中日ドラゴンズ名選手列伝【トラキラー・ちぎっては投げ松本幸行】

最終更新日 2023年11月16日


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【松本幸行(まつもとゆきつら)】は、
「阪神キラー」と呼ばれた
「中日ドラゴンズ」
左腕のエースでした。


「星野仙一」と左右の両輪として
1974年(昭和49年)
「中日・20年ぶりのセ・リーグ優勝」
に貢献しました。


「星野仙一が燃える男」に対して
【松本幸行】「ひょうひょう」
していました。


そんな記録より記憶に残る投手の一人
【松本幸行】について紹介します。

野球
「早投げの松」と呼ばれる


1969年(昭和44年)のドラフト会議で
中日から「ドラフト4位」
デュプロ印刷在職中に指名され、
入団しました。
(同期のドラフト1位は谷沢健一


「早投げの松」と呼ばれる所以の
「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」
キャッチャーからの返球を受け取ると
すぐにバッターに投げていました。


キャッチャーからの返球の間に
サインを見ていたといわれています。


特に「木俣達彦」
バッテリーを組んだ試合は、
試合時間が短くなると
いわれていました。


「ひょうひょう」とした性格で、
全盛期だったO・N(王貞治・
長嶋茂雄
にもひるまずに
挑んでいました。


【松本幸行】 の投手としての
一番の強みは、
メンタル面の強さでした。


例え打たれても気持ちをすぐに
切り替えることができたのが、
厳しいプロ野球で生きることが
できた理由でもありました。


【松本幸行】 の投げた試合で
一番印象に残っているのが、
阪神タイガースとの甲子園での試合で、
阪神のエース・江夏豊が延長戦の末、
ノーヒットノーランを達成し、
自らサヨナラホームランで
阪神が勝った試合
です。


敵地でノーヒットノーランを
続けられている中、
「ひょうひょうとちぎっては投げ」
阪神を押さえ込む
【松本幸行】の メンタル面の強さを
感じました。


また阪神 と【松本幸行との関わりでは、
当時、左打者が多かった阪神に強く
【中日】在籍中は、
「トラキラー」と呼ばれていました。





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(1)中日入団前の話


【松本幸行 】の担当スカウトは、
伝説のスカウトと呼ばれた
法元英明(ほうもとひであき)」
です。


その「法元英明」がラジオで
入団前のエピソードとして
話していたことが
いつまでも頭に残っています。


【中日】に入団が決まった後、
【松本幸行 】
車に乗る機会がありました。


その時、後部座席を見ると
スプリングが飛び出して
いたそうです。


普通では人を乗せるのを
躊躇するのに 【松本幸行 】
一切気にしていなかったそうです。


いかにも「ひょうひょう」として
「細かいこと」を気にしない

【松本幸行 】 らしいエピソードで
いつまでも記憶に残っています。



(2)中日球場で


中日球場での試合前
(年代、対戦相手は憶えていない)
バックネット裏の上段で
試合前の練習を見ていると、
私から3段ほど後の席に
両手に売店で買ったと思われる
「かき氷」を持った【松本幸行 】
いました。

呆気に取られて、
何もできませんでしたが、
「試合前にかき氷を食べてもいいのか?」
「選手も売店で買い物をするのか?」
「そもそも、
どのように客席に入ったのか?」

という疑問を持ちました。


テレビで見ている【松本幸行 】
ひょうきんで人懐っこい
人柄そのものでした。

野球
「ひょうひょう」として
「細かいこと」を気にしない

松本幸行


いかがでしたか?


【松本幸行 】 の紹介をしました。


性格面ではひょうひょうとして、
ピッチングでも早投げで、
一見、
何も考えていないように思えますが
その裏には「緻密なコントロール」と
落ちる球の武器があったので、
プロ野球の第一線で12年間も
活躍
できたのではないでしょうか。






最後まで読んで頂きありがとうございます。



参考資料:ウィキペディア












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