最終更新日 2024年9月1日
2021年6月30日午前・大腸がんのため
亡くなられました。
ご冥福をお祈りいたします。
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1、はじめに
【大島康徳】は、
高校入学まで野球経験がなく
アマチュアとしての経験が3年だけで
プロ野球界に入ってきました。
プロ野球界に入るきっかけは
「長嶋茂雄」が地方大会で
「特大のホームラン」を打ち
スカウトの目に留まったように
【大島康徳】も地方大会で打った
「特大のホームラン」が
スカウトの目に留まったからだと
言われています。
入団当時は「一発長打」の
魅力はありましたが
三振も多く「粗削り」でした。
そのような【大島康徳】が
26年も「現役」を続けることが
出来ました。
そして2000本安打も達成し、
名球会にも入りました。
そこまでできたのは、
身体能力高さもありますが、
努力がなければ
続けることはできなかったはずです。
そこで努力の跡を
プロフィールや年度別の成績で
追いかけてみました。
参考にして頂ければ幸いです。
2、プロフィール
1950年10月16日:大分県中津市生まれ
今津中学校時代:バレーボール、相撲で活躍
中津工業高校時代:野球経験なしでも
エースで4番で活躍
1968年11月12日:ドラフト会議で
中日に3位指名。
1位指名は星野仙一。
1971年6月17日:
中日球場のヤクルト戦で1軍初出場、
初安打、初ホームラン
初打点を記録。
1972年8月2日:
神宮球場のヤクルト戦で
1イニング2ホームランを記録。
1972年:初の規定打席に到達。
1974年:20年ぶりのセ・リーグ優勝。
1975年9月10日:
広島市民球場での広島戦で
判定を巡りファンが乱入
中日の選手に暴行、負傷を負わせる。
大島を始め多数の選手が負傷。
その後の試合を欠場。
この影響でV2を逃す。
1976年6月22日:
ナゴヤ球場のヤクルト戦で
シーズン最多代打ホームランの
日本記録を達成。
1977年8月9日:
ナゴヤ球場の巨人戦で
1イニング2ホームランを記録。
自身2度目で2本目は
前回同様満塁ホームラン。
1977年:初の3割を達成。
1978年9月27日:
ナゴヤ球場の阪神戦で
通算100号ホームラン達成。
1979年10月8~17日:
5試合連続ホームラン。
1979年:全試合4番で出場。
リーグ最多安打156本。
1980年4月12日:
神宮球場のヤクルト戦で
通算1000試合出場達成。
1980年4月14日:交通事故により負傷欠場
1980年8月30日:
ナゴヤ球場の阪神戦で
通算150号ホームラン達成。
1981年9月11日:
広島市民球場の広島戦で
通算1000本安打達成。
1982年:5番打者として
セ・リーグ優勝に貢献。
1983年4月29日:
神宮球場のヤクルト戦で
通算200号ホームラン達成。
1983年:ホームラン36本で
初のホームラン王獲得。
1984年4月22日:
後楽園球場の巨人戦で
通算1500試合出場。
1984年6月21日:
ナゴヤ球場のヤクルト戦で
通算250号ホームラン達成。
1985年10月2日:
ナゴヤ球場のヤクルト戦で
通算1000三振を記録。
1986年4月16日:
後楽園球場の巨人戦で
通算1500本安打達成。
1986年8月15日:
ナゴヤ球場の阪神戦で
通算300号ホームラン達成。
1987年:シーズン終了後、
日本ハムファイターズへ移籍。
1988年6月28日:
東京ドームの近鉄戦で
通算2000試合出場。
1988年7月21日:
西宮球場の阪急戦で
通算3000塁打達成。
1988年9月23日:
東京ドームのロッテ戦で
通算1000打点達成。
1989年8月13日:
東京ドームの近鉄戦で
通算350号ホームラン達成。
1990年8月21日:
西宮球場のオリックス戦で
通算2000本安打達成。
1990年9月9日:
宇都宮清原球場の近鉄戦で
通算300二塁打達成。
1991年5月28日:
川崎球場のロッテ戦で
通算1000得点記録。
1991年6月1日:
水戸市民球場の近鉄戦で
通算3500塁打達成。
1992年8月20日:
東京ドームの西武戦で
2500試合出場。
1994年5月4日:
西武球場の西武戦で43歳6か月の
最年長満塁ホームランを記録。
1994年9月28日:
東京ドームのロッテ戦で引退試合。
26年間のプロ野球選手引退
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3、選手成績
年 度 | 球 団 | 出場 試合 | 打 率 | ホームラン | 打 点 |
1971 | 中日 | 74 | .203 | 7 | 22 |
1972 | 中日 | 124 | .230 | 14 | 38 |
1973 | 中日 | 117 | .241 | 13 | 42 |
1974 | 中日 | 112 | .258 | 11 | 46 |
1975 | 中日 | 91 | .278 | 4 | 23 |
1976 | 中日 | 123 | .251 | 11 | 33 |
1977 | 中日 | 126 | .333 | 27 | 71 |
1978 | 中日 | 98 | .281 | 15 | 47 |
1979 | 中日 | 130 | .317 | 36 | 103 |
1980 | 中日 | 108 | .251 | 18 | 46 |
1981 | 中日 | 130 | .301 | 23 | 81 |
1982 | 中日 | 124 | .269 | 18 | 60 |
1983 | 中日 | 130 | .290 | 36 | 94 |
1984 | 中日 | 130 | .280 | 30 | 87 |
1985 | 中日 | 101 | .265 | 23 | 56 |
1986 | 中日 | 110 | .260 | 20 | 45 |
1987 | 中日 | 111 | .269 | 15 | 49 |
中日 計 | 1939 | .274 | 321 | 894 | |
1988 | 日本ハム | 130 | .276 | 15 | 63 |
1989 | 日本ハム | 130 | .265 | 18 | 59 |
1990 | 日本ハム | 110 | .267 | 11 | 50 |
1991 | 日本ハム | 120 | .251 | 10 | 61 |
1992 | 日本ハム | 98 | .258 | 5 | 28 |
1993 | 日本ハム | 47 | .262 | 0 | 8 |
1994 | 日本ハム | 64 | .323 | 2 | 22 |
日本ハム計 | 699 | .267 | 61 | 340 | |
通算 | 2638 | .272 | 382 | 1234 |
4、監督成績
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝 | 負 | 引分 | 勝率 |
2000 | 日本ハム | 3位 | 135 | 69 | 65 | 1 | .515 |
2001 | 日本ハム | 6位 | 140 | 53 | 84 | 3 | .387 |
2002 | 日本ハム | 5位 | 140 | 61 | 76 | 3 | .445 |
合計 | 413 | 181 | 225 | 7 | .446 |
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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