井上弘昭】とのトレードで、
「中日が有利なのでなぜ?」という
思いがありました。
だから、
江藤慎一の穴を少しでも埋めてくれればと
期待しました。
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(3)エピソード
①山本浩二との首位打者争い
・1975年のシーズンは元同僚の山本浩二と
激しい首位打者争いをしていました。
その中で、広島との最終戦で満塁に敬遠という
前代未聞の出来事がありました。
その後、中日の最終戦で
ヒットを打てば首位打者になれるという場面で、
デッドボールを受け、
「当たっていない」と猛アピールをしましたが、
判定は覆らず首位打者を逃しました。
デッドボールが多かった
【井上弘昭】らしいエピソードとして、
印象に残っています。
②1973年阪神戦でのファインプレー
1973年10月20日、
9年ぶりの優勝を目指す阪神に対し
中日のエース星野仙一が
完投勝利を挙げました。
しかし、
星野仙一は阪神と優勝争いしていた
巨人に優勝させたくないと考え、
阪神に勝ってもらいたいとの気持ちで
投げていました。
阪神打線は凡打を重ねていた中、
この日中日のライトを守っていた
【井上弘昭】が、超ファインプレーをすると
星野は悔しがりグラブを投げつけました。
せっかくの超ファインプレーだっただけに、
割に合わないことで、
本人はどんな思いだったのか、
今も気になります。
3、おわりに
【井上弘昭】の紹介をしました。
広島、中日、日本ハム、西武で18年間
活躍しましたが、
中日時代が最長の8年で、
常にクリーンアップでファンの期待に
応えてくれました。
歴代の中日の選手に
同じようなタイプの選手が少なく、
タイトルには無縁でしたが、
記録より記憶に残る選手として、
紹介しました。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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